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あ行


晏逅寺軟體拳(あんこうじなんたいけん)
 晏逅寺軟體拳…一般に酢が人の体を柔らかくする成分(ビノドキシン)を多量に含有していることは知られている。この性質を応用し、特殊な拳法を編み出したのが晏逅寺軟體拳である。その修行者はこの世に生をうけたときより酢を満たした大瓶の中で生活・成長し超柔軟な体質を作り出したという。その人体構造学を越えた拳法は必勝不敗の名をほしいままにした。ちなみに、現代でも副食品として身近なラッキョウは、この軟體拳の達人であった陳辣韮が日々の糧を得るため、修行中に自分の壺に実を漬け、製造・販売したのがその名の由来とされている。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より


戦吉兆占針盤(いくさきっきょうせんしんばん)
 戦国時代に武田信玄が中国の霊占をヒントに考え出したといわれる。円形の盤の上に針の突いているもので、いわゆるルーレットのような形である。盤面には99の「勝利」と1つの「敗北」が刻まれており、勝利以外に針が止まることはまずあり得ない。戦の命運を占うために使われたが、その実際はは景気づけのための形式的な儀式であった。
参考文献民明書房刊『戦国武将考察』


一文字流斬岩剣(いちもんじりゅうざんがんけん)
 一文字流斬岩剣、世に灯籠切りといふ。江戸時代剣聖とうたわれし神泉正宗が家康に請われ、一度だけ御前にて石灯籠を一刀両断、世間を驚かせたといふ。以来三百余年剣道界に於いて幻の技とされこれを極めたる者なし。余談ではあるが不可能を可能にするという意の”魂剣石をも斬る”という諺はこれをいふなり。
一九〇五年民明書房刊『剣史記』より

炎刀脅油闘(えんとうきょうゆとう)
 炎刀脅油闘…達人同士が雌雄を決するために考案された決闘法は数あるが、中でもその極に位置するのが炎刀脅油闘出ある。その発祥は戦国時代の名将・織田信長が侍大将を決めるために二人の候補者を闘わせたことにある。全身に油をかぶり、長時間火をともせる松ヤニを刀身に塗り、触れただけでも火ダルマというこの決闘法を考案したのは冷酷非情と言われた信長ならではといえよう。余談ではあるが、この決闘法をたびたび楽しんだ信長が、後に明智光秀による本能寺の変で炎に包まれ死んだのは皮肉な因果応報と言わざるを得まい。
民明書房刊『炎の武将・織田信長』より


男塾血誓痕生(おとこじゅくけっせいこんしょう)
 男塾血誓痕生……その由来は中国大陸を駆けめぐり、勇猛果敢なことで名をはせた蒙古ジンギス汗の一族が仲間に戦死したものが出るとおのれの腕にその名を刻み、永遠の復讐を誓い必ずカタキをとったという故事にちなむ。近代日本でも極道社会に於いては殺された親分の名を腕に刻み、復讐を誓う風習が残っているという。
民明書房刊『日本風俗奇譚』より



か行


乖宙浮遊體(かいちゅうふゆうたい)
 乖宙浮遊體…一般に蝙蝠の空中揚力の強さは知られるところであるが、中国河南省山奥に生息する攣鵠蝙蝠はその揚力が5キロもあるといわれる。元朝中期、青巾族の乱の折り、元軍の都尉・安史明はこの蝙蝠20匹を使い、万里の長城を越え敵を攪乱することに成功したという。これを応用し、多彩な変化技を加えて成立したのが乖宙浮遊體であり、怪拳として世に恐れられた。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より


攪音波催眠(かくおんぱさいみん)
 攪音波催眠…音の波長が人間の脳に影響を与えることを利用した一種の催眠効果。音の周波数を変化させることにより脳の前頭葉を刺激し、さまざまな幻覚状態を現出し相手の精神をも自由自在にコントロールする。ちなみに現代ではABC兵器を越える未知の戦闘法として、米ソ間で開発競争が行われている。
民明書房刊『大衆操作暗黒史』より


鶴脚閃走術(かくきゃくせんそうじゅつ)
 鶴脚閃走術…中国拳法史上幻とされる三代奥義のひとつ。その発祥は中国版巌流島の闘いとして名高い陳宋明と泰報刻の台南海岸での決闘の折、足場の悪さを克服する秘策として陳宋明が咄嗟に編み出したとされている。この技には強靱な腱力はもちろんのこと、絶妙なる平衡感覚と卓越した体術が必要なのはいうまでもない。後にこれを発展させた数々の応用技が生まれた。
民明書房刊『中国日本武術交流秘史』より


甲冑軍隊蟻(かっちゅうぐんたいあり)
 甲冑軍隊蟻…学名(エジプティアン・キラー・アント)体長20ミリ、別名「砂漠のピラニア」といわれるほどの凶暴性と集団性にその特徴がある。百匹この蟻が集まれば、駱駝一頭を三分以内に白骨化してしまうという。知能も高く、飼育すれば人間の命令にも従うようになるため、古代エジプトでは麻製の手袋にこの蟻を詰め、労働力の補助としていた。ちなみに現代でも、エジプトでは忙しくて人手が欲しいとき「蟻の手も借りたい」というのはこれに源を発する。
民明書房刊『実用動物辞典』より


鶻宙身の法(かっちゅうしんのほう)
 鶻宙身の法…数ある中国拳法秘奥義の中でも最高峰に位置する技。この技の真骨頂はある一点に着地するとき、その全体重がかかる寸前に次の一点に素早く連続移動し、一点あたりにかかる負荷を無に等しくすることにある。この究極の身軽さを得るには指一本で倒立し、地に並べた卵を移動し続けるだけの修練が必要である。この鶻宙身の法を応用した最大の秘奥義が『鶻宙扇舞殺』である。
民明書房刊『独習中国拳法』より


渦龍天樓嵐(かりゅうてんろうらん)
 渦龍天樓嵐…中国槍術、その最高峰にあり槍聖としてあがめられた呂朱棍が創始したとされる幻の秘技。槍をすさまじい勢いで回転させることにより小竜巻ともいうべき回転乱気流を起こし、その風圧で相手を攪乱した。その威力は空を飛ぶ鳥を落とし、雨の日に頭上で回転させれば傘の代わりをもなしたという。ちなみに現代でも、突然の雨があったとき雨をやませるまじないとして、棒きれを拾い頭上で回転させる老人の姿がをしばしば見られるのはこの名残である。
民明書房刊『武道達人逸話集』より


盥支蝋(かんしろう)
 男塾名物盥支蝋…頭上になみなみと油の入ったタライを持ち上げる。そのタライの油面にきわめて不安定な木端に乗せた蝋燭を浮かべる。タライを少しでも微動させれば、蝋燭は倒れ火だるまとなるは必定である。明治維新直後、その熾烈過酷さの教育で猛名をはせた三の関兵学校に於いて体罰の一つとして行われたという。
民明書房刊『教育と体罰』より


氣功闘法(きこうとうほう)
 氣功闘法…氣とは人間の肉体が持つ生体エネルギーのことをいう。本来人間誰しもが持つエネルギーではあるが、これを武術として応用するには並はずれた修練が必要とされている。この氣を引き出すことを氣を練るといい、一定の呼吸と動作の反復組合わせによりなされる。その力は驚異的なものであり、一例として中国の氣功闘法の達人は己の髪の毛に氣を注入することによりこれを針金のごとく化し、これで敵の急所を突き一撃のもとに絶命させたり、同じく氣を注入した紙片でもって岩石をもまっぷたつにしたという
民明書房刊『氣−その効用と実践』より


覬相鋼怨面(きそうごうおんめん)
 覬相鋼怨面…その発祥は中国明の時代、咎人に対し一生外せぬ鉄製の面を被せるという刑罰である。死ぬまで言葉もしゃべれず、食事も満足にできぬこの状態は言語を絶する苦痛であり、国家反逆罪等、特に重刑に適応された。それが拳法に応用され技として確立したのは、超磁気を帯びた磁石の発見によるところが大きかった。磁力を帯びて二つに分割された面が敵の頭部で結合し、それについている鎖で身の自由を奪われたとき勝負はすでについたも同然であった。この技の発祥以来、脱出できた者は一人としていないという。ちなみに現代でも、無口で無表情な人が「鉄仮面」とあだ名を付けられている場合が多いが、その先祖がこの技にかかって死んだものかどうかは定かでない。
曙蓬莱新聞社刊『鉄仮面の告白』


