2009年5月31日

辻井伸行さんファイナルに進出



今日の演奏が終わり、6人のファイナリストがつい1時間ほど前に発表になったところです。辻井伸行さんもその6人のうちに入りました。辻井さんご本人とお母様、ホストファミリーの夫妻と一緒に興奮を分かち合って帰ってきたところです。

今日の午後の辻井さんのリサイタルは、課題の現代曲のほかはベートーベンのソナタ「ハンマークラヴィア」だけという大胆なプログラムでした。いやー、すごかった。この曲はベートーベンの数多くのソナタのなかでももっとも難しい作品で、リズムや色彩がどんどん変わったりするので、もちろん弾くのもとても困難ですが、曲のつくりを理解するのも難解で、聴くほうも座って気楽に聴いていられるようなものではありません。私は、隣の席のおじさん(これについてはまた後ほど書きますが、毎日通っていると、近くの席の人たちとすっかり仲良くなるのです)がもってきた楽譜を見ながら演奏を追っていましたが、なんと難解な曲なんだろうという思いを脱すると、辻井さんの音の輝きや暗さや怒濤や静けさが次々におそってくるので、45分ほどの演奏じゅう、ずっと息を呑んでいる状態でした。あー、すごかった。私自身をふくめ、聴衆は辻井さんの演奏を聴くのは室内楽も含めるとこれで3回目なので、「目が不自由な人がこんなに弾けるなんて」という思いはさすがに次第に忘れて、それよりなにより辻井さんの生み出す音楽の力に心動かされます。またしても、ホール全員総立ちブラボー。彼がファイナルに進むことは皆が予想していたことだと思います。

こうなったら、日本の新聞やテレビ局もぜひ取材にフォートワースにやってくるべきだと思います。

6人のうち、5人については私の予想が当たっていました。私のたいへんお気に入りであるHaochen Zhang, そしてDi Wu, Yeol Eum Sonが入ったのでとても嬉しいです。6人のフィアナリストのうち4人がアジア人というのも、Musicians from a Different Shoreの売り上げにつながってくれればいいのですが(笑)。

他にもたくさん書きたいことがありますが、長い一日で疲労困憊したので、今日はここでおしまいにします。

2009年5月29日

「ハンサムな白人の男の子は室内楽が下手である」

今日でセミファイナルが半分終わり、ソロリサイタルと室内楽それぞれ6人ずつ聴いたところです。今日は、この6人の室内楽を聴いて私が達した無茶苦茶な結論:「ハンサムな白人の男の子は室内楽が下手である」。こういう無茶苦茶なことは私の本業である学問の世界では絶対言えないので、ブログで言います。(笑)

今までの6人の室内楽の演奏のうちで、私がいいと思ったのはDi Wu, 辻井伸行さん、そしてAlessandro Deljavan。これに対して、特によくも悪くもなかったのがRan Dank、よろしくなかったのがEduard Kunz、Michael Lifits。よろしくなかった二人は、ハンサムな白人の男の子です。私がもっと若かったらすっかりとろけてしまうようなルックスですが、実際には私より一回り以上も年下なので、とろけてしまうというよりは「食べたくなっちゃうくらいキュート」という感じ。この二人の予選のリサイタルはどちらも私はとても気に入っていたのですが、室内楽はよろしくなかった。Kunzについては昨日書きましたが、なんか自己満足で勝手なことをしてしまって、弦とのまとまりもないし曲としての筋も途切れてしまうのです。それに対して、Wu, 辻井さん、Deljavanは、弦とぴったり呼吸が合って、テンポや音量を変えていくときも、ちゃんとみんなと合って聴衆の納得のいくような変化ができる。

