右翼共和派掲示板・過去ログ (1) |
日本にナショナリズムの課題が、なおあるとすれば、それは、戦前への回帰的な天皇制「臣民」
主義できなく、戦後以降としての共和制「国民」主義ではないでしょうか。もちろん、我々は、天
皇制の存続を否定するものではありません。
現在、所謂「皇居」は、旧江戸城跡にありますが、旧皇室典範その他においても、皇居移転の明
記はなく、現在の所謂「皇居」は、「東京行在所(行宮)」として、本来の皇居である「京都御所」
へご帰還いただき、一切の国事行為からも離れて、神社の宗家として存続していただきたいと考え
ています。
共和制ナショナリズムは、国民主権のナショナリズムであり、戦後、米国から押し付けられた占
領憲法と戦後民主主義に対して、自主憲法と、民族独立的な民主主義の確立を構想するものです。
すぐる大戦の結果、我々は、「臣民」とは異なる「国民」概念を獲得しました。おそらく、これ
が、かの大東亜の大戦から得られた最大の成果であろうと思います。
なかなか興味深いテーマですね。
やはり、これは、ナショナリズムのヘゲモニー下に、自主的民主主義を
確立せんとすることでしょうか。
現存する軍事政権下の後進国のような愚を踏襲したりする危険性はないでしょうか?大丈夫??
あとイスラエルとか・・・。まぁ、あれはあれで一種の理想だけど。
「天皇制と決別した右翼」「民主主義を踏まえたナショナリズム」と解してよろしいのでしよう
か? もし、そうだとすれば、右翼共和派とは、ちゃちな天皇主義の右翼とは本質的に異なる真の
ファシストではないでしょうか?
いい掲示板ができましたな。わが「だめ日」と今後も交流をすすめて参りましょう(^^;
さて、「臣民」概念から「国民」概念へ、という右翼共和派さんの理論は、
概念の精密さということにおいていくつか不明な点があると思います。すなわち、
第1に、前近代において個人は、「臣民」としての存在、
つまり単に「王権」という価値だけに従属していた存在ではなかったということです。
「王権共同体」からこぼれ落ち、「外部」へとはじき出された層は、
いわば「教権」という、より普遍的・非共同体的な価値によって
精神的に補完されていたわけです。
第2に、近現代の「国民」概念というものもまた、
本来は二面性があるものだったであろうということです。
つまり「民族共同体の一員」としての側面と、
非「民族主義」的・普遍的な側面です。
右翼共和派さんの「臣民−>国民」理論では、
このような「臣民」の二面性、「国民」の二面性が無視されてしまっていて、
結局「王権に従属するものとしての臣民」と「民族共同体の一員としての国民」
だけしか捉え切れてないのではないでしょうか。これが僕の疑念です。
桑名藩士河上一郎左衛門佐信繁こと他称「リベラリスト」で「アカ」と呼ばれる河上イチローで
す。うちの掲示板にもお越しいただいてありがとうございました。これからもよろしく。
基本的に、「はじめに」に書いてある内容は、私もぼんやりと思っていたことです。
(天皇は京都へ:対米従属はやめようってところ。特に私は反鬼畜米英です)
ということは、私も右翼共和派なんでしょうか?(^^;)
あとのみさっきーさんが指摘している部分についてはよくわかりません、正直いって。
♪反鬼畜米英薩長の桑名藩士河上イチローのホームページ"Der Angriff"は上記リンクからどうぞ
http://www2.baynet.or.jp/~aasasaa/index.html
「自由主義」史観、従軍慰安婦問題、そして教科書問題についてのご意見をその他お聞かせくださ
い。
私の立場は、本来、今すぐ述べるべきだとおもうのですが、あいにくただいま時間がないので、
次の書き込みで述べたいと思います。
アハハ。大変失礼。
他の掲示板で,遊び投稿用のHNで投稿してしまいました。
まあ、このHNはもう使わないのでいいんですけど、しまりませんわね。
以後、自由主義過激派でよろしく。
こちらにも是非参上して頂きたいです。
http://www.jpin.co.jp/strategy/discustext_frm.htm
我々は、対米戦を、軍事戦、経済戦、思想戦の三段階で捉えています。
