2009年6月10日
何も自分だけは別の高みに立って、自分たちの「仲間」(こういう言い方を辛うじてしておきたいのだ、まだまだ)がやっていることに対して、他人事のように批評を加えて知らんぷりをするということではない。自分も含めて「共犯関係」にあると思うから、モノを言おうと思うのだ。僕は今、ニューヨークに住んでいて、日本のテレビや新聞にほとんど接していない。ネットであとから追体験もしようと思えばできるのだが、そういう気が積極的に起きないのだ。せっかくこの地にいるので、日本の日々のメディア情報との間に敢えて一定の壁を設けてみようという気分もどこかにある。そんなことをしても、この情報越境時代にはいやが応でも伝わってきてしまう日本のメディア状況というものがある。危機的だと思う。SMAPの草なぎ(なぎは弓へんに剪)剛さんが公然わいせつの容疑で逮捕された時の、テレビ、新聞の報じ方はどうだったのか? 自分がその場にいたらどうだったか。悄然とする思いがする。この思いは、草なぎさんが起訴猶予処分になった後も残っている。
ジョシュ・ブローリンという映画俳優がアメリカにいる。今年のアカデミー賞助演男優賞候補に最後までノミネートされていた実力派の俳優だ。なかなかのハンサムでとても人気がある。オリバー・ストーンの話題作「W.」(アメリカでは2008年10月中旬に一般公開)で主役のジョージ・W・ブッシュ役を演じた。もっともこの映画での演技より、ショーン・ペンが今年のアカデミー主演男優賞を獲得した映画「ミルク」での熱演ぶりが観客たちの心に強い印象を残したようだ。コーエン兄弟の快作「ノー・カントリー・フォー・オールド・メン」(昨年のアカデミー作品賞受賞作)にも出演していた。マッチョな白人男性役がはまり役だ。
◆ブッシュ役俳優がケンカ、逮捕 米テレビ全国ネットは報じず
その彼が「W.」製作期間中だった去年の7月に、ルイジアナ州のバーで製作スタッフらと一緒に酒を飲んでいた際、大ゲンカになって、ブッシュ役のジョシュ・ブローリン本人、そしてコリン・パウエル(国務長官)役のジェフリー・ライトらあわせて7人が警察に逮捕された。その後、僕は一般公開された「W.」を観たが、この映画のなかでは、若きブッシュが酒に溺れて酒場で大暴れするシーンなんかもあって、あはは、つまり映画を地で行っていたということだな、などと奇妙に納得したりしたものだ。ただ、当時オリバー・ストーンがブッシュ大統領を映画化するという話は、大統領選ラストスパートのさなかのことでもあり、それなりの話題になっていた。だから、僕の感覚では、ブローリンの逮捕は、正直に言えば、「ニュースになるかもしれないな」と思ったのも確かだ。
ニューヨーク・タイムズ紙のこの「事件」の扱いは、アート欄の短信に、わずか100語余りのきわめてそっけないものだった(08年7月15日付)。日本の新聞の感覚で言えば、短い訃報みたいな最小限度の記事。見出しは「映画『W.』に出ている俳優たちが酒場でのケンカで逮捕された」。本当にこれだけである。もちろんテレビも全国ネットのニュースでは1秒たりとも報じられもしない。ロサンゼルスのローカル局も短く報じた程度だ。そんなものだ。もちろん、これが、レオナルド・ディカプリオだったり、ブラッド・ピットならどうなんだ?という人がいるかもしれないけれど、まさか一般新聞の一面トップだったり、テレビの全国ニュースのトップで延々と報じられたりということはない。
ブリトニー・スピアーズという人気歌手がいる。超ビッグ・ネームだからご存じの方も多いだろう。彼女も何かと話題の多いスターで、04年の1月には「酒に酔った勢いで」幼馴じみの男性と結婚してしまった。芸能ニュースにはなったが、それが一般新聞の一面に載ったり、テレビの全国ニュースの上位の項目で長々報じられたりすることはない。彼女の奇行はその後も続き、2人の子供の出産、離婚、親権剥奪、ドラッグやアルコールへの傾斜、入退院の繰り返し、その後の復活と、とにかくネタの多い人物だ。だが、やはり主要メディアには「節度」のようなものが厳然としてあって、他のニュースを押しのける選択肢はとられなかった。
◆伝える側が盛り上がった時に立ち止まって考えたい
「節度」という言葉を使ったが、この語にはどこか嫌味な権威臭や押しつけがましさが伴うことも事実だ。
