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俺屍部屋更新雑記

夢想通信俺屍部屋限定更新雑記。文責・橘

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だいさんだーん

 現実逃避的にまた文章について語りだす。
 いい加減しつこいですが、よろしければお付き合いのほど。
 続きは「視点」について。

 視点というのは、要するにその文章の語り手のことです。
 例えば「今日は良い天気だった」という文章で、「良い天気だ」と思っているのは誰なのかということです。
 この程度のあたりさわりない内容なら、特に誰の視点と決めなくても客観的事実として成立させることもできますが、それでも例えば、視点の主がカエルだったりしたら、「良い天気」が雨だったということにもなって話が相当違ってきます。
 なので、文章の視点がどこにあるか、明確にすることはとても重要なのです。

 視点は文体の「人称」とも関係あるので、先にそっちについて説明しますが。
 まず「一人称」は自分を表す名詞のこと。「私」とか「俺」とか、「梓ねー」みたいに自分のことを名前で呼ぶ人にとっては名前が一人称になります。
 「二人称」は相手のこと。「あなた」「お前」「君」等々。
 「三人称」は、私と君以外の誰か。第三者というやつです。「彼」「彼女」や人名など。
 たいていの小説は、一人称か三人称で書かれてます。二人称もあるにはあるけど。「君は〜」という呼びかけ調の文体。北村薫の「ターン」が一部そんな感じだった。まあ、めったに見ないんでひとまず置いときます。

 一人称小説は、「私がどうしたこうした」という文章で、「自分」が語り手です。俺屍部屋の蔵書庫内では「彼岸」が由貴の一人称小説です。あと四方山草子の「孤立無援の花」は水湊の一人称。
 たいていの場合その「自分」が主人公ですが、そうでないこともあります。「シャーロック・ホームズ」シリーズは、もちろん名探偵ホームズが主人公ですが、語り手になってる「自分」は親友のワトソン医師。
 主人公であろうとなかろうと、語り手が「自分」なら一人称小説。

 で、一人称小説の場合、視点は決してその「自分」から離れません。「自分」が見て感じる世界が全てです。
 他人が本当のとこ何考えてるかは決してわからないし、「自分」がいないところで起こった出来事も伝聞推定の形でしか書けません。
 それともう一つ、語り手の性格や境遇からいって考えもしないことも書けません。平安時代の人間が雲を見上げて「綿菓子のような雲」などと形容しちゃいけない。平安人が綿菓子を知ってるはずないからです。俺屍ならいざ知らず(笑)。
 作者自身の感覚で何となく書いてしまうとこういう失敗をやらかします。だからファンタジーとか時代物とか、現代人とは異なる感覚のキャラで一人称を書くのは難しい。

 拙著「緑竜亭繁盛記」はリュンという娘の一人称ファンタジーですが、その点でアウトっぽい描写も多々あります。例えば、「晴れ渡った空のような青い瞳」って文章、一見何てことないんですが、リュンの家は一年中雲に覆われた場所にあって、青空なんか見えないんですよね……なのに、青色を見てとっさに空みたいなんて感想持つか?
 まあこれは、めったに見れないからこそ何度か他所で見たことのある青空が印象深かった、という解釈もできます。自分でつっこんで自分で言い訳するなんてバカみたいですが(笑)。
 全体にリュンは、片田舎の宿屋の女給にしては知識がありすぎるのですが、そこは一応、アンバーという博識の男が側にいて、彼から得た情報ということで不自然さをカバーしてます。それでもやっぱり不自然な感は否めないが。まあ、ギャグだしね。(伝家の宝刀)

 このように、制約が大きい一人称ですが、逆にそれが幸いして、視点のブレに関してはほとんど悩む必要がありません。ただひたすらそいつに同化して、そいつが見たこと聞いたこと感じたことだけを書いていればいいので。
 それで、他人が読んで理解できる楽しめる話になるかどうかはまた別の問題ですけど。


 続いて、三人称小説。これは、第三者視点での文章ということで、本来は制約無しの何でもありです。登場人物たちの誰も知り得ないような情報を読者にだけ知らせることも、キャラの中に入って本人さえ意識してない深層意識を明かすこともできる。宇宙の果ての誰も見ていない風景を描写することもできるし、過去も未来も行き来自在。
 しかし、それは書こうと思えば書けるというだけで、実際には、物語に必要な部分だけを書いていかなきゃしゃあないわけです。A氏の冒険譚を書いてる途中で、不幸にして彼に踏みつぶされた蟻の一生を描写しだしたら何の話だかわからないし、推理小説の冒頭で犯人の内面を明かしたらそんな本誰も読まない。
 読者を物語に集中させるには、視点をある程度固定しなければなりません。その気になれば何でも書けてしまうからこそ、自制が肝要なのです。

 さて、三人称の視点ですが、まず大きく分けて二つ。
 キャラの内面に入り込んでその視点を借りるか、全く借りないか。
 全く借りない方法だと、物語を完全に外から眺めることになります。あまり見かけないです。
 電撃文庫の「キノの旅」が割とこの手法で書かれてます。連作短編なので、話によっては文体が違いますが(犬の一人称だったり)、たいていは、誰の内面にも踏み込まず、行動や会話など客観的にわかる事実のみを積み上げて語っています。主人公のキノの心情すら描写しません。ストーリー自体がたいてい身も蓋もないというか風刺的内容なので、こういう全てから距離をとるような突き放した文体が合うのでしょう。
 人によっては淡々としすぎて物足りないと感じたり、キャラの内面は会話でしか明かせないのでやたら説明的な長台詞が鬱陶しいと感じたりもするでしょうが、何事も一長一短で仕方ない。

 キャラの内面に入り込む方法も、一人に限定する場合と複数の中に入る場合とありますが――今宵はここまでにいたしとうございます。
 眠い……

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