軍事戦というのは、我々の理論的認識用語では、「第二次世界大戦のアジア・太平洋地域戦」、
つまり「大東亜戦争」「太平洋戦争」と呼ばれるものです。軍事戦は、敗戦に等しい結末を迎
えていますが、8月15日で終結したのは第一ラウンドで、第二ラウンドは、経済戦(貿易戦)と
して、軍事戦の「戦後」に展開され、貿易摩擦の原因をめぐる問題から、思想戦(文化戦)の段階
に入り、現在は、対米思想戦の、さらには米国輸入代理店的精神との内戦の渦中にあると言えま
す。
ただし、我々は、この思想戦を、かつての帝国日本的なものの復活思想・戦前回帰主義によっ
て戦えるものとは思っていません。なぜなら、それこそが、対米軍事戦の敗北の思想的内実だか
らです。
帝国思想は、国民的ではなく、それゆえに総動員体制は本質的に不可能であり、また決断・責
任構造の不在から指導体制も確立出来ません。
我々は、いかに否定しようとも、戦後の民主主義の中に生息しています。ということは、いか
に声高に民主主義批判の言辞や攻撃行動を重ねようとも、そのこと自体が、戦後民主主義が許容
したものにすぎないということであり、それはその存在において戦後民主主義に負けてしまって
いることを意味します。
我々は、戦後民主主義を、敵・米国により押し付けられたものとして反動的に否定するのでは
なく、むしろ帝国日本の臣民主義以後の国民国家日本への第一歩として、そこにあるプラス的な
ものを見るべきだと考えています。それは民主主義だからダメなのではなく、自主的に獲得され
たものでないからダメなのです。
我々は、戦後民主主義を栄養のある素材と解しています。ですから問題は、誰が調理するのか
ということです。我々は、それを、共和主義的ナショナリズムだと主張します。そして、この共
和制の立場において、我々は、むしろ民主主義の正統派として、戦後民主主義を葬ることが可能
となります。なぜなら、戦後民主主義は、象徴として天皇制を存続させたことにおいて、立憲君
主制の「半民主主義」でしかないからです。
ここで注意しなければならないのは、天皇及び天皇制は、戦後民主主義の「人質」ということ
です。この「人質」のため、諸般の天皇派右翼は、天皇親政論という方向でしか批判が出来ず、
そしてその天皇親政論では、天皇を象徴的「人質」とする戦後民主主義には、思想的に敗れざる
をえないのです。
戦後民主主義の打倒は、その民主主義の、天皇制的不徹底性においてなされるべきなのです。
それが共和制のナショナリズムであり、共和制ナショナリズムからすれば、戦後民主主義も帝国
臣民主義も、天皇制的同類なのです。
我々は、いかなる意味でも、天皇・天皇制を政治的に利用することを批判します。それゆえに
最悪の天皇親政論は言うに及ばず、象徴天皇制における国事行為をも否定し、天皇・天皇制を、
一切の現実政治から切り離し、真の意味での日本の精神的な根拠にすべきだと思っています。
‘世界戦略ディスカッションフォーラム’拝見致しました。御足労頂き感謝致します。
やばい掲示板が増えましたね。がんばってください。
最近の鈴木邦男さんの活動になにか物足りなさを感じているものですが、
この掲示板で、じっくり勉強させていただこうと思っております。
なにか、わくわくします。鈴木さんを徹底的に批判して下さい。(笑)
鈴木邦男氏はそういえば、「君が代きらい」と公言してましたね。
「国歌は、ワルシャワ労働歌みたいな勇ましいのがいい」だって。なるほどね。
ま、右翼の反皇室的な本性は、こういうところによく表れてるよなとも思う訳ですが。
> 天皇・天皇制を、一切の現実政治から切り離し、真の意味での日本の精神的な根拠にすべきだ
と思っています
皇室が「真の意味での日本の精神的な根拠」となった状態とは 具体的にどういう状態だと
お考えでしょうか。
僕は右翼というと、車検にとおりそうにない黒塗りの街宣車でがなりたてるだけ、という一般的
イメージでしたから、鈴木邦男氏のような民族主義者(特に鈴木氏が出てきたときは新鮮でしたね。
彼は、答えに窮したときの右翼特有の罵詈雑言や実力行使(笑)を使わないですから。好感を持って
います。一般人の感想で申し訳ないです。
http://www.teleway.or.jp/~issuikai/
