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豪華な花道だった。4月18日、高砂市で行われた元日本バンタム級王者の三谷将之さん(24)の引退セレモニー。リング上には、長谷川穂積、名城信男の現役王者に加え、辰吉丈一郎、畑中清詞、山口圭司、飯田覚士と6人もの新旧世界王者が並び、スーツ姿の三谷さんへねぎらいの言葉を送った。スクリーンではこれまでの試合VTRをまとめたダイジェストが流れ、「高砂に天才少年あり」といわれた三谷さんの早すぎる引退を惜しんだ。
引退の理由は右目の網膜剥離の発覚。昨年7月6日、世界戦敗戦から再起を図る世界ランカー池原信遂とのノンタイトル戦で6回負傷判定で辛勝したものの、大きな代償を負った。手術で視力は0・8まで回復したため続ける選択肢はあったが、山下忠則会長は再発の危険を理由にボクシングをやめさせた。皮肉にも手術後の10月に世界挑戦のオファーが届いていた。苦渋の決断だっただろう。
会長が「天才少年」を見初めたのは三谷さんが中学2年の時。元姫路木下ジムトレーナーだった会長は04年に高砂市に高砂ジムを設立し、三谷さんにバンタム級では長身(173センチ)の距離を生かす基本に忠実な戦い方をたたき込んだ。時にはメキシコで90日もの合宿を敢行し、世界ランクに入っても「強い選手と戦って実力を証明しないと意味がない」と強気なマッチメークで数々の強豪と対戦させてきた。三谷さんも会長の期待に応えるようにジム設立から2年半で日本王座獲得。新興ジムの若きエースという看板を背負っていたからだろうか、彼は年齢よりもずっと落ち着いて見えた。
「アイツが何を考えているのか、オレにはようわからんのよ」昨年5月ごろ、会長に昼ご飯をごちそうになった時、ぽつりともらした言葉は以外だった。私はボクシング担当になって間もなかったが、2人は一心同体のような関係だと思っていたからだ。しかし、三谷さんを取材していくうちに分かってきた。切れ長の目から一見怖い印象だったが、話すと実に木訥(ぼくとつ)とした青年で、口べた。報道陣の前で本音をぶちまけることなど決してなかった。2月に日本王座から陥落し、1試合をはさんで「サバイバルマッチ」と銘打っていた池原戦はこれまで以上にリスクの大きな試合だった。負ければ互いが背水の陣。本当にこのマッチメークで良かったのか? 悩む会長の姿は、会話の少ない息子の本音を測りかねる父親のようだった。
三谷さんがうれしそうに話したことがある。交流のあった大相撲元横綱・貴乃花親方のことだ。07年の年末に約3週間の相撲部屋への出げいこを終え、2人で都内を歩いていた時、親方は突然「ちょっと待って」と高級ブランド・アルマーニのお店に入っていったという。そしてジャケットをプレゼントしてくれた。「そういうことを自然にできることがかっこいいですよね…」親方からはその後も試合ごとに花が届けられ、後楽園ホールの試合には観戦に訪れてくれた。言葉数は少なくても、誠実で芯の通った姿。希代の名横綱の強さと人間性を三谷さんはアスリートとして目指していたのだろう。一方で、反抗心や野心を表に出さない姿に会長が「よくわからん」と物足りなさを感じるのも無理はない気もした。
11年目のコンビ解消は、ボクサーの夢を打ち砕く不可抗力によるものだった。先日の引退セレモニーのその日、いつも陽気に話をしてくれる会長は報道陣の取材に答えなかった。三谷さんを取材する私たちの姿を後ろから眺め、「会長、何かひと言」と声をかけると、悲しそうににっこりと笑ってから部屋を出て行った。代わりにくれたのは自費で作成したDVDだった。過去の三谷さんの試合を収録したもので無料で関係者に配布。セレモニーは、パンフレット、ポスターに始まり、演出すべてがよく出来ていた。元世界チャンピオンでもここまでしてもらえる選手は少ないだろう。
三谷さんは会長と対照的に晴れ晴れとした表情で「会長には本当に感謝しています」と相変わらずの短い言葉で話した。新聞記者としてはもっとコメントが欲しい気もしたが、それが彼らしかったので無理に聞かなかった。自宅に帰ってDVDを見ると、三谷さんの腕を上げて勝利に喜ぶ会長の笑顔が何度も何度も映し出された。言葉では表せないありあまる愛情は、将来きっとトレーナーとなって選手を育てるであろう三谷さんの心の財産になるはずだ。父親と息子の関係と同じように。
(2009年6月8日14時52分 スポーツ報知)
02年入社。大阪府出身。文化社会部での宝塚歌劇、運動部でのオリックス担当などを経て、昨年からボクシング担当。リングサイドでの初取材では、ボクサーの鮮血が顔にかかって卒倒しそうになったが、今ではすっかり拳闘の魅力にハマっている。