騎馬戦車スコルピオン(きばせんしゃスコルピオン)
 騎馬戦車スコルピオン…古代ローマ帝国の英雄・カエサルが考案し、使用した伝説の兵器。その威力は絶大で、ラビオーリの戦いでは敵国メルビアの兵一万をこのスコルピオンと名付けた騎馬戦車わずか十両で壊滅させたという。その秘密は驚異的な装備・仕掛けにあり、まさに当時としては超近代兵器だったのである。ちなみに、二十世紀の戦車設計においてもそのアイデアは数多く取り入れられている。
民明書房刊『世界史に見る現代兵器の源泉』より


凶解面昌殺(きょうかいめんしょうさつ)
 凶解面昌殺…中国拳法屈指の奇襲策として知られるこの技の発祥は、秦代末期の李筴振と陳栄公の『紅原の決闘』にある。遙かに技量の勝る陳に対して、李は己の甲冑を全て表裏逆に着用し後ろを向いていると錯覚させ、油断し、近づいてきた陳を一撃のもとに倒したという。後に関節を逆にするまでに発展させ、完成したのが凶解面昌殺である。ちなみに、この噂はシルクロードを通じて西欧にまで伝わり、現代英語で表裏自在を意味する『リバーシブル』はこの李筴振の名が語源である。
太公望書林刊『シルクロードの彼方』より


翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)
 翹磁大撥界…中国拳法中興の祖といわれる、黎明流珍宝湖が自らの秘拳修行の為玉仙山に籠もった時開眼した門外不出の秘奥義。当時、玉仙山には1立方センチあたり5万5千ガウスという超磁力を持つ太極磁石が産出し、これを拳法と結びつけることによって完成した。つまり磁石にはS極とN極があり、同極間では強い結合力を生じるが、異極間では強い反発力を生じる。この原理を応用したのである。すなわち、敵の武器に太極磁石粉を付着させ、同極の太極磁石で出来た防具類を装着すればそれは無敵の防御幕(ボディ・バリアー)となるのである。現代でも、第四のエネルギーいわれる磁力(マグネット・パワー)の応用範囲は軍事・運輸・発電・宇宙開発と多岐に渡っている。
民明書房刊『大磁界』より


疆条剣(きょうじょうけん)
 疆条剣…西洋剣法として盛んなフェンシングはヨーロッパが発祥の地とされていたが、その源流は遙か中国秦代までさかのぼるという説がある。この剣は針のように細く鋭利に研ぎ澄まされている為、わずかの力で素早く相手の急所を突くことが出来る。これを中国拳法と融合させ、数々の秘技を生み出し必殺の武術として完成させたのが秋家二代目邊針愚であり、その名が「フェンシング」の由来であるという。
民明書房刊『世界スポーツ奇譚』より


驚とう操鰐術(きょうとうそうがくじゅつ)
 驚とう操鰐術…南アジア一帯には野生のマーダー・クロコダイルが多数棲息しているが、十八世紀初頭、かの地ではこれを飼い慣らし操る術が発達した。この術を応用し、村人は村の周囲に堀をつくりその中に飼育したワニを放ち外敵の侵略を撃退したという。このためワニは守護神として人々に大切にされた。現在でも南アジアの某国ではワニを殺した者は死刑という法律が現存しており、昨年迂闊にもワニ革のハンドバッグを所持していた日本人女性が終身刑となったのは周知の事実である。
民明書房刊『クロコダイル・ダンディー−爬虫類よもやま話−』より


きょう撥雷神拳(きょうはつらいじんけん)
 きょう撥雷神拳…広く知られているように、自然界には電気ウナギ・電気クラゲのような体内に発電器官を持つ生物が数多く存在する。人間の血液にもわずかながら電流を帯びたイオン質が含まれている。それを修練により増幅させ強力な電流とし、その刺激で敵を怯ませ、倒すのが中国拳法秘中の秘とされているきょう撥雷神拳である。伝説ともなっているその開祖・司卑麗は身の丈十尺以上の熊に銅線を巻き付け、一撃のもとに感電死させたという。ちなみに、現代でも感動したときなどに「しびれる」と表現するのはこの司卑麗の名に由来するという。
民明書房刊『中国電化大革命史』より


極武髪(きょくぶはつ)
 極武髪…古代中国拳法界においてはその頭髪の結い方で技量を表す制度があった。その段位は上から、甲武髪・乙武髪・丙武髪などと呼び、その最高峰として存在したのが極武髪である。一見、無造作に束ねただけの名誉の髪型を許されるのは、最高度の修行を経て頂点に達した者だけであり、千人にひとり出るかでないかといわれた。
太公望書林刊『世界頭髪大全』より


傀儡窕彭糸(くぐつちょうほうし)
 傀儡窕彭糸…人体の筋肉運動を命令するのは脳であるが、その脳と筋肉各部の中継点となるのが神経節である。ここに糸の突いた極細の針を打ち込み、糸の微妙な操作によって刺激し相手を自在に操るのがこの技の要諦である。その発祥は中国秦代、金の採掘で知られる華龍山とされ、他国からさらってきた奴隷達を効率的に働かせるために使われたという。これに当時の拳法家達が目を付けぬはずはなく、長年の時を経て完成したのが傀儡窕彭糸である。
民明書房刊『中国拳法に見る東洋医術』より


血闘援(けっとうえん)
 血闘援……江戸時代、命と名誉をかけた御前試合などで肉親や友人などが声を出して応援できぬだめ、胸に”闘”の一文字を刻み、身をもって闘志と苦しみを同じくし必勝を祈願するという、応援の至極である。その起源は遠く鎌倉時代に伝わった中国の兵法書「武鑑」にあるという。しかし、その胸の傷字は一生残る為、これをするにはよほどの覚悟と相手を思う気持ちが必要であることはいうまでもない。
民明書房刊『武士魂』より


降龍天臨霹(こうりゅうてんりんへき)
 降龍天臨霹…いにしえより現在に至るまで世界各地には人が空を飛ぶという鳥人伝説が多々あるが、中国においては金斗山に住むという仙人が有名である。本来「降龍」は、仙人が四年に一度民衆の前に山から下界におり姿を現すという意味であった。それを現実に拳法に具現化させたのが、中国拳法史上最大の奥義であるこの降龍点臨霹である。これを極めるには、両端に羽状形態を有する杖・棍などを尋常ならぬ早さで回転させる手首の力はもちろんのこと、ずば抜けた平衡感覚が必要とされる。ちなみに現代のヘリコプターは、前述の金斗山に住んでいたという聘李古浮に由来するという事実はあまり知られていないのは残念である。尚、読者諸兄特に幼年の子供達においては、くれぐれもこの奥義を極めんとして路上で棒きれなどを振り回さぬよう厳重に注意しておく。
日本曙蓬莱武術協会武術総師範代竹乃元秀路談


黒闇殺(こくおんさつ)
 黒闇殺…まったく目のきかぬ闇夜や暗い屋内での殺傷を目的とした暗殺拳。この修行方法としては目隠しをして禅を組み、他の者に針を地に落としてもらい、その気配を察知することから始める。始めは耳元から、だんだん距離を遠くし、最低でも十M離れた距離から針の気配を察知できねばこの拳は極められないという。つまり聴覚視覚など五感はもちろん、大切なのはその場の空気の微妙な動きを読む研ぎ澄まされた超感覚を養うことにあるのである。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より


ご樵ずい拳(ごしょうずいけん)
 ご樵ずい拳…中国屈指の大樹海地帯、鳥慶漢で発祥した拳法。鳥慶族は少数民族であったため、他民族や外敵から身を守るため手段として木の上に住む樹上生活者であり、この拳法が編み出されたのは極めて当然の成り行きであった。その特長はムササビの動きを模した形象拳であり、木立など高所での戦いを得意としていた。その空中自由自在の凄まじい攻撃力の恐ろしさから、この地には決して余所者は近づかなかったという。
民明書房刊『奇跡の鳥慶漢』より


W光蛍(こんこうほたる)
 W光蛍…学名エジプティアン・ネオム・ファイアーフライ。体長約20ミリナイル川流域に棲息し、極めて明るい光を放ち、その集団性と知能の高さで知られる。古代エジプトではガラス瓶に入れ、家庭での照明として各家庭で使用されていた。また、その特質を利用し、どんな隊形でもとれるように調教したこの蛍を夜空に放ち、戦時の軍事伝達や商店の広告看板として大いに用いた。しかし、あまりの乱獲がたたり7世紀初頭には絶滅が確認された。ちなみに、現代都会の夜空を彩るネオンサインの語源は、この蛍の学名である「ネオム」に由来する。
民明書房刊『驚異の昆虫世界』より