わたしは鈴木さんを「新右翼」という本で初めて知りました。鈴木さんの経歴をみて驚きました。
というのも、生長の家の出身ということで、わたしも生長の家の学生の合宿の勉強会(練成会)に
参加し、天皇信仰をたたき込まれましたので、非常に親近感を持ちまして頼もしく思えました。
谷口雅春先生(生長の家の創始者)の御意志(憲法改正)を未だに忘れずに頑張っておられるん
だなあー、偉いなあと思って尊敬しています。
ただ、最近はレコンキスタも読んでいませんし、脱右翼宣言もされたようなので、現在どのよう
なお考えかはしりませんが、民族派の運動を盛り上げてこられた愛国者として尊敬しています。
鈴木さんの御著書から一番影響を受けたのは、読書の大切さを教えられたことだと思っています。
これには本当に感謝しています。一ヶ月30冊とはとてもいきませんが、できうる限り読書の時間
をとっていきたいと考えています。
一水会のホームページが紹介されていますが、何だかいっこうに更新される気配がありませんね。
(笑)
ハルマゲドンが来てもそのままだったりして...さすがに一水会だ(笑)
新右翼なんてマスコミに祭り上げられたチンドン屋にすぎません。
それに鈴木さんには、たいした活動歴もありません。
彼は学生時代は、バリケード反対の保守反動的な活動をしていた程度で、右翼の革命からもほど
遠いところにいました。思想的にも、鈴木氏は、市民主義に迎合しているばかりです。
その第一が、天皇制の存在については、世論に委ねるという発言です。
このような迎合主義は、彼が似非右翼であることを示す何よりの証拠です。
聞け、腑抜けた売国者ども!!!
11月25日、我が大日本帝國の神と化した、三島由紀夫様 の命日である。
三島様が、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内の東部方面総監部総監室で自刃した日、
そのバルコニーより撒かれた檄文の文末にはこう記されていた。
「生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。
今こそ我々は生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない、日本だ!」
完全なる至極の、お言葉である。
いまもまだその言霊は、我々に降り注がれ続けている。
素晴らしき愛国心。
これぞ、真の日本民族なり、真の大和なり!
三島様が神になられ、既に25年の歳月が流れた、そして日本国は死んだ。
防衛庁は断固、防衛省とすべし!
そして、腑抜けた売国者の刺激を避けるが為の“自衛隊”などという
偽りの表現は止め、“日本軍”とすべし!
今こそ大日本帝国の復活のときだ!
さあ、立ち上がろうではないか、諸君!!!
「民族主義」を唱えるなら、天皇は否定せねばならんのぅ。
なぜなら、彼らは朝鮮から渡って来た、渡来人の子孫だからのぅ。
旧来よりアイヌの人々が弾圧されていたのは、朝廷の東北遠征が
ことごとく失敗した恨みを、一身に受けていたからなのじゃ。
明治政府から戦時中政府までの、東北蔑視は、まさに2000年の恨み。
本物の日本人は、関東から北にしかおらんのよ(笑)。
朝廷は明治になって初めて、琵琶湖以東に足を入れたわけだからな。
ご意見を
http://www2t.biglobe.ne.jp/~genshiji/cgi/minibbs/minibbs.cgi
一水会の鈴木氏に対する個人的な言及がありますが、私たちは、鈴木氏が、本物なのかニセもの
なのかということには、興味はありません。私たちは、個人的なことではなく、思想を問題とする
のであり、そして思想には、本物もニセものもなく、ただ、異なる立場があるだけです。
さらに、思想上の敵に対しても、私たちは、基本的に、かつて乃木将軍とステッセル将軍が相対
した「水師営」のようにありたいと考えています。
なんか観念が暴走しているようで。
ここらで みなさん 猫さんと猫的旅情に出かけては。
新しい発見があるかも。
黙って見てよ、思うたが見苦しくってたまらんわ(レス不要。)。
http://www.yo.rim.or.jp/~djkenta/cgi-bin/minibbs.cgi
nikecatという人は、自分の立場がなくなると、下のような発言をされるようですな。