これは、「ハンサムな白人の男の子」は、基本的に自分が世の中の基軸であることに慣れていて、他の人に合わせるとか全体のなかでの自分の位置というものを考えることをしないからではないでしょうか。自分が大好きっていう感じもします。自分が大好きでもちろん結構なんですけれど、自己陶酔的に勝手に進んでいかれても、室内楽ではうまくいきません。それに対して、よくできていた三人は、アジア人女性、目が不自由なアジア人男性、そして、失礼ですが決してハンサムとは言えない、あきらかに「モテる」タイプではないイタリア人男性。こういう、メインストリーム社会の尺度で周縁に位置している人たちは、「ハンサムな白人の男の子」と比べると、世界において自らがおかれている位置というものを普段から認識して生活している。さまざまな差別や偏見や嘲笑も受ける。そうしたなかで、自分と社会の関係をつねに意識しながら、音楽を通じて自らの声というものを創りあげてきた人たちなわけです。そうした人たちは、もちろん強い自我やアイデアは持っているけれど、それをただひたすら全面に押し出して大声(またはやたらと小さい声)で言ってみてもうまくいかないことを知っていて、他の人たちと合わせながら、自分の役割をしっかりと演じ、前に出るべきときは前に出てしっかりとものを言い、後ろに下がるべきときはきちんと下がる。室内楽にはこういうことがとても重要なんじゃないかと、Deljavanのブラームスを聴きながら思いました。私は彼の予選のリサイタルは、なんだかいかにもイタリア人男性っていう感じのマッチョな演奏だなあと思って、それほど気に入らなかったのですが、今日の室内楽を聴いてすっかり見直しました。

ソロのリサイタルに関しては、私はYeol Eum Sonは少なくともファイナルには進むべきだと思います。私は予選のときも彼女の演奏はとても好きでしたが、今回のもとてもよかった。選曲にしても演奏のしかたにしても、spunky(って日本語でなんて言うんでしょう)なところのあるのが私の好みです。予選のハイドンに始まる「伝統的」なプログラムのときは、まるで18世紀の宮廷舞踏会で着るような裾の長いピンクのドレスを着て、今回のドビュッシーに始まるモダンづくめのプログラムにはそれに合ったセクシーなtemptressのようなドレスを着て登場するあたり、プレゼンテーション全体もよく考えてあって、拍手。

2009年5月28日

セミファイナル第一日


こんなことを世間に公表してもしょうがないですが、今日は私の誕生日なんです。誕生日を、こうして素晴らしい音楽にあふれて過ごせるというのは、本当に幸せなことです。

今朝は、先日のブログで紹介した坂本真由美さんをインタビューしました。彼女は残念ながらセミファイナルに残らなかったのですが、演奏は本当に素晴らしかったし、とても興味深いお話を聞くことができました。坂本さんは、芸大を卒業後、ドイツのハノーヴァーで勉強をし、チャイコフスキー・コンクールをはじめとする世界のいろいろな大きなコンクールの経験があるので、他のコンクールとクライバーン・コンペティションの比較について、洞察力のあるお話を聞かせていただきました。それについては後日またゆっくり書きます。

さて、今日はセミファイナルの第一日です。セミファイナルでは、クライバーン財団によって委嘱された現代曲一曲を含む60分のソロリサイタル(曲目は予選とはすべて違うもの)と、タカッチ・カルテットとの室内楽の協演ですが、それぞれの人のリサイタルと室内楽は別の日にあります。というわけで、今日は、3人のリサイタルと、それとは別の3人の室内楽でした。面白いもので、予選のときに聴いたのと印象が違う人もいます。私はこんなに長期間緊迫する状況に自分が身をおいたことがないので想像でしかできませんが、セミファイナルというのはおそらく気力体力的にかなり難しいのではないでしょうか。予選が終わったばかりでまだ疲れも残っているだろうし、予選とセミファイナルのあいだが短いのでセミファイナルの曲を練習する時間が限られているし。ファイナルだと、もうこれが最後だと思って最後の一滴まで自分を出し切るという勢いがあるでしょうが、ファイナルに残ったらまだ後にも大きなコンチェルト(がなんとふたつ!)とリサイタルが残っている(でも残っていないかもしれない)などと思うと、なんだか中途半端で、集中するのが難しいのではないかと思います。私の印象では、今日演奏した三人のうち二人は、予選のときの演奏とくらべるとちょっと元気と色彩が欠けていると思いました。もう一人、ブルガリア人のBozhanovの演奏はとてもすばらしく、ベートーベンのソナタは私がこれまでに聴いたことのある演奏とはまるで違う曲のような音色とヴォイシングでした。シューベルトも、メロディーの透明さと他の線や和音の柔らかさが絶妙でした。現代曲は、なにしろこちらも初めて聴く曲なのでどう思っていいのやらよくわかりませんが、とにかく彼自身がこの曲が好きで弾いている、ということが伝わってきたのがよかったです。演奏は素晴らしいけれどどうも私は彼の様子からにじみ出るパーソナリティにどうも気に入らないところがあるのです。知りもしない人のことを舞台のむこうで見て勝手に判断して評価するのはまったくもって不公平であるのは百も承知ですが、そういった要素が生で演奏を聴くという経験の一部をなすのも否めません。