さ行


砕氷凍界(さいひょうとうかい)
 砕氷凍界…蒙古究極の決闘法・硫篋氷樹の名人カクゴールが編み出した秘技この技の原理は高速回転によって生み出された細かい氷片によるヘルベリン冷凍効果により、周囲の温度を零下30度にまで下げ、相手の体温を奪い凍結させることにある。ちなみにこのカクゴールは氷の王者の象徴として、常に氷一文字の旗を背負っていた。現代日本でも夏の巷に見られるかき氷屋の旗はこれに由来する。
民明書房刊『かき氷屋三代記−我永遠に氷をアイス−』より


錯距効果(さっきょこうか)
 錯距効果…動く物体を注視するとき、その距離と大きさが人間の眼に及ぼす錯覚の一種。野球における投手と打者の関係を例に取れば、同じ大きさの球を同一距離・同一速度で連続して投げ、それを一定時間打ち続けたとする。その時、突然わずかでも小さな球を投げるとそれまでの状況に慣らされていた打者の眼はその変化に気づかず距離感を誤り、ことごとく振り遅れ、空振りしてしまう。このように人間の眼は正確無比に見えても当てにならぬ物である。
太公望書林刊『眼球大脳生理学』より


磁冠百柱林闘(じかんひゃくちゅうりんとう)
 磁冠百柱林闘…中国宋代、四川省拳法家達によって盛んに行われた異種格闘技。当時は杉木立の枝を払い、頂部を切断してその切り口を足場とした。その杉は最低でも高さ一五米以上、直径は一〇センチから3米までと変化に富み、落下しようものなら即死は間違いなく、まさに命がけの勝負であった。後に四川省青陽山で強磁石が発見されるにいたり、杉の頂部に鉄板をかぶせ磁靴を履き、二名対二名で戦う磁冠百柱林闘が完成した。千変万化の中国格闘技にあってもこの磁冠百柱林闘は最高の技量とチームワークを要求される高度な戦いのひとつである。現代のプロレスに見られるタッグマッチはこの磁冠百柱林闘を彷彿とさせる。
中津川大観著時源出版刊『偉大なる中国拳法』より


死穿鳥(しせんちょう)
 死穿鳥……中国雲南省原産、鷲鷹科の猛禽。その性質は極めて攻撃性に富み、その特徴的な鋭い嘴で獲物の急所を巧みに狙い、ときとして牛馬をも倒すという。明朝末期、拳法家の宋大源はこれを飼い慣らし、嘴に即効性の劇毒を塗り殺人鳥に仕立て、それに己の拳法との同時攻撃という特異な死穿鳥拳を完成させたといわれる。
民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より


シックス・オン・ワン
 シックス・オン・ワン…アメリカ合衆国開拓当時、銃はその未開の地にあって開拓者達の生命と財産を守る重要な武器であった。そうした環境の中では当然射撃の腕が切磋琢磨され、決闘の場合などコンマ一秒でも早く引き金を引けると言うことは命を左右することであった。その早撃ちの極限ともいえるものがシックス・オン・ワンであり、その名の由来はあまりの早さのために六連発リボルバーリボルバーの銃声全てが重なり一発に聞こえたことにある。
曙蓬莱新聞社刊『撃って候 早くてゴメン』より


指撥透弾(しはつとうだん)
 指撥透弾…弓術至高の流派として名高い千弦流の開祖、弓栄喚が編み出したという究極の秘技。5本の指を弓に見立て、目に見えぬほど細い羊の腸でつくられたいとを弦とし、これもまた目に見えぬ鯨の髭から削りだした矢4本を同時に放つ必殺技。これからもわかるとおり、二度目はきかぬ一撃必殺の技だけに相手にその意図を悟られぬようにするのがこの技の要諦である。ちなみに、この技は暗殺術として最適のために、時の皇帝・貴人の前では相手に向かって手を開くことは固く禁じられていた。
明明書房刊『中国宮廷儀礼典範』より


灼炎畷掌(しゃくえんていしょう)
 灼炎畷掌…人間の平熱はおおよそ36〜37であるが、その発する総熱量はおおよそ10万キロカロリーにも及ぶ。その熱量を均等に人体に配分する働きを持つのが柱脊神経であるが、想像を絶する修行によりそれを自在に操り熱を人体の一点に集中することを可能とするのが灼炎畷掌の要諦である。この時、温度は850度にも達し、これが相手の皮膚の分泌物である脂・リン・油汗などを一瞬にして発火させるわけである。ちなみに、闘志あふれる様をたとえて言う「燃える闘魂」「燃える男」という表現は、無意識のうちに柱脊神経を活動させている状態を指す。
民明書房刊『人体−その代謝機能の神秘−』より


灼赤棒(しゃくせきぼう)
 灼赤棒…今からおよそ一千年前、騎馬民族としてその勇名をはせた蒙古族の決闘の儀式の際に用いられた。その青銅の棒を灼熱させ、両者が握りあうことでお互いの闘志を確認しあったという。
英学館館『騎馬民族の逆襲』より


謝砕節(しゃさいせつ)
 謝砕節、中国宋代(十二世紀)、拳闘士の決闘などで勝利の証に勝者が敗者の両手の指を第一関節から全て折り(食事だけはできるように右手の親指と人差し指だけは残したという)、拳を一生使えなくして封じたという。肉体的苦痛もさることながら、その精神的屈辱感は筆舌に尽くしがたいものがあったろう。
民明書房刊『亜細亜刑史大系』より


蛇轍槍(じゃてつそう)
 蛇轍槍……室町時代後期、希代の槍の達人と言われた辺見鉄山によって考案されたという、中国の十節棍に改良を加えた変幻自在の仕掛槍である。鉄山の没後、多くの武芸者達がこれを極めようとしたが、その操作性の難しさにより修得し得た者はいないという。
民明書房刊『戦国武芸者往来』より


蛇墨輒闘(じゃぼくちょうとう)
 蛇墨輒闘…数ある中国拳法諸流派の内、その苛烈さで知られる赤狼流総帥選出時に行われる決闘法。墨液を膝の高さまで満たした二間四方の水槽に全身が黒一色で猛毒を持つ黒咬蛇を放ち、その中で闘う。黒咬蛇の見ようとも見えぬ恐怖の中で闘うことは拳法の技量はもちろん、それ以上に強靱な精神力が要求されることは言うまでもない。もちろん、運不運も大きく左右する。ちなみに、現代でも必死に努力をしているにもかかわらず報われぬことを『黒蛇に足を咬まれている』と表現するのはこれに由来する。
民明書房刊『世界死闘決闘百選』より


愀象刀(しゅうぞうとう)
 愀象刀、古代インド・マウリヤ王朝の英雄グンジーが用いたといわれる刃渡り五メートル、重さ約五〇キロの豪刀。グンジーはその一振りで象をもまっぷたつにしたということからこの名がついた。現代でもインド・パンジャブ地方にはその名を称えて秋には愀象祭が行われる。
英学館刊『インド母なる大地を往く』より


瞬t刹駆(しゅんきょうせっく)
 瞬t刹駆…素早い動きを基礎とした秘奥義は中国拳法にも数あるが、中でも最高峰とされるのが瞬t刹駆である。この技の修行法は硫酸池に浮かべた不溶性の紙片の上を驚異的早さで駆け抜けるというものであり、失敗すれば即死の恐るべき荒行であった。これを成し遂げ、達人の域に達した物は瞬きするうちに二十間(約36m)を移動したという。余談ではあるが、我々が親しんでいる「かけそば」は当時修行者達が座して食べる間を惜しみ、器をもって駆けながら食べたそばがその由来である。
太公望書林刊『あなたにもできる!中国拳法修行百科』より


翔穹操弾(しょうきゅうそうだん)
 翔穹操弾…中国三千年の歴史を持つ漢方医学を応用した拳法。長さ五ミリほどの銀製の礫を打ち込むことによって人体の筋肉組織の結節を刺激し、その腱反射で相手の五体を自由自在に操った。この技の極意は、礫を相手の結節に寸分の狂いもなく打ち込むことにある。ちなみに、この技を完全に会得した者は中国拳法の長い歴史においても三人とはおらず、至難の業とされている。
民明書房刊『知られざる秘拳』より


しょう家蛇疆拳(しょうけじゃごうけん)
 しょう家蛇疆拳…その源流は秦代、時の権力者達の暗殺の道具として毒蛇を飼い慣らしたことに発する。訓練された蛇は、その敏捷性と賢さによってどんな堅固な守りもくぐり抜け、必ず目的を達したという。拳法隆盛を極めた当時、この蛇を使った流儀が生まれたのは当然の成り行きであった。その実体は名のみで誰も知らぬ。なぜなら数千年の中国拳法史にあっても、その拳法と対して生き残った者はおらぬ必殺拳とされているからだ。
*参考文献民明書房刊『暗殺秘話』より