他のBBSを見ても思いますが、観念が暴走しているのはnikecatさんですよ。
それに、あなたの天皇観は、かなり便宜主義的で、御都合主義のようですね。
あなたは、超極右のBBSで、
「皇室が必要なのは僕の考えでは主権者と利害の当事者を区別した方が
よいからだと思います。」
と述べておられるが、皇室の必要性は、そのような「・・した方がよいから」という実利的理由
にあるのではないですよ。
それに別なBBSで、熊本敬神党(神風連)を、「知らない」と書いてますが、天皇をきちんと語
ろうとする者にとって、神風連を知らないというのは、話にならない無知ですよ。
生意気に、分かったようなことを言う前に、基礎的勉強をしてきなさい。
神風連は、日本の国粋天皇派のルーツみたいな存在です。あなたの天理教崩れの、にわか天皇観
とは異なります。
我輩、「大本営」なる掲示板を運営いたしたる者。
このたび、本掲示板と兄弟杯をかわし、勝手に弟分にさせてもらいたく、参上つかまつった。
かくなる上は、お互い相互歩み寄って、「ごっこ遊び」に精を出そうではないか。
まま、一方的に押しかけるのもなんなんで、「大本営」にも来て下され。
http://www.tcup1.com/139/UDON.html
今、我々のHPを作っています。
とりあえずは、表紙と序文だけをアップしておきます。
右翼、民族、歴史、天皇、その他、右翼を包む多くのテーマや問題について、
単なる心情の吐露ではなく、明確な思想として提示していきたいと考えています。
我々に対しては、天皇親政派の右翼から、共和制に対して、天皇無視という批判があり、
さらに共和制ナショナリズムは、右翼というより、ファシズムではないのかという
ご指摘もありました。
極左の方からは、敵とするに値する、まともな右翼というような過大な評価をされて
いるようですが、我々は、徒に声高な感情の主張や、テロリスト的な孤高主義ではなく、
真剣に思想的問題として、日本、民族、天皇、政治、文化、その他を見ていきたいと
思っています。
たとえば、現代の思想空間を独占している感のあるフランス思想の本質的な欺瞞性
についても、明らかにしていく予定です。
かつての仏印進駐の思想的意味を問えば、現代フランス思想は、崩壊するでしょう。
ゲイの権利が公に言われるのにどうして独身者の権利が否定されるので
しょうか。妻帯者もいれば独身者もいるのが健全な社会と思う。
日本のヘドの出るような村落共同体意識は何が悪なのでしょうか。
既存の神道ではこの問題に対応できない感じがします。もっとも神道の
真髄は独身者も受け入れているのかもしれませんが。<--勝手な期待。
国学の立場からすれば、天皇様を中心とすることの意味は、
国体(くにがら)としては、
1、 為政者による権力私物化に対する精神的抑制効果
1、 権威と権力の分離による為政者の独裁、及び、個人崇拝の防止
1、 神話を背景とした国民規模での自発的な道徳の共有化
1、 信仰を基盤とする神権政治においては、多神教の神たる自覚により生まれる使命に
2、 反することは、自分が神であるという信仰に反することなので、信仰を持っている
限り、自分が神だからといって専横を尽くしたり、私腹を肥やす事もない、という神権
政治の長所に加え天皇様の無私(恣意、主観的なきめつけ、思い込みのないこと)の御
心により神権政治の短所を克服したもの。
1、 君民共治による国民の政策決定への直接参加(代表制民主主義は
委任独裁故に国民の直接参加により初めて君民共治となる。
1、 人のもとではなく、天皇様と思金の命様(自然論理)のもとに行う
政治つまり、為政者が天皇様の無私(恣意、主観的なきめつけ、思い込みのないこ
と)の御心に学び、自然論理(明らかに見えたる理=多角的な視点から実証済みで
あり、実証過程が理論化された経験論的理論)のもとに行う政治 が有り、
信仰としては、
1、 正神界との結縁と天皇様の御取り次ぎによる神祇からの神恵、
2、 大御神様の神勅による、天壌無窮(永遠)の天皇様の御心(永遠である理論で
ある故に真理)をいただき、己の心とすることによって得られる大安心。
3、 天皇様の中心として行を積み生神(現人神)となる。
