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【腐蝕の連鎖vol.5】中曽根康弘とその一族

薬害と原発をつなぐ黒い鎖とは・・・?闇の閨閥(けいばつ)にスポットを当てた広瀬隆の名著「腐蝕の連鎖」を要約しながら少しずつ紹介していくシリーズ。

その他の連載は「中国対日特務工作ファイル」をお読みください。

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●薬害と原発にひそむ人脈 その5

青森県・六ヶ所村の核燃料再処理工場に2兆円が投入された。この無用の建設事業の裏に、利権を考え、薬害エイズを引き起こした同じ人間集団が動いていた。

82年11月に中曽根内閣に就任した林義郎は、83年12月までその任にあったが、この時期は、厚生省の郡司篤晃の号令でエイズ研究班が発足して安部英が班長となり、薬害を放置した最も重大な疑惑を抱かれる"謎の一週間"があったときである。

しかし当時の厚生大臣・林義郎と首相・中曽根康弘の責任は、まったく追求されていない。さらに国民にとって危険な関係と推測されるのは、エイズ研究班班長に友人の安部英を選んだのが首相の中曽根康弘であるばかりか、エイズを放置した厚生大臣・林義郎が、ほかならぬ中曽根康弘の一族だったことである。

彼らは、動燃理事長と原子力委員会委員長代理をつとめた井上五郎の一族でもあった。この系図には、原発の建設業者としてトップの鹿島建設会長をつとめた石川六郎と渥美健夫のほか、薬害エイズの責任者のひとり、下条進一郎の顔がある。

下条進一郎は、大蔵官僚として国税局から日銀まで動かしたバブル経済の責任者だったが、その後、衆議院議員となった。80年代半ばには、資源エネルギー調査会の副会長として原発の建設に官界勢力の大きな圧力をかけ続けた。しかも海部内閣では、厚生大臣でありながら薬害エイズを放置した。鹿島建設会長の石川六郎と義兄弟の関係にあり、したがって中曽根康弘と鹿島建設創業者の一族である。

石川六郎は、初代の経団連会長・石川一郎の六男として生まれ、鹿島建設創業者一族の鹿島ヨシ子と結婚して、同社の会長となり、93年7月まで日商会長をつとめた。薬害エイズを放置した厚生大臣・下条進一郎の妻が、この石川六郎の妹・石川裕代という関係にある。

また、その身近な一族が、中国電力の社長と会長を歴任した桜内乾雄であった。島根原発を運転しながら、日本原子力産業会議の顧問として業界の顔だった彼には、弟の桜内義雄があり、こちらが福田内閣の建設大臣をつとめた。

このような人間に囲まれた林義郎は、その後、92年から宮沢内閣の大蔵大臣となったが、バブル経済崩壊後の処理にうろたえるばかりであった。(続く)

husyoku
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福島 拝
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