死頂盃(しょうたおへい)
 死頂盃…古代中国拳法界において、その規律の厳しさで知られた功南寺で行われた制裁法。本来は硫酸を満たした盃を頭上に乗せて戦い、平衡感覚を養うと同時に恐怖心を克服する修行であった。それが相手に毒を盛り、頭上の解毒剤をとるために闘わせるという一種の拷問に変化した。この制裁を受けるのは拳法家としての名誉を著しく傷つけた場合に限られ、決して報われぬ絶望的努力をしながら死んでゆくのである。ちなみに、現代で無駄な努力をする人を盃野郎というのはこれに源を発する。
太公望書林刊『世界残虐刑罰史』より


勝利賽子(しょうりじゃいつ)
 勝利賽子…戦国時代希代の名将とうたわれた武田信玄が考案したと伝えられる。寿・吉・勝・祝・喜・生の六文字をそれぞれ六面に書き入れたサイコロを頭上高くに投げ、表に出た文字によって戦の行方を占ったといわれる。しかし、どの面を見ても勝利を暗示するも字が書かれているわけで、いうなれば出陣の景気づけの儀式である。
英学館刊『武家社会に於ける風俗・迷信』より


昇龍風(しょうりゅうふう)
 俗に言う昇龍風…気象学上は主に標高二千メートル以上の山の北斜面、断崖絶壁に於いて発生する風速百メートル以上の上昇気流をいう。一九二四年、スコット大佐の率いる英国エベレスト登山隊の一員がその北壁に於いて、ザイルが切れ危うく一命を落としそうになったとき、この昇龍風によって救われたという奇跡は登山家の間ではあまりに有名にな話である。
民明書房刊『世界気象大鑑』より


暹氣龍(虎)魂{しんきりゅう(ふう)こん}
 暹氣龍(虎)魂…中国拳法において、人体最後の神秘とされる「氣」エネルギーを利用した技は数多くあるが、その中でも最高峰とされるのがこれである。この技の要諦は「氣」を刀身に集中し、龍(虎)の形をした衝撃波として繰り出すことにあり、その圧倒的な破壊力に比例して消耗度も大きいため短時間に連続して撃つことは不可能とされる。ちなみに、同等の力をもつもの同士が戦う様を『龍虎相打つ』と表現するのはこれが源である。
民明書房刊『中国秘拳満漢全席』より


垂鼇尖(すいごうせん)
 垂鼇尖…その源流は中国にあるが、江戸中期、大工や畳職人など手先の器用さを要する人々の間で技術と度胸を競い、盛んに行われた。当然、これには技術力はもちろんのこと並はずれた集中力を要し、指を落としてしまうのも日常茶飯事であった。明治維新を機に政府によって禁止されたが、これを愛好する者は後を絶たず、現代でも会社や学校でペンや鉛筆を使い小刻みに机などを突いて訓練しているのはよく見かける光景である。
曙蓬莱新聞社刊『大江戸流行JUST NOW』より


水龍ほー球(すいろんほーきゅう)
 水龍ほー球…古今東西、武道家達が雌雄を決する決闘法は数多くあるが、なかでもモンゴルに伝わる水龍ほー球は最も過酷なものとして有名である。後に硝子工芸の発達によりガラス球が使用されたが、当時は7メートル四方の木槽に水をいっぱいに満たしその中でどちらかが死ぬまで闘った。水中では当然闘う時間は限定され、動作に通常の3倍もの体力を消耗するため、その苦しさは想像を絶した。ちなみに、この決闘で負けた者をモンゴル語で「ドザイモーン」(水死の意)と言い、日本で溺死体を「土左衛門」と呼ぶのはこれに由来する。
民明書房刊『泳げ!!騎馬民族』より


趨滑襲(すうかっしゅう)
 趨滑襲…中国明代に室内戦用に考案された武器。その特色は刃の両端にある、極めて弾力性に富む球状の特殊ゴムにある。これを打ち、壁や床・天井に反射させ敵を攻撃した。もちろん、その反射角度は精妙な計算が必要であった。ちなみに、現代の室内球技・スカッシュの原型がこれにあることは賢明な読者の推察通りである。
民明書房刊『室内球技における中国文明の影響』より


蛇血誓闘(スネークブラッドコントラクト)
 蛇血誓闘…古代ギリシャのコロシアムにおいて、因縁のある試合に完全な決着をつけるべく行われた決闘法その起源はギリシャ格闘士史上最強の有名を競い合っていたヘドビウスとダビウスがミロス王の発案により行ったのが最初とされる。ちなみに、あまりにも有名なギリシャ特産のシラキューズ酒にはグリーク・ティナコンダの血が入っており男達が景気をつけるときにこれを回し飲みする風習はこれに由来する。
太公望書林刊『エーゲ海−古代格闘史の浪漫−』より


千条鏤紐拳(せんじょうろうちゅうけん)
 千条鏤紐拳…中国拳法史上その暗黒の流れとして恐れられた拳法、魍魎拳とその勢力を二分した戮家秘伝の拳。目に見えぬほど細いが、恐ろしいほど鋭く研ぎ澄まされた刃物のような鋼線をムチのように自在に操る技である。その細さと空気抵抗のないスピードのため肉眼で捕らえることは不可能。そして、その威力は骨をも寸断するといわれる。
民明書房刊『戮家その全貌』より


千日包鏡(せんにちほうきょう)
 千日包鏡…この技の要諦は集中力・反射神経を極限まで研ぎ澄まし、相手の動作を寸分違わず一瞬にして模倣することにある。その修行法は数あるが、代表的なものは氷柱の下で滴る水滴を反射神経のみで無意識のうちにかわすことが出来るようになるまで禅を組むというものである。もちろん、卓越した体術が必要なのは言うまでもない。ちなみに、現代でも残る格言に『人の振りみて我が振り直せ』とあるのはこの修行訓の名残である。
民明書房刊『中国の奇拳−その起源と発達−』より


千歩氣功拳(せんぽきこうけん)
 千歩氣功拳…離れたところから氣功法によって発する「氣」とう人体エネルギーをだけで敵を倒す「百歩神拳」は広く知られているが、それをさらに強大したのが千歩氣功拳である。数ある中国拳法奥義にあって至高の技であり、拳を志す者は誰もが修得を夢見るが、その修行は想像を絶するため、これを極めた者は数少ない。
民明書房刊『氣の科学』より


操象戮かん闘法(そうぞうりくかんとうほう)
 操象戮かん闘法…陸上最大の生物・象は最大の破壊力を持つことで有名である。象の欠点として鈍重な動きがあるが、それを特殊な訓練法により恐るべき敏捷性を身につけさせ、これを数々の秘技を持つ戦闘法として確立したのが古代インド人である。古代インドでは、戦争の時象の多寡で勝敗が決するとさえ言われた。ちなみに、英語で象を「エレファント」というが、これは当時象の訓練をインド洋上エレファン島で行っていたことが語源といわれる。
民明書房刊『闘う動物大百科』より


操蜂群拳(そうほうぐんけん)
 操蜂群拳…一般に蜂の特異な集団性は知られるところであるが、中国拳法においては3匹で刺せば猛牛も絶命させるという禽虎蜂を調教し利用した殺人拳が編み出された。このため、これが暗殺の道具として用いられることを恐れた古代中国、時の権力者達は、蜂を飼うことを厳禁した。
民明書房刊『浮虻流昆虫記』より



た行


大鐘音(だいしょうおん)
 その由来は戦国時代、武田信玄が上杉謙信との合戦に於いてどうしても援軍に行けず、苦戦におちいっている遠方の味方の兵を励ますために自陣の上に一千騎の兵を並べ一斉に大声を出させ、檄を送ったという故事に由来する。その距離はおよそ二五里、キロになおすとと100キロ離れていたというから驚嘆のほかはない。余談ではあるが、昭和一五年の全日本大学野球選手権に於いてW大応援団エールは神宮球場から池袋まで聞こえたという記録がある。
民明書房刊『戦国武将考察』より


體透奇(たいとうき)
 體透奇…映画や小説などで日本の忍者が石や木などの描かれた布で自らの体を覆い、周囲の風景と同化させて身を隠すのはよく知られている。中国拳法においては、己の肉体そのものに同化すべく風景を描き擬態化させていた。当然この技を極めんとする者には卓越した絵画の才能と戦闘中における筆の素早さが要求された。奥義皆伝者は、常時懐中に10色から12色の染料と絵の具を忍ばせていたという。ちなみに1960年代、サイケデリックムーヴメントが華やかなりし頃、ボディ・ペインティングなるジャングル(編注:「ジャンル」の異化)があったが、これはこの奥義最大の達人といわれた棒卞点具(ぼうぺんてんぐ)の名に由来したという説が有力である。
日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談