さて、室内楽ですが、これはとても面白かった。イスラエル人Dankのブラームスはまあ特別よくも特別わるくもなかったと思いましたが、ロシア人Kunzのシューマンは明らかによろしくなかった。あまりにもよろしくないので、私は演奏の最中に鞄からノートを取り出してコメントを書いてしまったくらいです。そのコメントの要旨はこの通り。クライバーン・コンペティションの正式ブログに載せるにはちょっとためらいました(が結局このまま載せました:))が、私のブログを読んでいる人にはOKということで(笑)、この通り。「これはまるで悪いセックスを見ているようだ。初めはやたらとゆっくりで、速いセクションに至るまでの論理的な展開がない。彼の演奏は自己満足的で弦を犠牲にしている。気取って嫌味なルバートやピアニッシモをやたらと入れるので流れが途切れる。彼のベッドのなかでの振る舞いが想像できるようだ。やたらとゆっくり始めて、じらして、でもいざ流れができたと思ったら相手を置いて自分ひとりだけ満足してしまう。彼の顔の表情とか身体の動かしかたまで、なんだか自慰的だ。テンポの変化に筋が通っていないので、速いセクションでは弦が無理をしているように聴こえてしまう。強弱の変化も同様に筋がない。室内楽というのは、マスタベーションじゃなくて、みんなで一緒に楽しむものなんだから、もうちょっとコミュニケーションを大事にすべし。」私は彼の予選のリサイタルはかなり気に入った(けれど、彼の演奏にとてもネガティヴな反応をした聴衆も多かったようです)ので、残念。

それにくらべて、同じ曲を弾いたWuは素晴らしかったです。これはそれこそ「いいセックス」の例のようで、ちょっとflirtatious(これは日本語になんと訳していいのかわからないのでこのままにしておきます。『新潮45』の連載を読んでくださったかたには、わかりますね、flirtの形容詞形です)だったり戯れ合ったりする部分もありながら、お互いの呼吸を読み取って、一緒に盛り上がっていく過程を楽しむ。彼女自身も、演奏しながら音楽を心から楽しんでいるのが、表情からもよくわかりました。まあ、そうした笑顔もパフォーマンスの一部で、ちょっとわざとらしいととらえることもできるでしょうが、聴衆も、どうせ見ているのなら演奏している本人たちが楽しんでいるほうがこちらも一緒に楽しい気持ちになるというものです。Kunzと比べるとあきらかに余裕もあって、こちらもゆっくり楽しめました。

2009年5月27日

タカッチ・カルテット・リハーサル風景




今日はセミファイナリストがリハーサルをするための中日なので演奏はなし。私は昼にちょこっとKimbell Museum(以前にこのブログで私のお気に入り映画をリストアップしたときに、『マイ・アーキテクト』という映画を挙げたと思いますが、それでとりあげられているのがこの美術館を設計した建築家Louis Kahnです)に行ってから、午後はクライバーン財団長のRichard Rodzinskiに2回目のインタビューをしました。クライバーン・コンクールの歴史のなかで審査のプロセスがどのように変化してきたか(1997年までは、予選と準本選では、審査員はそれぞれの出場者が次の段階に進むかをYesかNoの投票をするだけだったのに対し、2001年からは複雑な数学的手法を使ったランキングの仕組みにかわり、新しい方法のほうがいろいろな点でメリットが多い、とのことでした)、演奏プログラムがどのように代わったか(1987年以来、室内楽と委嘱の現代曲以外は必須の曲目を廃止して出場者が自由にプログラムを選べるようにした)などの話に加えて、「純粋」な音楽的要素以外の要素(服装、身のこなし、演奏中の顔の表情など)がどれだけ審査員の評価に影響するか(むりやり答を要約すると、「そうした要素が考慮に入らないとは言えない。つまるところ、『パフォーマンス』『プレゼンテーション』を審査しているわけだから」ということでした)など、とても興味深いお話をうかがいました。

