第1章 薬害エイズと原発利権の人脈


 世間を何も知らなかった私は、三十代から職業として技術書と医学書にたずさわったため、 手にするアメリカ ・ヨーロッパの文献に、原発の危険性と、医学界での放射能についての警告を しばしば目にした。

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日本の電力会社はこうした膨大な資料を読みながら、一方では、国民の対して事実を 隠し、安全論を語っていることが、一介の翻訳者の立場から偶然にも分かったのである。 その電力会社の体質は、私に重要なことを教えた。チバ ・ガイギー社がスモン病の因果関係を 社内で知りながら、キノホルム製剤を販売し続けたのと同じことが、原子力の世界で進行していた。

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中曽根康弘とは、その後、この海軍の同胞が十数人で集る「青年懇話会」で半世紀に わたって親交してきた仲だ。この会の幹事役をつとめた赤沢璋一は、薬害エイズを拡大した 製薬業界の利権問題で重要な鍵を握るとみられる「血友病総合治療普及会」の理事をつとめて きたが、赤沢は通産省の重工業局長からの天下りとして、エイズ研究班が発足した83年には 日本貿易振興会(ジェトロ)の理事長にのしあがった人物で、この血友病"救済"組織こそ、 安部英が設立したものであった。今年に入って安部英が世間で激しく批判されるようになると、 中曽根康弘は居心地が悪くなり、多くの取材記者に対してしきりと、「彼とはそれほど親しく なかった」と弁解をはじめたが、エイズ研究班班長に安部英を選んだのは、ほかならぬ 中曽根康弘本人であった。

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 安部英の妻は、読売新聞社の最高顧問をつとめた高橋雄豺の三女であった。高橋は、戦前の 内務省で警保局警務課長をつとめていた。内務省には当時、思想犯罪を取り締まる目的で、 直轄の特別高等警察という特殊機関がもうけられ、"特高"としておそれられた。ナチスの 秘密警察ゲシュタポと同じように、あらゆる人間の私生活を追跡しながら、国策に異議を となえる者があれば有無を言わせず逮捕して拷問にかけ、処刑した恐怖集団である。 日本全土で、おそろしい数の人たちが、冤罪や叛逆罪で処刑された時代があった。  高橋雄豺は、その世界から転じて、のち、読売新聞社に入ると、敗戦に至るまで「副社長」 兼「主筆」をつとめ、紙面を使って戦争を鼓舞した。

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1923年(大正12年)9月1日に大震災が発生後、警視庁官房主事だった正力は、「朝鮮人が 謀叛を起こしているという噂があるから、それをあちこちに触れまわってくれ」と自ら流言 蜚語を広めて虐殺を煽動し、さらに9月5日には、社会主義者を厳しく監視して、必要あらば 検束するように命令していたという。

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 スモン病の公害裁判がおこなわれた当時、厚生大臣だった小沢辰男が、スモン病患者の 星三枝子さんの病床を見舞うふりをして、謝罪するどころか、裁判をやめるよう驚くべき "忠告"をした。その小沢辰男が、中曽根康弘と同様、安部英と海軍仲間で、しかも安部と 共に設立した血友病総合治療普及会の理事として、血友病患者の"治療"にかかわっていた。 つまりHIV感染の拡大に深くかかわっていたというのである。前述の天下り官僚・ 赤沢璋一と同じである。スモン病とエイズの被害が、同じ人間によって放置され、拡大されたのだ。

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小沢辰男には、まだほかの分野で紹介するべき履歴があった。第二次田中角栄内閣の 建設大臣に就任し、新潟出身者として、柏崎原発と巻原発の建設にも奔走したのである。 96年8月4日、巻町から日本全土をゆるがす初めての原発住民投票が実施されたのは、 こうした人間がいたからである。小沢辰男は、スモン病と薬害エイズと原発の責任者であった。 田中角栄を支援した土建業界の利権は、ただ地所と建物ではなく、原子力発電所の巨大な 建設利権にあったという事実が忘れられている。ほとんど方はご存知ないだろうが、東海原発を めぐる住民裁判が起こされたときの被告は、田中角栄その人であり、彼は柏崎原発にからむ 土地ころがしの疑惑を追及されてきた。

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 田中真紀子の夫・鈴木直紀(現田中直紀)の兄・鈴木直道は、今田幸子と結婚したが、 その姉の義父・岡見清二は、スモン病の被告企業、武田薬品工業の製薬事業部長を経て、 副社長に就任した。同社がスモン病をひき起こすキノホルムを乱売した当時、製薬部門を 直接指揮する経営者として、最大の責任があった人物が、この岡見である。武田薬品工業だけ でなく、スモン病のもうひとつの加害企業・田辺製薬で、薬害発生時の社長だった 平林忠雄も、日本原子力産業会議の評議員であった。

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しかもこの中でおこなわれた速中性子線による"癌治療"は、「患者の痛みをやわらげるため」 として、標準線量の三倍もの速中性子線を患者に照射し、五十例にもおよぶ障害が発生していた ことが明らかになった(朝日新聞・94年12月24日)。
 すでにアメリカで強い障害発生が確認され、この方法が中断されていたにもかかわらず 実施されたこの臨床研究は、人体実験に近いものだったとみられている。莫大な税金を投入し、 この研究が無計画に進められた時代に、78年から86 年まで放医研の所長をつとめたのが、 熊取敏之であった。東京電力から戸田建設に移って取締役となった中村清二と熊取は、 義兄弟であり、戸田建設は、北海道 ・泊原発の建設に参加した総合建設会社(ゼネコン) であった。また、放医研所長 ・熊取敏之と親しかった友人が、放医研で企画課長をつとめた 小玉知己である。小玉は、薬害エイズで問題になっている厚生省の薬務局にいた人物だが、 のちに天下りして、ミドリ十字に入社し、同社が血友病患者に非加熱製剤を販売し続けて HIVウィルスの感染を拡大させた問題の83年には、ミドリ十字で副社長という要職にあった。

