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漢服について考える ニュース記事に関連したブログ

2009/05/16 00:27

 

こんばんは・・・。

 ★伝統衣装「漢服」への認識薄い現代中国人=和服と間違え罵倒する人も―中国

05/14 RecordChina

2009年5月12日、雑誌「小康」は、漢民族の伝統的衣装とされる漢服を広めている人々の記事を掲載した。中国独自の文化が再評価されるなか、漢服もブームとなりつつあるが、しかし意外な困難もあるのだとか。

同グループは時折漢服を来て出かけることがあるというが、しかしそこで直面するのは人々の奇異な視線。時には日本人か、朝鮮人かと聞かれることもあった。あるメンバーは漢服を来て北京五輪を観戦したところ、会場スタッフから英語で話しかけられたという。

さらに辛い出来事があったのはインターネットでのこと。自身のブログに漢服を来た写真を掲載したところ、「和服か!出て行け!」「小日本を打倒せよ!」などと書き込まれたという。

ある漢服愛好者は「和服はもともと唐代の衣装が伝わったもの。韓国の伝統衣装も中国の唐、宋、明の衣装が伝わったものです。日本人や韓国人が漢服を見て自国の衣装と間違えることはないでしょうが、中国人が漢服だと気づくことはほとんどありません」と嘆いた。

ある漢服を販売している女性が店の窓口に
「あなたは漢民族ですか?漢民族の伝統衣装を着たことがありますか?」とのポスターを貼ったところ、多くの反応があったという。

大手ポータルサイトのバイドゥの掲示板では、
自国文化を知らないことに気がついたネットユーザーが多く、詩経などの古典を読み勉強し始めたものもいるという。



おいちょっと待てや・・・。
大丈夫か君ら・・・。
いやここの写真全部ねつ造服だし。
左はどう見ても小日本の小紋の羽織まがいだし、右は小日本の巫女まがいだし、なんちゃって和服の現代服としか言えないんじゃないか。
これ着てたら確かに和服と罵倒されても仕方ない。
と、本日は、むだに2年も着付け教室に通ってしまった覚えの悪い私が、思うところを言わせていただく。
(着物も古着が好きで手もちは50年以上前の古着の小紋ばっかり。お高い晴れ着は一着もない(笑))


China7 伝統服装 漢服 [0]
http://www.china7.jp/bbs/board.php?bo_table=2_4&wr_id=33
 
漢服の変化と発展


漢服は中国漢族人民の民族服装として皇帝時期から夏、商、周、秦、漢、三国、南北朝、隋唐、5代、宋、明朝に至るまで5千年の歴史を経って来ながら日本、韓国など隣国にも影響を及ぼした。日本の伝統服装の和服は中国唐朝時期呉越地域の漢服から発展されたのに今日にも日本では着物を(呉服)と呼ぶ。漢服は華夏民族の歴史文化情感を寄託したことで華夏民族精神の象徴でもある。

 


「歴史」「伝統服」とか言いながらまたもポリのねつ造漢服か。
なんで正絹にしないんだろう(笑)。とうちの母みたいなことを言ってしまう。
母は、面倒がって着ないくせに人の着物姿を見るのが大好きで、「大奥」とか「篤姫」なんか喜んで見る。あれは着物の色柄が現代風ギリギリでほんのちょっとねつ造ぽいものも混じったが、まあ中国のインチキ武侠ドラマよりは相当ましだ。
この文に戻るが、やはり漢服定義としては、意地でも元と遼と清を外しているし、意地でも呉服(日本)の起源(いちお正解だが)と言っているが、このねつ造漢服を見たところで和服のイメージは湧かない。全く別もんだ。
元を外しながらよくまあ大ハーンを中国の英雄とかぬけぬけと言ってるものだと。
で探してみた。
中国画は、描かれた時代を指しているが、中国語が読めないし絵も興味ないのでその当時の古典画か現代画かの判別がつかない。

よってその時代のRealClothでないかも知れないと予めおことわりしておく。

唐               唐                  南宋

 

左右とも明

 

で現物は、さすがに漢の漢服は少ないが、明までの昔の漢服の方がセンスいい気がするということが発覚した(笑)。

0204022羅綺地信期繍綿袍(西漢・湖南省博物館)

羅綺地信期繍綿袍(西漢・湖南省博物館)

 

0204080鍍印金彩絵花辺広袖羅女袍(北宋・福建省博物館)

鍍印金彩絵花辺広袖羅女袍(北宋・福建省博物館)

 

0204109羅地刺繍百子女夾衣(明・定陵博物館)

羅地刺繍百子女夾衣(明・定陵博物館)おや?清の間違いでは?