體動察(たいどうさつ)
 體動察…肉体には運動を起こすとき、大脳から意思を伝達する運動神経の中継機能を持つ體動点がある。この全身に張り巡らされた體動点の変化を見極めることを拳法に応用し、完成させたのが體動察である。ちなみに、目の周りには特に體動点が集中し、「目は口ほどにものを言う」というのはこのことを証明するものである。
民明書房刊『医学的見地から考察した中国拳法』より


耽幽香(たんゆうこう)
 インド最後の秘境・カシミール地方タングール山頂付近にのみ群生するジャコウ科耽春草から抽出された特殊成分を利用してつくられる秘香。そして、その香は幻覚既視感(ハルシネ・デジャヴ)を起こさせることにより、過去に実視した景色を吸引した者の意識の中に具現化する効果がある。ちなみに、この耽幽香は密教僧達の間で瞑想禅の儀式の際、悟りを開く鍵として用いられることで有名である。ただし、これを過剰に吸引すると運動機能が麻痺し肉体に害を与えるため、その使用・所持については法で厳しく規制されている。
民明書房刊『世界幻覚大全』より


地獄相撲(チャガ・ポルテ)
 地獄相撲…世界各地に日本の相撲に類似した格闘技は点在するが、その中でも特に有名なのはモンゴル相撲である。その歴史は古く、ジンギスカーンの時代までさかのぼるという。勇猛果敢な騎馬民族である彼らは戦闘訓練の一環としてこれを行った。中でも17世紀に時の暴君・ジミヘンカーンによって発案された地獄相撲は、地上15メートルの高さに土俵をつくり、そこで生死をかけて戦うという凄まじいものであった。ちなみに、現代の日本の相撲で使う「どすこい」という掛け声は、この地獄相撲最強の戦士として知られた「ドスコイカーン」の名に由来するという説もある。
民明書房刊『相撲人生待ったなし』より


宙磁きゅう斬刀(ちゅうじきゅうざんとう)
 宙磁きゅう斬刀…知っての通り磁石にはS極とN極があり、異極間には強い結合が働くが、同極間には強い反発力が働く。この原理を応用したのが中国拳法幻の秘技といわれる宙磁きょう斬刀である。この技の要諦は、あらかじめ登場となる場所の地中に磁界をつくる強力な磁石を無数に埋めておき磁気を帯びた鉄粉を混入して作られた刀剣を用いることにある。つまり土中からの磁力と刀剣の磁力は同極であり、これによって宙に浮かぶのである。そして技の使い手は、袖などに隠し持った一対の超強力磁石を巧みに操り、縦横無尽の動きを浮いた刀に与え相手を攻撃するのである。当然、この技に必要とする磁石は中国・ソ連の一部鉱脈からのみ産出される特殊なものであり、他の金属に反応しないのは言うまでもない。
民明書房刊『マグネットパワー−21世紀をこう変える−』より


宙秤攣殺闘(ちゅうびんれんさつとう)
 宙秤攣殺闘。長い伝統と歴史を持つ中国拳法史上においても唯一度だけ行われたという史上最凶の戦い。明朝末期の一六一五年二月二十九日、場所は格闘技の聖地と呼ばれた雲南省青牙山山頂火口…。当時雲南地方で勢力を二分し抗争に明け暮れていた南陽拳と北陰拳の戦いに終止符を打つべく、時の皇帝の命により双方三百人からの全弟子を天秤にかけ、両派最高師範がその存亡をかけて戦ったという。勝負は北陰拳の勝利に終わり、敗れた南陽拳は全滅し拳法史上から姿を消した。
民明書房刊『拳法興亡史』より


跳蚤器(ちょうそうき)
 跳蚤器…中国歴史上並み居る英雄・豪傑の中でも勇名をはせた、東門慶将軍が発明したとされる。東門慶将軍は背が低かったが、それを補うため頭上からの攻撃の有利さと敏捷性を得られる跳蚤器を考案し、大きな戦果を挙げた。当然ながら、この跳蚤器を使うには強靱な筋力と卓越した均衡感覚が必要である。ちなみに、現代でも男子生誕の折、螺旋状にかたどった面を頭上に乗せて勇敢に成長するよう祈願する風習があるのはこの名残である。
民明書房刊『中国武具−その創造と継承−』より


鎮守直廊(ちんじゅちょくろう)
 鎮守直廊…中国清代、東の大林寺に並ぶ西の空嵐寺に学ぶ拳法家達がその修行を極めた者としての証として最後に挑戦した。本殿まで一直線状に延びた直廊の中はいくつかの房に区切られ、そのひとつひとつに仕掛けや番人がおり、そこを通り抜けた者だけに修行証が授けられたという。
民明書房刊『中国武術大覧』より


鉄騎宙弾(てっきちゅうだん)
 鉄騎宙弾…拳法において身のこなしの素早さは最も重要であるが、それを倍加させるための道具がこの鉄騎宙弾である。その原理は至って単純であり、バネと体重による反発力を利用した物である。これを発明した中国漢代の武術師範・宝 浜具(ほうぴんぐ)は、これを使って地上30メートルまで跳躍し当時の人々を驚かせたという。ちなみに、日本でも昭和30年代に子供達の間で流行したこれと同形状の玩具・「ホッピング」の名称は、この発明者・宝 浜具に由来するのは言うまでもない。
民明書房刊『玩具に見る古代中国の英知』より


纏がい針点(てんがいしんてん)
 纏がい針点…その語源は動いている鍼と針の先端同士を合わせることにあり、人間の持つ動体視力と精神力を極限まで鍛え高めた時初めてできる見切り技。地上10mの高さから下面中央に鉄針のついた岩を落とし、口にくわえた鉄針で受け止めるのがその練習法である。最初は5キロの岩から始め、徐々に重さを増やしてゆきこれを会得したというには300キロの岩を受け止めることが出来ねばならない。
民明書房刊『中国拳法修行大鑑』より


纒がい狙振弾(てんがいそしんだん)
 纒がい狙振弾…棍法術最強の流派として名高いチャク家流に伝わる最大奥義。この技の創始者宋家二代呉竜府は正確無比の打球で敵をことごとく倒したという。この現代でいうゴルフスイングにも酷似した打撃法は、運動力学的観点からいっても弾の飛距離・威力・正確さを得るために最も効果的であることが証明されている。ちなみにゴルフは英国発祥というのが定説であったが、最近では前出の創始者呉竜府の名前でもわかるとおり、中国がその起源であるという説が支配的である。
民明書房刊『スポーツ起源異聞』より


天翔椿(てんしょうちん)
 天翔椿…その発祥は中国宋代に起こった青巾族の乱の折、豪傑と名高かった龍兄弟が編み出したことにある。人を頑丈なロープにくくり振り回すという前代未聞のこの技は、いわば意志を持った鎌でありその威力と攻撃力は絶大なものであった。当然両者には絶妙な呼吸の一致が要求され、血を分けた兄弟だからこそなし得る技である。ちなみに、現代で兄弟喧嘩の折、兄が弟にひもをつけて振り回す光景がよく見られるが果たしてそれが龍兄弟の血を引くものかどうかは定かではない。
曙蓬莱新聞社刊『世界名物兄弟−この兄あってこの弟あり−』


天縄闘(てんじょうとう)
 天縄闘……蜘蛛の巣状に張られた石綿綱の八方から火をつけその上で闘う。不安定な足場と、時がたつにつれ巣の中央に火が迫りくる恐怖の中で技を競い合う各闘技である。中国漢代後期、今の河北省を中心とする武道家達の間で盛んに行われた。当初は地上に櫓を組みなされていたが、次第にエスカレートし大仙峰の火口で行われたという記録も残っている。そのあまりの危険さに唐代にはときの皇帝によって禁止令が発布されている。余談ではあるが、絶体絶命の窮地に追い込まれる意味の天縄境場に入るとはここから意を発する。
民明書房刊『中国武術大覧』より


天稟掌波(てんぴんしょうは)
 天稟掌波…中国武術三千年の歴史を誇る南朝寺教体拳最大の秘技とされている。この技を極めたという明代最高の拳士、林周明は百米頭上を飛ぶ鳥を気合いもろとも一閃の元に落としたといわれる。これから俗に落鳥拳とも呼ばれている。因みに、林周明は料理人としても当代随一といわれ、この天稟掌波で落とした鳥は肉がよく締まり、これでつくられた料理は最高の宮廷料理として珍重された。現代でも最高の鳥肉をテンピン肉というはこれなり。
明明書房刊『中国三千年の歴史に学ぶ現代人の知恵』より