そして私は、コンクールのドキュメンタリーやウェブキャストの撮影現場を観察したい、とお願いしたところ、早速リハーサル風景を撮影中の監督に紹介していただき、撮影現場を舞台で見学することができました。タカッチ・カルテットがセミファイナリストとリハーサルをしているところを数メートルのところで生で見られるなんて、私は天国にやってきたのかと思う気分でした。私は、もの、とくに芸術作品ができるまでのプロセスにとても興味があるので、ある意味では完成作品や演奏をみるよりもリハーサルを見るほう私にとっては面白いのです。今回はリハーサル風景も生でウェブキャストされているので、一般には公開されていないこのリハーサルも世界のどこでも見られるという素晴らしいことになっていますが、やはり現場で生で見ると、ピアニストとカルテットのコミュニケーションの様子が直に感じられて面白いです。私はDi Wuと辻井伸行さんのリハーサルを観察することができました。Di Wuは、室内楽の演奏の経験が豊富であることが明らかで、演奏を作っていく過程の話し合いにも積極的に参加し、見ていて楽しいリハーサルでした。目の不自由な辻井さんが、どうやってカルテットのキューを読み取ったり演奏中のコミュニケーションをとるのかと興味がそそられるところでしたが、辻井さんが首を振るのをキューにして始める、という合意ができてから、いざ弾き始めてみれば、目が見えないからといってとくに他のピアニストと変わることもなく、息のぴったり合った演奏でした。目が見えないことよりも英語のほうがバリアだったような印象です。ただ、通常のリハーサルのときのように、「X小節めからもう一度」とか「2回目のDからやってみよう」とか言っても、楽譜が見えない辻井さんにはわからないので、そばで楽譜を追っている辻井さんの先生兼アシスタントのかたがその箇所をちょっと弾いて、さらにカルテットからの指示を通訳のかたが訳す、というプロセスを経るために、ちょっとしたことでも時間がかかる、というデメリットはたしかにありましたが、リハーサルはきわめてスムーズに進んで、カルテットのメンバーも後で、辻井さんの演奏に深く感動していました。ちなみに、タカッチ・カルテットは『ドット・コム・ラヴァーズ』にもちらりと出てきます。タカッチ・カルテットの「ベートーヴェン:後期弦楽四重奏曲集」のCDは絶大なるおススメですので必ず聴いてみてください。

クライバーン・コンペティションについては、毎回ドキュメンタリー映画が製作されて、PBS(アメリカの公共テレビ局)などで放映されて評価が高いのですが、今回はそのドキュメンタリーに加えてウェブキャストもやっているので、総勢100人近いスタッフが撮影に関わっています。昨日のセミファイナリスト発表を緊張して待っている様子や、集中して音楽作りをしているリハーサルの最中にも、たえずカメラとマイクが近くをうろうろしているのは、さぞかし落ち着かないのではないかと思いますが、それと同時に、メディアにとりあげられて音楽家としても人間としても興味深い存在として描かれることは、ピアニストたちのキャリアにも重要なことですし、また、このコンペティションそしてクラシック音楽そのものの認知度を高めようとするクライバーン財団にとっても、メディアは大きな存在です。そして、これらのドキュメンタリーや今回のウェブキャストにも見られるように、クライバーン財団は、メディアの使いかたがとても上手な組織であるということがよくわかってきました。もうしばらく、映画の撮影クルーにくっついて観察しますので、それについてはまた報告します。

さて、私自身はクライバーン・コンペティションでここ1週間ほど頭がいっぱいですが、世の中では当然ながらいろんなことが起こっています。オバマ大統領が、辞任を表明しているスーター連邦最高裁判事の代わりとして、ソニア・ソトマヨール氏を指名したこと。アジア系アメリカ史研究のパイオニアであるRonald Takaki氏が亡くなったこと。(私の著書Musicians from a Different Shoreのタイトルは、今では古典となっているTakaki氏の著作、Strangers from a Different Shoreをもじったものです。)ヒスパニックの住民の多いフォートワースで、アジア人の出場者の多いクライバーン・コンペティションを見学していると、これらふたつのニュースの意義を一段としみじみと考えさせられます。

