2009年6月9日
第13回手塚治虫文化賞(朝日新聞社主催)の記念トークショーが都内で5日夜開かれた。マンガ大賞を受賞した辰巳ヨシヒロさんの「劇画漂流」と、よしながふみさんの「大奥」について、評論家や作者らが思いを縦横に語り合った。
「劇画漂流」については、今回の審査委員で評論家の呉智英さんと、マンガ出版史に詳しいライター・編集者の中野晴行さんが「手塚治虫と劇画」と題して語り合った。
「手塚さんが開発したマンガと、辰巳さんたちが生んだ劇画は対立する概念ではないとわかってほしい」と呉さんは切り出した。劇画はそもそも、物語を主軸とする大人向けの作品として誕生したが、子ども向けのマンガとの対比で「悪」とみられがちだったからだ。
呉さんは、手塚さんが47年に発表し、戦後日本マンガの出発点とされる「新宝島」を「敗戦で疲弊しきった日本の新たな表現として、辰巳さんら当時の10〜20代に大きな刺激を与えた」と紹介。やがて登場した劇画に、手塚さんはライバル心を燃やして社会派の作品も描いたとして「手塚さんのマンガから発した劇画が、60年代後半に再びマンガと合流した」と分析した。
一方、中野さんは「手塚さんもデビュー前の10代の頃は子ども向けでなく、同級生相手にマンガを描いていた。もしかしたら劇画を見て『自分が昔やっていたことに、やっと追いついたな』と思ったのでは」との見解を披露した。
中野さんは、手塚さんも辰巳さんも初期に活躍した大阪の出版界の歴史も紹介。呉さんも、雑誌マンガ中心の東京と、貸本マンガ中心の大阪といったマンガ家をはぐくむ風土の違いなどを述べた。
よしながふみさんと審査委員で作家の三浦しをんさんも登壇。「よしながさんとここだけのおしゃべり」として、創作のきっかけや工夫、作品への思いなどを語り合った。(小川雪)