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俺屍部屋更新雑記

夢想通信俺屍部屋限定更新雑記。文責・橘

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また文章の話

 せっかくカテゴリーも作ったので記事増やします(笑)。佐藤先輩にも、他の人の書き方きくの参考になるからまたやってねと仰って頂いたことだし。
 今度のテーマは、「説明と描写について」で。
 小説講座本や文章批評なんかに、説明ではなく描写をしろだとか描写がヘタだとかうまいとか書いてありますが、じゃあ「描写」って一体何なのか。「説明」とどう違うのか。
 私なりに考えてることをつらつらと続きで語る。

 とりあえず平たく言ってしまえば、「彼女は綺麗だ」というのが説明で、「彼女の肌は抜けるように白く、髪は黄金の滝のようで、瞳は吸い込まれそうな深い青だ」が描写と言えましょう。質はともかく。
 辞書によると、描写とは「えがきうつすこと。特に芸術的表現において、客観的形象・事態・感情などを絵画・言語・音楽などにより適確に描き出すこと。」とあります。(goo辞書より)
 上の文章の「彼女の肌は抜けるように云々」の方は、彼女の「客観的形態」を「言語で描き出」しているので一応描写と呼べるでしょう。「適確に」の部分があやしいですが、どのみち「客観的形態」を言語で完璧に表すのは不可能です。「百聞は一見に如かず」で、どんなに言葉を尽くしたって、文章では、見るのと同じようには表現できないんで。

 小説で言う「説明」というのは抽象的。「描写」は具体的です。言葉だけ見ると逆のような気がしますが。「説明」はそのものの概念というか属性を簡潔に書くことで、「描写」はそれが実際にどんなかを書き表すこと。
 上にあげた二つの例文で、「彼女の肌は〜」の方も彼女の容貌の“説明”でしかないように思えますが、後者には具体性があります。彼女がどんな人なのか、曲がりなりにも脳裏に描ける。
 「彼女は綺麗だ」だけでは、イメージがまったく確立されません。黒髪の和風美人かもしれないし、健康美溢れるアスリートかもしれないし、素晴らしい毛並みの雌猫かもしれない。
 「説明ではなく描写しろ」というのは、上の通り、「説明」だけでは読者がそれぞれ勝手な想像を巡らす余地がありすぎて、物事が作者が伝えたいように伝わらないから。

 人物を描写する場合、外見なら、頼まれなくても目肌髪の色や身長体重、服装やスタイルまで微に入り細をうがって記述する人は少なくありません。
 問題は性格描写の方。
 「彼は優しくて誰からも好かれている。」
 こういうのが典型的な「説明」。まったく具体性がない。
 「優しい人」というのは、「優しい!」と書いた看板を背負っている人ではなく、他人から「優しいなあ」と思われる言動を行う人のことです。その具体的な言動を書くことが「人物を描写する」ということになります。
 これをちゃんとしないと、優しい人だと言われてるのにちっとも優しく見えないとかいう事態になります。天に吐いた唾が自分に返ってくる心地ですが、とにかくここは重要です。説明だけしてそれに準じた具体的な描写を怠ると、読者には看板を持って自己主張してるだけのキャラに見えます。
 「優しい人」にだって色々あります。一見ぶっきらぼうだけど実は優しいとか、ヘタレと紙一重なくらいベタベタに優しいとか、特定の誰かに対してだけ優しいとか。
 それによって、示す優しさの種類や程度は違うはずなので、それを書き分ける必要もある。優しい人だからといって、いつもいつも雨に濡れた捨て犬を拾ってりゃいいわけじゃない。

 もちろん具体的に描写しなければならないのは性格だけではありません。
 例えば、小説内に主人公の「学生時代からの友人」を重要人物として出したら、学生時代のエピソードの一つくらいは書いとくものです。
 学生時代の友人と一口に言っても、テストのたびに首位を争ってた学友と、授業をサボって屋上で煙草ふかしてた不良仲間と、事あるたびに助けてくれたナイスな兄貴分とでは、その友人はもちろん主人公の人格もまるで違ってくる。
 「彼と僕とはどんなことでも話し合える無二の親友だった」なんてことをいくら書いたって何も伝わらないしおもしろくも何ともない。「どんなことでも」って具体的にどんなこと話したのか、せめてそこは書け。
 気の利いた作者なら、ついでにそのエピソードを小説本編の伏線に使う。

 と、描写の重要さを強調してきましたが、じゃあ、説明はいらない子で全てなくせばいいのかというと、そういうことでもない。
 「描写」だけでも、作者が伝えたいように物事を伝えることは出来ません。
 何でかというと、具体的な描写では、読者が頭に描くイメージは限定できても、それによってわき起こる感想までは統一できないからです。
 例えば、彼女の魅力を表現しようと、彼女のナイスバディについて克明に描写したとして、読者がロリコンの男性だったら全く魅力的だとは思わないでしょう。むしろ書けば書くほど萎えるかもしれない。
 雨に濡れた捨て犬を拾うのが、必ずしも優しさの発露だと受け取ってもらえるとも限らない。いや普通は「不良少年の意外な優しさ」で了解してくれると思いますが(笑)、動物嫌いの人なら、うわっ濡れた犬なんか触ってこいつきったねえと思うだけかもしれない。
 だから、その描写が、彼女が綺麗であること、彼が優しいことを表すものなんだという「説明」もやはり必要なんですね。