が有ります。天皇様は他国の王侯と違い、身分の上下や形式的道徳などの世俗的な
ものとは無関係であり、釈迦やキリストのごとく宗教的なものです、ここで問題
になるのが釈迦やキリストは個人としての偉業あるのに、世襲製ではどうなるのか
ということですが、天皇さまは大御神様の神勅を守り神たる使命として、人類のため
に祈りを 捧られるが故に、又、人類を霊的に守護されるので尊いのです。
キリストや釈迦は一代限だったのですが、皇室は何代も続くということは毎時代
救世主が出現して霊的救済を行われているということです、日本のみのことであり
有り難いことです。
ちなみに、王侯は、人の上の人なのですが、外国の王侯の場合、王侯たる者は徳性を
備えていなければならず又、逆に徳性をそなえていると見せかけることで独裁者たる
ことを覆い隠したりするのですが、人というのは王侯であっても人欲から逃れられる
ものではなく、その為、聖人の教え(儒教)で自分を正当化したりします。
また、たとえ、名君であろうとしても、その権力が権力闘争の結果たる世俗的権力基盤
ならば、権謀術中から逃れるすべはないのです。
これに対して天皇様は大神であり、信仰を基盤とする故に、世俗の権力闘争とは無縁
なのです。また、この様な国体の下では、自分が神であるという自覚は、神として行動
しなければならないという使命感を伴い、この使命に反することは自分が神であると
いう信仰に反するので、信仰を 持っている限り必ず善を行うものです。
さらに、神というのは、自分は神だと奢ることではなく、制度的にも自分が神だからと
いって得をすることがないという神観をもつ社会ならば、インチキ新興宗教の教祖など
の入り込む余地もないでしょう。
初めまして。率直に言って貴方々の思想は、
私の考える国家社会主義と非常に似通っている気がします。
世間からは批判が多い思想ですので(苦笑)、
申し上げるのは失礼かと思いましたが、私自身は本当に、
正真正銘の国家社会主義者です。ファシズム的である事を、
批判している訳でも、茶化してる訳でもありません。
そこで質問ですが右翼共和派の立場から、国家社会主義を、
どの様にお考えでしょうか?よろしくお答え下さい。
国家社会主義といいましても、例えば、ドイツのラッサール流の国家社会主義がありますし、
わが国には高畠流の国家社会主義があります。さらにフィヒテなどもそのように解されていま
すし、中野正剛もまた国家社会主義的ですし、ドリュ・ラ・ロシェルの「ファシスト社会主義」
やエルンスト・ユンガーの労働者国家構想も国家社会主義的です。
一般に、国家社会主義といえばナチスの謂いともされるむきもありますが、ナチスの場合は、Nationalsozialismus
ですから、国家ーーーでも、民族ーーーでもなく、国民社会主義と訳す
べきであり、また単なる日本語表記の問題ではなく、そのような概念的内容において捉えるべ
きだと考えています。
我々は、ナチズムの限界は、党派主義にあったと見ています。大日本帝国が家族の延長にと
どまり、ついに近代の国家意識に到達しえなかった(それが戦争敗北の思想的内容です)のに対
して、ナチズムは、その党派主義において、権力は獲得しえましたし、ドイツ人の統合(オース
トリア、ズデーテンラント併合)において、カイザーの帝国がなしえなかった国民国家を形成し
ましたが、にもかかわらず、国民的存在たりえなかったと思われます(それがドイツ敗戦の思想
的本質でしょう)。
ただ、家族(帝国)から、民族(国民国家)への過渡的存在としてナチス的な党派主義は、不可避
なる通過点ではないかとも考えています。
「国家社会主義」さんが、お考えの、国家社会主義とは、どのような国家社会主義なのでしょ
うか。
初めて書かせて頂く。私は12/11の「国家社会主義者」氏とは別人である。
まずNationalismという語の訳なのだが、大抵は「国家主義」と訳され、その内容よって「民族
主義」と「国民主義」に分類できるという見方が一般的だと記憶している。
また、これも一般論だが、国家社会主義は「国家主義+修正社会主義」という形態を指すと考
えれば間違い無いのではないだろうか。
蛇足だが、私も右翼共和派は本質的に国家社会主義そのものではないかと考えている。
