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【腐蝕の連鎖vol.1】中曽根康弘と安部英

三百人委員会の下僕が日本にもいた!731部隊の残党、満州国の亡霊・・・。

私が調べていたのは、時には地震の工学的な問題であった。時にはさまざまな原子炉の問題であった。時には深刻な薬害の問題であった。時には危険な軍事の問題であった。その責任者である彼らをばらばらに調べていた時、なぜ彼らは同時に"一つのごく小さな集団"に集まってこようとするのか。

広瀬隆の名著「腐蝕の連鎖」を少しずつ紹介していくシリーズ。その他の連載は「中国対日特務工作ファイル」をお読みください。

●薬害と原発にひそむ人脈 その1

1954年3月、中曽根康弘が日本で初めて「原子力予算」を国会に提出し成立。これとほぼ同時に、米軍は沖縄の米軍基地をベースに生物化学兵器の研究に没頭していたという。ベトナム戦争への序奏である。そしてそこに関東731部隊の残党が利用されていた。

関東731部隊の部隊長・石井四郎の右腕的存在で、陸軍軍医学校防疫研究室の責任者だった内藤良一が、薬害エイズで二千人の血友病患者にHIV(エイズウィルス)を感染させた製薬会社のひとつ、ミドリ十字の前身会社「日本ブラッドバンク」の設立者であった。

ミドリ十字が82年に設立した「内藤医学研究振興財団」の発起人となり、この財団理事として、深いつながりがあるとされてきた安部英は、戦時中、海軍の軍医科士官として巡洋戦「あたご」に乗り込んで従軍し、大尉まで昇進して復員した。中曽根康弘とは、海軍の同胞が十数人で集まる「青年懇話会」で半世紀にわたって親交してきた仲である。

この「青年懇話会」の幹事役だった赤沢璋一は、薬害エイズを拡大した製薬業界の利権の鍵を握る「血友病総合治療普及会」の理事をつとめてきた。赤沢は通産省からの天下りとして、エイズ研究班が発足した83年には日本貿易振興会(ジェトロ)の理事長にのし上がった人物で、この血友病“救済”組織こそ安部英が組織したものであった。彼らの関係は、ただの仲間意識ではなかったのは一目瞭然である(続く)

husyoku
【必読本】腐蝕の連鎖 薬害と原発にひそむ人脈 広瀬隆(著) 集英社

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福島 拝
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