 ただ、それは、地の文でやるのではなくて、登場人物の誰かの感想として書く。
 犬を拾ってる所を目撃した主人公に「彼って意外と優しいんだ」とか思わせるわけです。
 そうすると、主人公が「そういうエピソードを優しいと感じる人」だということもわかります。あっちの説明がこっちの描写になる。一石二鳥。
 まあ、この例のこんな陳腐なエピソードでは単なるお約束だから主人公の描写の役目なんかほとんど果たしませんが、理屈としてそうなるってことでご了承下さい。

 それともう一つ、「描写」は想像力や知識が足りないと、何のこと言ってるかわからない場合がある。
 たとえば、「白くて四角くて、少しすり減った角のところが黒くなってて、カバーには黒地に白抜きで“keep”と書いてある物」とか言われても連想ゲームみたいですよね。端的に「消しゴム」って言ってほしい。
 あと、実在の都市の街並や気候をそのまま描写したとして、その場所をそもそも知らない人には、それがどこの話かまったくわからない。

 ちなみに私が、小説で言うところの「説明」と「描写」の違いについて初めて納得したのは、児童文学の書き方の本に載っていた、下のような例文からでした。

1. 太郎くんは小学一年生です。国語が大好きです。いつも国語のことで頭がいっぱいです。

2. 太郎くんは、机の下で、国語の教科書をこっそりながめています。先生が黒板に「2+3=」と問題を書きました。「あんなの簡単、国語の“ご”だ」 太郎くんは得意げに鼻をふくらませました。

 1の文章が「説明」で、2の文章が同じ内容を「描写」したもの。記憶で書いてるので実際にその本に載ってた例文とはちょっと違ってると思いますが、だいたいこんな感じでした。
 私が特に、なるほど、と思ったのは、「小学校一年生」を「先生が授業中黒板に2+3と書いていること」で表してる部分でした。
 「小学校一年生」と属性をそのまま書いてしまうのが説明で、「小学校一年生らしさ」を書くのが描写なんだということがこの時初めて得心いったのです。
 だから、描写に正解はありません。「小学校一年生」を表す要素は無数にあります。この場合は、「ごく初級の算数の問題を授業でやっている」というエピソードで表していますが、新しいランドセルを大事にしてるとか、黄色い帽子かぶって集団下校とか、場面に応じて色々と書きようがある。
 ただ、どう書いても、「小学校一年生」は「小学校一年生」と書くほど適確には表せないんですよね。
 黒板に「2+3」と書くのは必ずしも小学校一年生の授業でしかありえないわけではない。新しいランドセルを一年生しか持ってちゃいけないわけでもない。
 だから、もし太郎くんが小学一年生だということが重要で、読者に確実に呑み込んでもらいたかったら、「小学校一年生だ」と端的に「説明」するべきなんです。
 上で書いた実際の街並みの例でも、それがどこかということ自体が重要であれば、描写だけですまさずに地名をあげてどこにあるのか説明しなくてはいけない。知らない人にもわかるように。
 それが東京だろうが北海道だろうが沖縄だろうが場所は特にどうでもいいんだ、ただ実際にあるものを書く方が描写に間違いがないから使ってるだけなんだというのであれば、説明はなくてもいいですけど。


 「描写」と「説明」とどちらも重要なのに、何故「説明ではなく描写をしろ」と描写が強調されるかといえば、たいていは、説明より描写の方を書き忘れがちだからでしょう。
 あと、文章の面白味や個性というのは描写の方で出るものだから。「彼は優しい」はそうとしか書きようがないけど、優しい彼を具体的に書きあらわす切り口は無数にあって、描写がうまいかヘタかというのはそのうちのどれを選んでどう書くかで決まる。

 とにかく描写しようとすると自然に話が長くなります。何しろ、いくら書いたって書ききるということはないのですから。私の「緑竜亭繁盛記」なんか、話の本筋がはじまる前の世界設定とキャラ紹介だけで丸々20ページ使ってます。
 その後も、だいたい半分くらいまで前振りで、実際のストーリーなんてほんの少し。
 これでは中身がなさすぎると批判されても仕方ないのですけど、私は「小説」というのはそれでもいいと思ってますから。
 内容が空っぽでも、文章を読んでておもしろかったらそれで成功だと思ってる。だから、説明的にストーリーを追うだけじゃなくて、読んでおもしろい文章になるように描写に心を砕くのが筋だと思ってる。
 だってストーリーの方が重要なら、別にそれは小説である必要ないじゃないですか。映画でも漫画でもいいはず。「小説」であるからには文章として読んでおもしろいかどうかが一番大事だ。

 もちろん、ストーリーもおもしろければそれがベストです。極端に言えばって話。

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