乱筆乱文失礼。
英語のNationalism、ドイツ語のNationalismusの訳語は、なかなか難しいです。
これはつまり「Nation」の訳の難しさですが、その難しさはどこから来るのかと言いますと、
思うに、日本と、当該外国の民族の歴史的状況だと思われます。
Nationalismも、以前は「国家主義」の訳語が軸になっていたかもしれませんが、1970年以降
は、日本語における「国家」「民族」「国民」を内包するものとして「ナショナリズム」という
カタカナ訳というか、音訳が支配的になっています。
おっしゃられている「国家主義 + 修正社会主義」としての国家社会主義は、日本では高畠流の
それに近く、ドイツではラッサールの「Staatssozialismus」などが該当するのではないかと思い
ます。
それに対して、ナチスの「Nationalsozialismus」は、ナチスが、国家を民族の意志実現の機構
と見なしていたことから国家社会主義ではなく、国民社会主義の訳が定訳になりつつあります。
「修正社会主義」という点では、我々は社会主義的と言えるかもしれません。
我々は、社会・経済においては、単純な「平等」主義ではなく、「公平」でなければならないと
考えています。
もっともマルクスの社会主義も、旧ソ連型のものや、反共主義者が思い描いたような社会主義と
は異なり、平等を原理とはしていませんが。
マルクスの著書を読めば、旧ソ連などよりも、経済を自由化した中国の現在の体制の方が、彼の
言う社会主義に近いように思われます。国家よりも党優先ということからすれば、それは、共産党
(国家)社会主義と言えるかもしれません。
国家主義に関しては、我々は、個人の私的自由に対して、上から国家的な意志を制度的に強制す
ることには、いささか疑問があります。国家的結集は、上から権力的に統合される内容でなされる
のではなく、下から、国民の意志の政治的確立としての国家という意味では、我々は、国民主義で
す。つまり、国家主義には違いありませんが、どのような国家なのかが問題であり、
我々は、国民的な国家を主張し、帝国的な国家には批判的です。
右翼共和派さんの説で疑問なのは思想的には可能でも現実的に可能かということです。全員一致
で賛成なら右翼共和派さんの説は可能でしょうが反対派がいた場合に錦の旗のもとに潰すのではな
いかと思うのです。
仮説として天皇派を自称するカルトが天皇の敵として右翼共和派さんたちを潰してカルトが政権
を奪ってしまう危険もあると思うのです。右翼共和派さんの説では政権の空白が生まれそこに悪質
な自称天皇派のカルトが入り込むすきを与えるように思うのです。
はっきり言って右翼共和派さんの説は複雑過ぎます。もっとシンプルで民衆がすぐ納得するもの
でないと反対派に足をすくわれます。
>手前勝手で無知なnikecat氏 投稿者:肥後国学派 投稿日:11月30日(日)06時41分
22秒
肥後国学派さんは天理教について発言していますが僕は天理教とは本質的に関係ありません。
僕は大学の友だちだった人との関係で天理教と関係しただけであって僕自身は天理教の信仰を持
つまでは行っていません。
僕自身天理本部主催の修養科に行って出た結論は天理教は邪教ということです。
さらに疑問を言うと右翼共和派さんの説を実現するには十分な経済力と強力な軍事力がないと
できないと思います。金も軍事力も無い人が国家安泰、国家繁栄を考えるスタンスとしては天皇
親政しかないように思います。
逆説として天皇親政論は金も軍事力も無い人が国家安泰、国家繁栄の願いから生まれたとも言
えると思います。
http://kyonan_net.awa.or.jp/bbs/keijiban.cgi (鋸南ネット)
http://tele.hidanet.or.jp/~a5farm/guestbook.htm (A5ファーム)
http://www.tcup2.com/203/ymorikaw.html (女性は太陽:鈴鹿市政だより)
http://www.tcup1.com/131/akarui.html (明るい東大阪をつくる会)
http://www2.tip.or.jp/~kondou00/tousyo.htm (海峡:下関市政だより)