天釐蜘巣(てんりんちそう)
 天釐蜘巣…中国拳法には猛獣・昆虫・爬虫類などを飼育・教育して独特の技として完成させたものが多々あるが、この奥義もそのひとつである。利用される蜘蛛は中国山東省菊露山にだけ棲息するという禽瓶蜘蛛と呼ばれると呼ばれる肉食動物であり、体から繰り出される糸はピアノ線並の強度と瞬間接着剤並の粘着力を合わせ持っている。性質は飼い主に対してのみ非常に忠実で、攻撃命令が下った敵に対しては非常に獰猛無比であり、一度でもその巣にかかれば絶対に逃れられないと言う。未だかつてこの奥義から抜け出したものは皆無と伝えられている。ちなみに、英語で蜘蛛のことを「SPIDER」(スパイダー)というが、これはこの奥義を極めんと蜘蛛の調教に挑んだ西洋の武道家達がことごとく失敗に終わり、その時発した言葉「失敗だ〜」が「スッパイダ〜」→「スパイダー」と変化したのは言うまでもない。
日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談


鬼達磨刺青(とーちんとう)
 鬼達磨刺青、中国唐の時代、当代随一の拳法家と呼ばれた英翔珍が河北省の猿孫という拳法家と御前試合で戦い敗れた。英翔珍はその屈辱を晴らすべく次の試合に必勝を期し、鬼達磨のイレズミを彫り、片方だけ目を入れ、三年後猿孫と戦い、見事勝利し、両目を入れたという故事に因む。そしてこの風習はいつしか武道家や兵士の間にも広まり、いつまでも両目を入れられない者を片丹者といって蔑んだという。
英学館刊『中国武闘三千年』より


透闇視(とうあんし)
 通常完全に遮光した場所において、普通人が物体を見ることができぬのは当然であるが、それを修行により可能にしたのが透闇視である。格闘家にとり、夜間の戦いは日常茶飯であり、これを極めるか否かは生死に直結した。この透闇視の最高の使い手としては翔楔流師範・呂空雛が名高く、彼の目は漆黒の闇の中一町先を飛ぶカラスさえも見分けたという。まさに人間赤外線スコープと言うべきであろう。ちなみに現代でも光量を表す「ルックス」という単位は前出の呂 空雛すなわち、ルックスの名に由来する。
民明書房刊『EYEこそ全て』より


頭槌鐘砕(とうついしょうさい)
 頭槌拳砕…あらゆる格闘技において、手足に次ぐ第三の武器は頭である・しかも、その破壊力は手足をも凌ぐ場合がある中国拳法に於いてはことのほか重視され、武闘家達は頭を鍛えることに精進した。その修行法の究極が頭槌鐘砕であり、これは寺院の鐘を撞木の代わりに頭で突くという荒行であった。これを極めた者の頭は瘤が固まり、骨も変形し金槌のような強度・形態を有したという。中でも達人中の達人の突いた鐘の音は周囲十里(約40km)にまで鳴り響き、大晦日の除夜の鐘や、災害時の警報としても役立った。
民明書房刊『誰が為に鐘は鳴る』より


怒粧墨(どしょうぼく)
 中国唐の時代、山東省の拳法家達が好んで入れた入墨の一種。体温の上昇に伴って浮かび上がるよう特殊な墨を用いて彫ってある。そしてその効用としては、相手を威圧する以上に体表細胞組織の密度を高め、皮膚を硬質化させることにあったという。
民明書房刊『肉体の神秘』より



な行



は行


八竜の長城(ぱーろんのちょうじょう)
 八竜の長城…八竜の長城は今から一千年前、中国宋より渡った落彪大師が拳法を日本全土に広めるため築城した。剣術・柔術・空手道あらゆる武芸修行の総本山であったと伝えられる。常に堅い秘密主義の元歴史の表面には決して姿を見せぬが、歴史にその名を残す多くの武人達がこの伝説の長城を修行の場として鍛錬したという。この長城の存在は二十世紀にになってからは文献に現れることもないが現代にもまだ存在するという一部学者の説もある。
興陽大学名誉教授歴史学博士中津川大観著時源出版『二十世紀の秘跡』より


爆しょう繋飯(ばくしょうけいはん)
 爆しょう繋飯…苛烈なる中国拳法にあって自らの敗北を悟り自らの死を覚悟したとき、相手をも道ずれにすることを目的とした一世一代の最終奥義。この奥義の使い手は幼少の頃より不消化系の爆火硝石などの粉末を三度の食膳に混入し、以来成人となるまでそれらを体内に徐々に蓄積した。そしていざ有事の時、奥歯に仕込んでおいた発火マグネシウムを噛み砕き、体内の火薬と化学反応を起こさせて相手もろとも爆発したのである。この場合、敵と合体する手段として刃鋼線などで相手の動きを封じるのが通例であった。ちなみに、現代においても五目御飯のことを「カヤク御飯」と呼ぶことがあるが、その由来は前述した修行者達が御飯に混ぜた火薬であることは言うまでもない。
日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談


爆挺殺(ばくていさつ)
 爆挺殺……戦国時代一二五七年、濃越の国主富善長友の守定兼と習野の国主黒羽行康の松ヶ原合戦の折、一進一退の膠着状況を打ち破らんと黒羽軍侍大将江藤新兵衛が単身火薬を背に敵の本陣に突入し、身を挺して自爆、見事敵将友長の首級をあげたという、必殺必死の奇襲戦法である。
民明書房刊『戦国異聞記』より


盤隆氷(ばんりゅうひょう)
 盤流氷…氷洞の中で急激な高低温度差によってできるきのこ状の氷の隆起。巨大なものは直径二十メートルにもなる。北海道不知火山近くの氷洞に数多く見られる。
民明書房刊『氷の科学』より


万人橋(万人橋)
 万人橋……戦国時代武田信玄と松山勝善の合戦の折り、窮地に陥った主人松山勝義を助けるべく、侍大将楠清久は援軍を率いて向かった。しかし、松山勝義の立てこもる高楼山へ行く途中にある雛谷の橋は敵の手によって落とされていた。そこで楠清久は一計を案じ、中国の兵法書(武鑑)にヒントを得た人橋をかけ谷を渡った。このとき人橋となった者三十人は味方の兵を渡しきったあと、ことごとく力つきて谷に落ちたという。その後、松山勝義はこの三十人の勇者達を称えそこに高楼三十塚を建立した。現代でも橋を建設するときは工事関係者がこの塚に参拝し、工事の安全を祈願する習慣がある。
中津川大観著時源出版刊『戦場にかける橋』より


百人毒凶(ひゃくにんどっきょう)
 百人毒凶……中国拳法史上その暗黒の流れとして恐れられた殺人拳法。魍魎拳の修行の証として行われた。これに挑戦する者は試合前に福建省産出銀殉丹という遅効性毒物を飲み、10人一組を相手に十対一の組み手を行った。そして十人うち負かすごとにその毒物に対する十分の一の解毒剤が与えられ、十組百人を打ち負かしたとき初めて命が助かることになる。時がたつにつれて毒で体が弱ってくるのはもちろん、百人からの拳法士全員を打ち負かすのは並はずれた体力と技量を必要とするのはいうまでもない。迫り来る死の恐怖の中で人間の精神肉体の極限を極める壮絶な試練である。それを成し遂げた者は”無双士”の称号を与えられ、真の勇者として畏怖と尊敬の対象とされた。
中津川大観著時源出版刊『中国拳法裏面史』


王家の谷の守護者達(ファラオスフインクス)
 王家の谷の守護者達…紀元前三千年、世界最古の文明を誇る古代エジプト王朝では、歴代の王はその権力と富の証として巨大なピラミッドを構築し、莫大な財宝と共に死の眠りについた。そして、この王家の谷と呼ばれる一連のピラミッド地帯を守るため最強精鋭の闘士を選りすぐり「王家の谷の守護者達」と名付けた。彼らは中国拳法とは異質の特殊な格闘術を発達させたが、対戦して生き残った者が皆無なためその技の正体は一切不明である。なお、彼らは不老不死の肉体を持ち、五千年を経た現在でも砂漠の一隅に潜みその技を伝えているという説があるが確認されていない。
明明書房刊『ツタンカーメンの逆襲』より


浮木流闘(ふぼくりゅうとう)
 浮木流闘…その発祥は開拓時代のアラスカとされ、気性の荒い木樵達同士のもめ事に決着をつけるための史上類希なる苛酷な決闘法であった。もちろん、両者死亡の可能性も高い危険な決闘法であり、これに挑戦すること自体が勇気の証とされた。なお、1930年当時の州政府によって禁止されたが、現在でも密かに行われているという噂もある。
民明書房刊『アラスカ代紀行』より