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サリドマイド禍において、今をさかのぼること22年前の74年、被害者と厚生省のあいだで 和解がなされ、厚生省の薬務局長だった松下廉蔵が「薬害は二度と繰り返さない」と誓った。 しかしその松下廉蔵こそ、いま96年春に、薬害発生当時のミドリ十字の社長として、 薬害エイズの被害者から「殺人容疑」で告訴され、業務上過失致死の容疑で逮捕された 同じ人物であった。

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 82年11月に中曽根内閣の厚生大臣に就任した林義郎は、83年12月までその任にあったが、 この時期は、現在まで国会の証人喚問で追及されてきたように、厚生省の郡司篤晃の号令で エイズ研究班が発足して安部英が班長となり、薬害を放置した最も重大な疑惑をいだかれる "謎の一週間"があったときである。

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 日本の場合は、首相も厚生大臣も、まったく追及されていない。このような 血液製剤の認可と回収は、最後に「厚生大臣の印鑑」を必要とするものであり、これは、 法で定められている手順である。また厚生大臣がハンコを押すには、閣議の了承を求めるはず である。したがって、安部英が犯罪を追及されるなら、首相と厚生大臣が犯罪を追及されない のは奇怪である。さらに国民にとって危険な関係と推察されるのは、エイズ研究班班長に 友人の安部英を選んだのが首相の中曽根康弘であるばかりか、エイズを放置した厚生大臣・ 林義郎が、ほかならぬ中曽根康弘の一族だったことである。彼らは、動燃理事長と 原子力委員会委員長代理をつとめた井上五郎の一族でもあった。

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石川六郎は、初代の経団連会長で初代の原子力委員・石川一郎の六男として生まれ、 鹿島建設創業者一族の鹿島ヨシ子と結婚して、同社の会長となり、93年7月まで日商会頭を つとめた。

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薬害エイズを放置した厚生大臣・下条進一郎の妻が、この石川六郎の妹・石川裕代 という関係にある。

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 原田昇左右は、運輸省の官房審議官から政界に転じた官僚出で、静岡一区から 代議士となって、89年には海部内閣の建設大臣となり、中部電力の浜岡原発の建設にからんで 利権を動かしてきた。中部電力の工事部門のゼネコンはじめ、東芝系列の石川島播磨重工から 莫大な政治献金が原田に流れてきたことは、政界と官界で有名である。

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サリドマイド薬害時代に厚生省の薬務局長だった松下廉蔵が、いま96年春に、 ミドリ十字の最高責任者として「殺人容疑」で告訴され、業務上過失致死容疑で逮捕された。 松下廉蔵がミドリ十字の社長だった時期に、同社の非加熱血液製剤クリスマシンを投与された 肝臓病の患者が、エイズウィルスに感染して95年暮に死亡したため、遺族たちが松下廉蔵を 告訴したのである。しかもこの患者の場合、すでに安全な加熱血液製剤が承認されたあと、 非加熱製剤が使用されたのである。この危険な製剤を回収しなかったミドリ十字と、回収を 命令しなかった厚生省が、人間を死に至らしめたことは明白である。
 松下廉蔵は、株主代表訴訟でも告発されてきたが、原告たちが裁判所に "当時の経営者会議の議事録"などの資料を証拠保全するように申請したにもかかわらず、 ミドリ十字は、それらの重要書類を提出しなかった。実は、松下廉蔵の妻・澄子の兄が、 細川内閣の法務大臣・三ヶ月章である。

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 しかも松下廉蔵と三ヶ月章の一族に、戦前のアジア侵略時代の台湾高官・ 深川繁治が現われるのはなぜなのか。さらにこの家族を追ってみると、いま述べた 反原発ステッカー裁判で判決を下した裁判官のひとり、大西勝也と原子力関係者が 次々と姿を現わすのである。

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83年7月4日に郡司篤晃が、危険なアメリカ原料の非加熱製剤を使わないよう 指示したにもかかわらず、1週間後の7月11日には、「非加熱製剤の一律輸入禁止は おこなわない」と正反対の結論に転じ、"謎の1週間"があったとされる時期に、厚生省の 薬務局長だったのは、ミドリ十字などの製薬会社から億単位の莫大な献金を受けて 衆議院議員に当選した持永和見であった。激しい世論の批判が郡司篤晃にすべての 責任をかぶせているあいだ、"謎の1週間"の決定権を握っていた上司の持永和見が 追及されないのは、まことに不思議である。

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 大西勝也の義理の姉にあたる福田恵子には、父方と母方の両方に、大変な 人物がいた。彼女の伯父・福田節雄は、今日までの原発推進計画を理論づけてきた 電力中央研究所の理事であり、友人として、東京電力の原発部門をあずかった吉田確太 副社長や、原子炉メーカー御三家のひとつである日立製作所社長の駒井健一郎があった。
 もう一人の伯父・兼重寛九郎は、茅誠司のあと日本学術会議の会長をつとめ、 原子力委員会の委員となった大人物である。さらに大西勝也の義理の姉にあたる 吉田元子の父・吉田悌二郎もまた、日本原子力発電の常務であった。この裁判官が、 "反原発ステッカーを貼るのは違法だ"として罰金を正当化したのは、あまりにも当然の ことであった。

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