だが、略言すれば「ちゃんとしろよな!」という感覚はやはり大事だと思う。テレビや新聞の作業は集団作業だから、いろいろな人の力が重ねあわされた結果がニュース・クリップになったり記事になったりする。そこには「集団心理」が働く。だから、その時に、集団のなかに「これはあんまり大騒ぎして報じるようなニュース価値がある出来事じゃないよね」という暗黙の抑制の論理が働くと、「節度」が働いたことになる。
僕は、日本の知己から伝えられた草なぎ報道が本当なのかどうかを確かめようと、YouTubeやその他のネット情報をあたって、実際にテレビや新聞の報じ方を見てみた。うーん。
〈草なぎ「容疑者」は……。(生中継。ヘリコプターでの空撮)裸だったら何が悪いなどと叫んで抵抗したということです……。反省の言葉は今も口にしていないということです……。直前の詳しい行動や「動機」についてはわかっていません。草なぎ「容疑者」は裸になったことは認めているんですね……。赤坂警察署前から中継でお伝えします〉
NHKの夜9時のニュースは2日間続けてトップニュースでこの出来事を報じたそうだ。僕はテレビニュースの仕事をずいぶん長くやっているので手に取るようにわかる。その時のデスクなり、番組編集長のリアクションと取材の指示の様子が。報道の部署内の「盛り上がり」方が。その時でも、その後でも、その集団のなかにたった一人でも、「どうかしていないか、僕らは?」と自問する記者やディレクターやADさんや派遣社員や、カメラマンやリポーターやアナウンサーやキャスターらがいたとして(いたことを祈るが)、そのことを口にできない「空気」がもし職場を支配しているとなると、やはり僕らは立ち止まって考えなければならないのではないか。僕は敢えてNHKの夜9時のニュースに焦点をあてている。なぜならば、僕は、NHKの報道は、僕らのいる民間放送各局に比べて、秒刻みの視聴率グラフなどを気にしながらニュース番組の内容を考えていくような態度からは距離を置きやすい位置にある、などと勝手に考えているからだ。余計な御世話だろうと一応自覚もしている。投げた球はもちろん自分自身にも投げつけた球だ。
◆字幕、モザイク……ずいぶん違う日米のテレビ
少しは生産的な話にしたいので、ここニューヨークでテレビのニュース番組を見ていて、日本との比較で、これは取り入れた方がいい、あるいはやめた方がいい、と思うことのいくつかを書きとめておこう。
1.アメリカのニュース番組は、インタビューの発言にいちいちスーパー字幕を逐語的に入れるようなバカなマネはしていない。一体、いつから日本ではテレビニュースでのVTR部分の発言に、逐語的にスーパー・インポーズ(字幕)を入れるようになったのか? 全く馬鹿げていると僕は個人的に思う。どこの局でも、このスーパーの字幕を打ち込むオペレーターの労働量が異様に増加している。その結果、過重な負担がかかり、字句の間違いや表記の誤りが頻発して、それが発端で大きな問題を引き起こすケースがあった。視聴者の聴覚を減じて、字幕を読ませることで、テレビというメディア本来が持っていた想像力喚起の機能が著しく損なわれる。また字幕に集中するあまり、映像の豊かさが損なわれる。何もいいことはないのではないか。日本の若い記者やディレクターたちのなかには、「スーパーを逐語的に入れると視聴率があがる」と公言している人たちもいる。そういう愚はやめた方がいいと思う。おそらく日本だけだ。こんな愚行をニュースで今もってやっているのは。
2.それとは対照的に、アメリカのニュース番組では、街頭などで通行人にインタビューをした際に、その人がどこの誰かをきちんとスーパーで明示することがある。もちろん全部が全部というわけではないが、僕がよく見ている「ニューヨーク1」というチャンネルでは、例えば、ブルックリンのロナルド・ヒギンズさんとか、マンハッタンのリンダ・クレイグさんとか名前と住んでいる場所を明示していることが多い。とてもよいことだと思う。日本でよく顔を映さずに首から下だけのインタビュー映像(僕らの業界では「ギロチン・ショット」などと言っている)は、よほどのことでない限り、お目にかからない。