プルッツフォンポイント
 この世に存在する全ての物体は分子の集合によって成り立っている。その中でも鉱物は特異な構造を持ち、その分子集合体の凝集力の一番弱い箇所に衝撃を与えると、その分子間の連鎖反応により極めてたやすく物体は破壊される。この物体の臍とでもいうべき箇所は、学術的にプルッツフォン・ポイントと呼ばれる。たとえば地球上で最強の硬度を持つダイヤモンドにおいても、そのプルッツフォン・ポイントを見極めれば、鑿の一撃で一瞬にして粉々にすることも可能である。しかしこのポイントを見つけるのは至難の業であり、先に例を出したダイヤモンドのカット職人でも30年近くの修行が必要だという。
民明書房刊『分子核構造その理論』より


噴血針(ふんけつしん)
 噴血針…古代中国医術で用いられた医療器具。これを体内に打ち込み、血液の持つ浸透圧の差を利用することにより、体内に溜まっている悪い血や膿を体外に排出させる。すなわち、現代医学で言うタンジェリン・カテーテルである。数千年もの昔、このような現代最先端の医療原理が存在したとは驚嘆のほかはない。
民明書房刊『中国古代吃驚医学大鑑』より


ベラミスの剣(べらみすのつるぎ)
 ベラミスの剣…古代ギリシャ神話時代、永遠のライバルといわれた闘いの神、ベラミスとマルスはその実力において全くの互角であり幾多の死闘を経ても決着はつかなかった。ある時マルスは一計を案じ、試合前ベラミス愛用の剣をそっくり同じ形ながらほんのわずかに重い剣に取り替えた。それと気づかぬベラミスは普段よりわずか重い剣のためおくれをとり敗れ去った。極限まで互角の二つの力が競い合う場合、どんなに些細なことであれ狂いが生じればそこに優劣ができてしまうということである。
太公望書林刊『ギリシャ神話に見る現代人への教訓』より


辮締旋風大車輪(べんていせんくうだいしゃりん)
 辮締旋風大車輪…中国清代初期、辮髪の習慣を利用した幻の拳法があった。修行には重さ100貫20寸角の雫鋼鉄を吊し、頭髪と首を鍛えたという。この拳法を会得するためには最低3個の雫鋼鉄を持ち上げ、自在に振り回すだけの技量が要求された。ちなみに現代でいう「借金で首が回らなくなる」という表現は、当時雫鋼鉄が非常に高価なため途中で買えなくなり、修行を断念した者がいたということに由来する。
民明書房刊『中国拳法大武鑑』より


宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)
 法竜黒蓮珠…その発祥は東アジア法竜半島とされ、現代では世界全域に勢力を持つ暗殺組織である。その掟は非常に厳しく、全ては血で精算される。世界の重大暗殺事件の影には必ず彼らの姿があるという。
太公望書林刊『暗黒組織類聚』


膨漢丹
 膨漢丹…現代薬学でいうプロタイン系アスコルビンマイシン。18世紀末、英国貴族達の間ではその富と権力を象徴する証は太っていることであった。そのため、当時の貴族達は腹部の大きさを競い合った。こうした時代背景にあって、各貴族の御用科学者達が腹部を膨張させる秘薬の開発を命じられたのは当然の成り行きであったといえよう。そして、その薬を最初に発明したのがエジンバラ公お抱えのE・ベルツ博士であった。この薬は現代では当然無用の長物であり、役に立たない物のことを英語でVERT’SINVENTIONというのはこれが語源である。
太公望書林刊『英国貴族の習慣・風俗』より


抛託生の行(ほうたくしょうのぎょう)
 抛託生の行…戦国時代屈指の名将といわれた毛利元就が天下分け目の砥石が原の合戦の折に戦場に送り出した隆元・元春・隆景の三人の息子と危険と苦しみを分かち合い戦勝を祈願するため、中国秦代の韓信将軍の故事にのっとり行ったのが最初とされる。戦場にある者に対する深い愛情なくしてはできない荒行である。ちなみに、現代でも使われる親がわが子を思う気持ちの強さをたとえていう「毛利三綱の情」とはこれより発する。
民明書房刊『戦国武将人情譚』より

<解説>
棘天井を用意して一本の綱によって頭上に吊した後、周囲に戦場に送り出した者と同じ数になるよう綱を配置し、一名戦死者が出るごとに一本の綱を切るという荒行である。戦場に送り出した者が全滅した場合はもちろん、切り落とした綱が棘天井を吊すものであった場合も実行者は死んでしまう。

咆竜哮炎吐(ほうりゅうこうえんと)
 咆竜哮炎吐…中国拳法に於いて異端とされた蘭家南宋派が創始したとされる秘術。その特色は黒炸塵を体内に吸入し、凄まじい勢いで吐き出すと同時に左右両刀で火花を起こして発火させ炎を放射する。それにひるんだ相手に両刀で攻撃を加える技である。この技の要諦は驚異的な肺活量にあり、10m離れた蝋燭の火を一息で消すことが出来なければ修得は不可能といわれている。黒炸塵はニトロラーコ系の微粉火薬であり吸飲しても人体に害はないが、わずかな衝撃で発火する性質を持つためその取り扱いには細心の注意を必要とされる。
太公望書林刊『中国拳法−火の考察−』より



ま行


魔翔流気法(ましょうりゅうきほう)
 魔翔流気法…太古の昔から、空を飛ぶことは人類の見果てぬ夢であった。それを最初に実現したのはライト兄弟とされているが、実は古代中国の山岳地方に住む抜娉族(ばっとうぞく)の手によって成し遂げられていたという。彼らは谷間から常に吹き上げる強力な上昇気流を利用して空を飛び、交通や軍事に用いた。もちろん誰にでも飛行できるわけではなく、選ばれた人間が過酷な修行を重ねて始めてできる技であった。ちなみにこの技を会得できるのは一万人にひとりといわれ、達成者は「抜娉万」と呼ばれ称えられたという。
民明書房刊『バットマンかく語りき』より


夢きょう楼覚(むきょうろうかく)
 夢きょう楼覚…全ての人間の感覚(視覚・聴覚・嗅覚など)はその入り口である目や耳、鼻などからそれぞれの感覚神経を経て全て中枢神経である脳へと伝礼されて知覚される。この奥義夢きょう楼覚は、玉黄石など特殊な金属でつくられた鈴から発する超高周波数の音波が脳を刺激し、特に視神経を麻痺させる効能を利用して相手の目の遠近感が幅の感覚を攪乱させる技である。当然視覚を歪まされた相手は実像を捕らえることができず、常にずれた位置にいる虚像と闘うことになる。この奥義の特色としては、鈴から発する音が人間の可聴範囲外の超高周波数であるため技にかかっていること自体悟られにくいことだが、その音源をたたれたとき技の効力がなくなるのが弱点である。当然、この奥義の使い手は己が自分の技にはまらぬよう鍛錬を重ねている。ちなみに飼い猫などが首に鈴を付けているのをよく見かけるが、夢きょう楼覚の使い手でないことは言うまでもない。
日本曙蓬莱武術協会理事長盛田慎之介談


無明察相翫(むみょうさっそうかん)
 無明察相翫…中国拳法三千年の歴史において最大の秘技として知られている。その特色は現代でいう行動心理学のケッペルの法則を応用し、相手の動きを完全に予想することにある。ケッペルの法則とは、人間がある一定条件下で心理的圧迫状態に陥ったとき年齢・性別・知力・体力・性格に関わらず全て同様の行動パターンをとることをいう。これは人間以外の動物にも当てはまり、一例を挙げれば箱の中に造った迷路にネズミを放しある刺激を与えると、全てのネズミは同じ順路を通り逃げ回る。現代最高峰の心理学理論を応用した拳法がすでに存在していたとは驚嘆のほかはない。
民明書房刊『中国拳法−その科学性』より


モルグケシ草(もるぐげしそう)
 モルグケシ草(ケシ科)…一般に麻薬は植物から抽出されることが多いが、中でもアジア北部カングール地方で産出されるモルグケシ草はその強烈な幻覚作用で有名である。これが広く知られるようになったのは西暦一三二八年カングール王国がタンジール王国に攻められた折、カングール王国のプルチャガ将軍が敵軍をこのモルグケシ草の群生する花畑に誘き寄せ、幻覚作用で敵を同士討ちさせ全滅させたことによる。ちなみに現在、このモルグケシ草の栽培は当局によって厳重に禁止されている。
民明書房刊『現代麻薬集成』より


モングール・ピラニア
 モングール・ピラニア…一般にピラニアの獰猛性は知られているが、中でも蒙古・オリノル川に棲息するモングール・ピラニアは体長も大きく、特に凶暴で土地の人々には「水中の悪魔」しとて恐れられている。その牙は百匹も集まれば、水浴びに来た水牛をものの十数秒で白骨だけにしてしまうという。ちなみにその肉は大変な美味とされ、燕の巣、熊の掌と並ぶ満漢全席三大珍味のひとつとされている。
民明書房刊『食うか食われるか!!世界食通事情』より



