コデラノブログ 3

とりあえず撮っておけ

写真を撮ることは好きなのだが、街の雑感のようなものを撮るのが苦手だ。

元々自分で撮影を始めたのは、ビデオ編集用の合成素材をライブラリ的に撮っていたのが最初である。それからレビューとして撮影するようにもなったが、なにせメディアに載せる映像なので、プライバシーに関わる要素を極力排除し、アングルなども含め、Anonymous的に撮影することを常に念頭に念頭に置いている。

どうもそういうものばかり撮っていたから、身近な町並みや家並みといったものに対峙すると、どう撮っていいのかわからなくなってしまったようだ。あんまり正直に撮ると、なんだか不動産屋の物件写真みたいなことになって、自分でイヤになってしまう。

でも、撮っておけば良かったなという思いは、潜在的にはある。同じ町に10年も暮らしていると、建物や駅前の様子が変わったりする。商売が入れ替わったりすると、「あれ? 前は何屋さんだったっけ?」と思うのだが、どうしても思い出せない。そういう経験は、誰しもがあるものだろう。

たぶんそういうのは、撮るだけではなく、日にちや目的なども含めて、きっちり記録・分類しておかないと意味がないのだろう。ただ、今の風景に対してそこまでの価値を見いだす気力が、自分には持てないということなんである。

そういうことをエラくきっちりやっていると、貴重な記録映像となって後の世の人に貢献できるのである。最近知ったのだが、長崎大学付属図書館が公開した江戸、明治期の写真データベースは、眺めているだけで相当たのしい。

この時期は写真の意味がそもそも違っていたのだろうが、こういった試みを今の段階から、ネット上で自動化できるような取り組みをしておいて欲しいものだ。我々がジジイババアになったとき、それらの写真から若かりし頃の思い出の町並みが再現できるかもしれない。

アキバガード下と東急ハンズの間にある越えられない壁

秋葉原駅高架下にある秋葉原ラジオセンターは、僕が東京に出てきた27年前から今も、同じようなたたずまいで存在している。僕にとってはまさにあそこが秋葉原を体現しているようなもので、よく電機部品や線材、工具などを買いに行ったものである。道具箱に入っている工具のほとんどは、あの界隈で買ったものだ。今でも用がないのに、駅から中央通りに出るときに、あの小さな路地のような界隈を抜けて出ることがある。

変わらないことがいいこと、というのは、我々の勝手な妄想だろう。現状のままでは、あの界隈はあと10年保たないと思う。それは建物の老朽化という意味ではなく、存在意義という意味で、である。

例えば今、小さな電気部品をバラで買う必要のあるような人が、世の中にどれだけいるのか。昔あのような部品屋台が繁盛したのは、電気工作が盛んな時代であったり、ちょっとした機械ならば自分で作ってしまうような器用な人たちが居たからである。それはホビーとしても、仕事としても、日本の電気工業というのは、そういう形だった。

しかし今はどうだろう。ほとんどの測定、設計、シミュレーションはコンピュータ内でやるものである。簡単な機械の試作などは、中国の仕事だ。パーツ買ってきて自分で組んだ方が安い、というのは、電気機械もパソコンも、もはや過去のものである。

では今、あのパーツ街の意義は何かと言えば、すでにメーカーでもとっくに保守部品切れの機材の修理とか、あるいは改造とか、これまでにないものを作ってみるとか、そういう道なき道を歩む人たちのために存在している、というのが真実ではないかと思う。

そのことを、売り手のオジサン、今はもうオジイサンになってしまっているが、その人たちは気づいているのだろうか。いやどうやら、昔ながらの商売のままなのだろうし、だからこそあそこの場所に居続けるのであろう。

先日、カメラの露出計に使えそうな電圧メーターを物色にいったのだが、メーター専門店のオジイサンは、電圧とか仕様とか、そういうものがわからないんじゃ売れないという。こちらとしてはどうせ分解して中身だけ使うので、そこそこ低電圧で振れて、コイル部分の寸法さえ合えばなんだって構わなかったのだが。

メーターとしての外側の寸法はわかるが、その中身に関してはまったく関知していないようだ。つまりきちんと設計され定格が決まっていれば、それに見合う部品を出してくることは出来る、逆に言えば、部品はこんだけしかないんだから、これが合うように組めよ、ということなんである。

が、道なき道を歩む者に対しての知恵というかアドバイスというか、自分の知識を応用して客の問題を解決するというスキルを、彼らは持ち合わせていないのである。

まあそれは、これまでの需要の中ではそれで済んだのだろう。しかし今、そういう需要はないのであり、だからあの界隈は後継者もなくシャッターを下ろし始めるような状況になっているわけである。

無理を承知で僕がパーツ街に求めるのは、電機部品の東急ハンズ化である。ハンズは品揃えがいいというだけで存在しているわけではない。これまでにないようなもの、普通個人ではやらないようなこと、まず市販品では売ってないようなものを自分で作るにはどうしたらいいか、ということに関して、店員が高い専門知識を持ち、何が何でも問題を解決してみせる力量がすごい。実際わけもわからずハンズに行って、解決したことは多い。

商品としてみた場合、決して他店より安いわけではないのだが、困ったときになんとかしてくれる店員のスキルに金を払っているわけである。

秋葉原のオジサン、オジイサン、そして若いニイチャンも、潜在的にはスキルは高いはずだ。ただ、商売のスタンスが顧客ニーズと合致していない点は、否定できないだろう。

そういう客はアキバに来るな、と言われるかもしれないが、僕に言わせれば客に併せて変容するのがアキバのアキバたる所以である。僕はガード下を、このまま化石化したくないのだ。

しかしこんなことを、パーツ屋台のオジイサンに言っても、始まらないのだよなぁ。

紆余曲折アリ

早いもので、コデラノブログがここASCII.JPに居を移したのが、07年6月末のことであった。最初はITmediaで商業ブログとしてスタートし、そこが終了して個人ブログに、そしてASCII.JPで再び商業ブログとして約2年続けてきたわけだが、この6月いっぱいで終了、ということになった。

ビューはそれほど悪くなかったとは聞いているが、やはりこの大不況の中、ブログエントリーのビューをビジネスに結びつけるところが難しかったようである。

とりあえずはどこかのブログサービスに移転先を作って、「コデラノブログ4」を立ち上げようかとも思っているが、まあまだわからない。日々発信したいことを、このままブログというスタイルでやっていくべきなのか、それともTwitterをもうちょっと活性化すべきなのか。あと1ヶ月でゆっくり考えてみたい。

ちなみにTwitterのユーザー名は nob_kodera なので、フォローよろしく。あとうちの猫も sorakichi でつぶやいているので、そっちもよろしく。

場所は変わっても、人は変わらない。どこに移転しても、同じようなギロ目で世の中睨んでいきたいと思っている。

キヤノン D5mIIが動画機能強化

写真用レンズでハイビジョン動画が撮れるとしてプロも大注目の「EOS 5D Mark II」が、今度動画機能をファームウェアのアップデートで強化するようだ。

これまでは動画撮影時はISO感度や絞り、シャッタースピードなど、露出に関するものがフルオートでしか使えなかったのだが、それらをマニュアル指定できるようになるという。さすがに高い機種なので、すぐに後継機というわけではないようだ。

これでまた改めて、動画機能が気になっていた人たちが、一気になだれ込むかもしれない。中古のレンズや、マウントアダプタがインフルエンザ時のマスクみたいなことにならなきゃいいけど。

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