3.同様にアメリカのニュース番組で、関係者の顔の部分にモザイクによる映像処理が行われることなど、ほとんどない。テレビメディアが「匿名化」という方向を積極的に支持するような動きがなぜ日本においては歯止めがかからずに進んでしまったのか。省庁の広報発表に「匿名化」の傾向が増えていることに対して、日本新聞協会や民間放送連盟などは、情報公開の動きに逆行し公益を損なうものと反対の意向を示しているが、逆にテレビメディアの報じ方が「匿名化」を奨励するようなことを一方で進めているならば、説得力を欠くことになるのではないか。もちろん、内部告発者などの証言が結果的に公益性に寄与する場合と、告発者の人身保護という観点から例外的なケースもあり得るのだが、例外が例外でなくなるほど頻度が高まれば意味を失う。
4.前項目とも関係があるが、アメリカのニュース番組では、身柄の連行・逮捕段階で容疑者に手錠がかけられた部分にモザイク処理が行われているのを見たことがない。日本では手錠部分だけが厳密にモザイクを施されているが、これは誰から何をまもっている措置なのかを再検討してもよいのではないか。日本のように、顔が堂々と映されたうえで、手錠部分だけがモザイク処理されている映像は、非常に奇異な印象を残す。手錠をかけられているという映像が、人権が蹂躙されているというイメージを与えているというのなら、手錠を施す行為そのものに問題があるのではないか。
5.アメリカのニュース番組ではローカル・ニュースの価値がとても大切で、全米ネットニュースとの関係が健全に働いている。地域のニュースは、健全な民主主義の育成にとって非常に重要な要素だ。日本のテレビニュース(特に民放)の最大の弱点のひとつは、東京を中心とした「関東エリア」のローカル・ニュース枠がほとんど死滅状態にあることである。関東ローカルのニュースをきちんと報じる枠がないので、どうでもいいような警視庁ネタが全国ニュースで報じられるという混乱が生じることがある。アメリカのローカル・テレビ局は、その地域のニュースを非常に重視している。このことは見習うべき点で、ニューヨークやシカゴ、ロサンゼルスの地域ニュースはラジオも含めて充実している。
6.アメリカのテレビとて、やはり「集団心理」に依拠する度合いが非常に強い番組が多いのが現実だ。リアリティ・ショーやトーク・ショーはその傾向が特に強い。だが、少しばかり視点を引いてみると、アメリカのメディア全体では、日本との比較で言えば、「集団心理」に対する強い警戒感がまだどこかに残っているように感じることも事実である。
この原稿を書いているさなかに、アメリカでも報道が徐々に大きな規模に広がってきた「豚インフルエンザ」の、日米の報道ぶりの違いについて今、考えをめぐらしている。アメリカの報道ぶりを見て、なるほどと納得させられることがひとつある。それはアメリカのメディアが「パニックに陥るな」というメッセージを繰り返し報じていることである。過剰反応が引き起こす「暴走」について「危ない」という感覚が、まだどこかに残っているのではないか。日本の「草なぎ報道」と「新型インフルエンザ」報道は、「集団心理」への依拠という点において、ひょっとして実は底のところで連続しているのではないか。別の言葉を使えば、「カーニバル化する報道」が日本のメディアを覆っているのではないか。
◆集団心理でついえかねないジャーナリズムの機能
いくつか思いつく点のみを列挙してみたが、こういうことを書いてみようと思ったきっかけは、やはり前述の「草なぎ報道」があったからである。アメリカ人のひとりに「草なぎ報道」のビデオ・クリップを見せて感想を聞いたら、やはり「Group Mentality(集団心理)」 という語が返ってきた。多様性、少数意見の尊重、権力の行使のチェックといったジャーナリズムの権能が、みずからの「集団心理」によってついえているのだとしたら、そのことへの強い危機感を異国の地からでも書きとめておく価値があると思うのだ。(5月1日記)(「ジャーナリズム」09年6月号掲載)
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金平茂紀 かねひら・しげのり
TBSアメリカ総局長。1953年北海道生まれ。77年TBS入社。モスクワ支局長、「筑紫哲也 NEWS23」編集長、報道局長などを経て08年7月より現職。著書に『テレビニュースは終わらない』など。
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