 

<ここまで見ていて気付いた事>
①漢服には、小道具(アクセサリー小物)がない
「和服の帯留め、根付、共布のクラッチバッグ&草履セット、道行、雨コート」、「ミャオ(苗)族の水牛の毛のかつら、スズ製のような豪勢な冠、総刺繍エプロン風前掛け&バッグ&靴下」のような、衣装のための小道具がない。
たかが小物だが、衣装を引き立てるために相応の年月を経て付加されたものばかりなので、これらの例は、小道具あっての衣装とすら言える。
漢服は髪飾りや扇子ぐらいなのでスカスカ感がある。
あと、履きものは何だったんだろう。写っていないものが多いので不明だが、ちゃんと作ってあるのだろうか。

それと、和服にイヤリング&アスはタブーなのだが、インチキ武侠ドラマの漢服女優が皆でかくてケバいアスをブラブラつけているので気になっていた。

絵画の美人画では誰もつけてないじゃないか。

こういうツメの甘さがやっぱりねつ造か。

②漢服には、トラディショナルスタイルがない
「インドのサリー」、「スコットランドのタータン(チェック)」「フランスのクジラの骨コルセット」「ネイティヴアメリカンの羽飾り帽子」「アメリカ西部劇のかかとにルレットみたいのがくっついた乗馬ブーツ」・・・などなど、「どうしても外せない基本形」のようなスタイルがはっきりしない。
着物&帯、ぐらいか。
ちなみに和服はこれでもかというくらい規則が多い。
婚礼衣装は袿、親は紋付羽織袴と黒留袖のみ出席者は既婚者=色無地訪問着付下げ江戸小紋(ギリギリ)、最低限三ツ紋、独身(若い人)=振袖のみ、
園遊会(ふつー一生縁ないけど)は確か五ツ紋色留袖(宮尾登美子「きものがたり」に書いてあった、と思う)で他じゃもう着るシーンないんじゃないか状態の超正装(結婚式お呼ばれでもいいですが)、
大島など紬はいくら高価でも「織り」生地だから非フォーマルのカジュアル扱い、
「染め」の着物(色無地、訪問着、付下げ、小紋他の染め生地や手描きや絞りのもの)には「織り」の帯、
「織り」の街着着物(紬、銘仙、黄八丈、絣、縞他)には「染め」の帯(最近「織り」&「織り」もありらしいが)、
手描きの花や生き物は着る季節のものか少し早いものを選ぶという規則(春=桜、牡丹、薔薇、藤。夏=桔梗、朝顔、とんぼ。秋=菊、紅葉、すすき。冬=椿、梅、木蓮(の柄が面白い昔の訪問着を貰ったが冬の2~3月しか着られないので出番を逃したままだ)。
ざっとほんの一例で他に初夏初秋初冬だけのアイコンもある。
秋に桜柄や、春に菊柄を着るのは無粋だしNGというところ(ただし桜柄は宇野千代さんを除く)。
今どきの振り袖などはオールシーズン対応で全季節の花が入ったりしていておとく。
・・・と永遠に終わらないのでここまでにしておく。


今日は漢服の話だ。
中国人が罵倒したのは、こんな規則の多い、1000年かけて作られてきた、和服のことなのだ。
怒りはないがただ呆れるばかりだ。
染めや手描きや刺繍技術もろくにない、裏地も張ってるかどうか怪しいような、ペラペラのケミカル染めの洗えるポリ生地でつくった学祭コスプレみたいな服を、呉服の起源とか漢服とか伝統衣装とか言われたくないもんだし、自分ならみっともなくて言いたくもないもんだ。
罵倒するなら文字通り1000年経ってからにしてほしいものだ。

  個人的には上記から除外された元、遼、金、清の旗袍系のほうに感動した(笑)。

漢服やチャイナドレスなんかよりよっぽど格好いい。

0204092羅地繍花夾衫(元・内蒙古自治区博物館)素材

カテゴリ: 世界から  > 中国・台湾    フォルダ: 特ア

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