や行


雪ネズミ(ゆきねずみ)
 雪ネズミ…哺乳類食肉目鼠科、学名コウゲンシロネズミ。主に標高六千米以上の中央アジア雪原に棲息する小動物。その特質は体の大きさに比して強靱な力を持ち、敏捷に優れていることである。常に雪中生活を強いられるため、前肢がモグラの土かきのように発達し、別名雪モグラとも呼ばれる。その肉は大変美味であり、中国宮廷料理の極・満漢全席の主盆とされている。
太公望書林刊『動物棲息類聚』より



ら行


ラーマ・ヨガ
 ラーマ・ヨガ…一般にインドに伝わるヨガの持つ神秘性は広く知られるところであるが、その中でも別名『黒ヨガ』と呼ばれその奇跡に近い数々の秘奥義で恐れられるのがラーマ・ヨガである。その特異性は骨の骨組成細胞までも変え、自由自在に変形させることを可能にすることにある。そして、黒ヨガと別称されるように驚異の殺人格闘技として発達した。ひとりで千人の兵にも匹敵する戦闘力の凄まじさ故に、時の藩王達に弾圧され継承者は絶えたと伝えられる。
民明書房刊『インド人も吃驚!ヨガに奇跡』より


羅惧美偉(らぐびー)
 男塾名物『羅惧美偉』。その起源は遠くヨーロッパ中世ラグビー発祥の地、イギリス・イングランドにあるという。その頃、王侯達の間でラグビー(その原型というべきか)のチームを持ち、競い合うことが流行し、自分のチームを強くするためにそのような残酷な練習方法がいくたびか行われたと記録にある。
民明書房刊『ヨーロッパ中世スポーツの起源』より

<解説>
15対15で行われる試合で、全員が毒を飲み、解毒剤を取り出すための鍵の入った鋼鉄製ラグビーボールを奪い合う。武器は自由、敗者には死が待っている。

ラ・メルヴェル
 ラ・メルヴェル…17世紀フランス・ブルボン王朝では貴族政治の退廃は極限に達していた。彼らは退屈をまぎらわすべく、囚人相手に恐ろしい拷問法を考案した。それがラ・メルヴェルであり、毒を飲まされた囚人が、決して割ることの不可能な鉄球相手にもがき苦しむのを見て楽しんだという。ラ・メルヴェルとはこの鉄球を意味し、現代でもフランス各地の博物館に現存する。
民明書房刊『西欧文明−その爛熟と退廃−』より


硫篋氷樹(りゅうきょうひょうじゅ)
 硫篋氷樹…その起源は蒙古中央部で盛んに行われていた篋氷闘である。これは厚さ約1cmという薄い氷の張った湖沼を選び、そこでいつ氷が割れるかもしれぬという恐怖の中で闘うというものであった。当然、薄い氷を割らずに動くには卓越した体術が必要とされた。後に製氷技術の発達と共に3次元的動きを加味するため、樹をもした氷の上で闘うようになったのが硫篋氷樹の決闘法である。ちなみに、現代でも恐怖で身の縮む様のことを「薄氷を踏む思い」というのはここから発する。
民明書房洋書部刊『SKATER’SWALTZ』より


竜盆悌网闘(りゅうぼんていもうとう)
 竜盆悌网闘…中国拳法完成期といわれた明朝末期に盛んに行われた、二名対二名で闘う連帯組手(現代でいうところのタッグマッチ)の一種。直径三十米の大器に濃硫硝酸をなみなみと満たし、その上に長さ二十五米の悌を組む。この梯は山東省白新山で伐採された非常に軽く脆い老柔杉でつくられ、三名以上がその上に乗ると割れ落ちるように強度が計算されている。つまりその悌の上で闘えるのは両軍一名ずつで、選手が交代する場合は今まで闘っておった者が悌を完全に出てから次の者が入らねばならない仕掛けになっていた。なお余談であるが、現代でもこの老柔杉を用いて家屋を建造することは強度不足のため、法で厳しく取り締まられており、安普請の貧乏屋をさして”ラオロウ”というはこの所以なり。
民明書房刊『鉄拳記』より


壟義盾行(りょうぎじゅんこう)
 壟義盾行…戦国時代屈指の名勝負として名高い、武田信玄と上杉謙信の川中島の戦いの折、上杉方の武将・直江兼続の斥候隊が武田方の弓兵部隊の待ち伏せに遭遇し窮地に陥ったときに考案された戦法。死を決した四名の勇士が雨霰と飛来する矢に対し、互いにしっかりと肩を組み自らの体を盾として前進し突破口を開き、後に続く味方が敵を全滅させたという。以後、その戦法は至高の陣形とされ盾となった四名は上杉家の軍神として称えられた。
ミュンヒハウゼン出版刊『心に残る戦国名勝負100選』より


梁山泊(りょうざんぱく)
 起源十一世紀古代中国、動乱と野望渦巻く宋の時代−時の権力に反旗を翻し天下に受け入れられなかった豪傑・名将達が集い、別天地をつくった。彼らは自然の利を巧みに生かした一大要塞を築き上げ、いかなる大群の攻撃をも撃破した。その名も梁山泊−そこでは広大な中国全土から集結した諸流派の名だたる拳法家・武道家達が昼夜を問わず凄絶なる修行・研究を重ね、やがてそれは梁山泊馮翊拳と呼ばれるひとつの新しい流儀の完成を見るに至った。その秘技の数々と想像を絶する圧倒的な戦力は、これを極めたものひとりで兵士千人分に値するとさえ畏怖された。後に梁山泊軍が皇帝の命により行った大宋国平定はこの力によるところが大きかったのはいうまでもない。
民明書房刊『武の中国史』より


赤鞭斬(レッド・ウィップ・ジェノサイド)
 赤鞭斬…帝政ローマ時代、奴隷達を処罰するために用いられた武器。この鞭の特徴は鋭利な刃物が間隔を置いて仕込まれており、その為ひねりやしなりが自由自在というところにある。ちなみに、赤鞭の名は常にその皮部分が人の血の色に染まっていたことに由来する。
民明書房刊『世界拷問史』より


烈舞硬殺指(れつぶこうさつし)
 烈舞硬殺指…中国拳法史上その暗黒の存在として恐れられる魍魎拳法最大の奥義である。これを修行し極めんとする者は底が厚さ三十センチある御影石でできた石漕に骨をも溶かす竜硝酸を満たし、一月ごとにその濃度を一%ずつ濃くしていき、底の石を割ろうとした。日に何万回と突きを繰り返し修行すること十年、濃度百%に達した竜硝酸に耐えるスピードが拳についたとき、底石をはじめて割ることができるという。多くの者は途中で指をつぶし。底石を割れる者は万人に一人もいないといわれる。
中津川大観著時源出版刊『中国拳法裏面史』より


練活気挿法(れんかつきそうほう)
 練活気挿法…人間はどんなスポーツ選手でも自己の潜在的肉体能力を50〜60%しか使用していないという。この気挿法の目的は自己催眠をかけることによって精神的な集中力から、自らの持つ体能力を瞬間的に100%引き出すことにある。通常自己催眠に至る方法としては種種あるが、密九教の呪文を唱えることが多い。現代でも重量挙げなど瞬間的なパワーを要求されるスポーツの超一流選手達の中には、この法を人知れず体得実践している者があるという、
民明書房刊『肉体の神秘とスポーツ』より


狼蒼拳(ろうそうけん)
 狼蒼拳…一般に狼の絶大な戦闘力は知られるところであり、それを拳法家達が見逃すはずはなかった。だが、狼は極端に警戒心が強く人になれぬ為、生後三ヶ月の男子を狼に育てさせそれを克服するという方法をとった。現代でも時々狼少年発見の報道があるが、これはその修行過程にある少年を、それと知らずに社会に連れだしたものである。
太公望書林刊『狼少年−拳−』より


六忘面痕(ろくぼうめんこん)
 六忘面痕…二世紀、中国漢代後期大罪を犯した咎人に科した刑罰のひとつ。孝・忠・信・義・仁・礼の六つの徳を忘れた反逆の徒という証に左右あわせて六条の傷を顔面に切り刻んだという。現代でも不逞の輩をさして忘六者というのはこれに語義を発する。
民明書房刊『古代刑法全』より



わ行


*ご樵ずい拳など一部の用語は該当する漢字がコードに存在しないためひらがなが混じった表記となっています。また、凶解面昌殺などの技は同じ理由から代字をあてています。

表記が不統一(メートルだけでも米・m・M・メートルと四種も表記があったりする)ですが、これは私が見間違えていなければ原文そのままですので気にしないで下さい。

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男塾を去る 校庭にでる