2009年5月26日

セミファイナリスト決定

クライバーン・コンペティションの正式な日本語ブログが立ち上がり、飯坂健さんと一緒に私もブロガーになることになりました。コンペティションの期間中はこのブログと重複する内容が多いかと思いますが、よかったらそちらもご覧ください。

さて、今日は予選の最終日かつ12人のセミファイナリストの発表がありました。予選の最後のふたりの演奏が始まる直前に、フォートワースには突然ものすごい嵐がやってきて、大雨に加えて大粒のひょうが降ってきて、私はホテルからホールまでずぶぬれになって走っていきました。宮廷の舞踏会で着るようなピンクのドレスで舞台に現れたYeol Eum Sonのハイドンは、昨日も弾いた人がいましたが、彼女の演奏も実にぱりっとしてかつ軽やかな遊び心のあるいい演奏。シューマンのファンタジー組曲は、私は無理に比べるならば昨日のAndrea Lamのほうがちょっとよかったような気がしますが、リストのスパニッシュ・ラプソディーはすごかった。座って聴いているだけで思わず笑顔になってしまうような情熱的でかつ楽しい演奏でした。最後に演奏した日本人の坂本真由美さんとは、私はこれまでお話をしたことがなかったのですが、プロフィールの写真を見るかぎりとても可愛らしいイメージなので、演奏もそういう感じなのかしらんと勝手に想像していたら、まるで違って、バッハのトッカータニ短調、ものすごく芯のある音で重厚で荘厳な演奏でした。続くメンデルスゾーン、ラフマニノフともにとても気品の高く情熱のこもった演奏で、素晴らしいと思いました。

そのあと、審査結果が集計されているあいだ一時間ほど、出場者全員が集まっている待合室では、何人かの出場者が楽しそうに卓球をして盛り上がっていましたが、やはり緊張した空気が漂っていました。新聞記者やドキュメンタリーのカメラマンなどもたくさんいるので、こうした中で結果待っているのはさぞかし居心地が悪いだろうなあと心中を想像すると私自身もリサーチと称して写真なんかを撮っているのが申し訳ない気持ちでした。

結果はクライバーンのほうのブログを見ていただければわかります。私の予想はちょうど50%当たっていました。この数字は高いのか低いのかよくわかりません。Soyeon Leeと坂本真由美さんが入らなかったのはとても残念。でも辻井伸行さんとHaochen Zhangが入ったのはとても嬉しく、Di WuとAndrea Lam, Yeol Eum Sonが入ったのはやっぱり、という感じです。

明日は中日で、セミファイナリストたちは準本選の必須であるタカッチ・カルテットとの室内楽のリハーサルなど忙しいですが、聴衆はちょっとお休み。私はまだちょっと睡眠を補って、まだ行っていない美術館に行こうかと思っています。

2009年5月25日

クライバーン・コンペティション第4日



クライバーン・コペティションの予選5日間のうち今日が4日めです。それぞれの演奏を聴きながら、あるいは聴いた直後に感想をメモしておけばいいのですが、いろいろな人と話をしたりあたりを観察したりしているうちに休憩時間はすぐ終わってしまうので、落ち着いてものを書くという感じにもならず、そうこうしているうちに、10人めを超したあたりからもう、「こんな腕の人たちを比較して優劣つけるなんてまったく不可能だ」と諦めてしまいました。

今朝は、予選1日目に演奏したアメリカ人Stephen Beusをインタビューしました。彼は、ワシントン州西側の田舎で、モルモン教の大家族(彼は8人兄弟のまんなか)で育ったという、ピアニストにしてはけっこう珍しい背景の持ち主です。モルモン教の若者の多くがするように、二年間海外宣教のためにフィンランドに住んでいたこともあるのですが、ヘルシンキに行くまでは生まれて一度もアルコールの匂いをかいだこともなかったし酔っぱらった人というものを見たこともなく、フィンランドはたいへんなカルチャーショックだったということです。その後彼はジュリアードに進学したので、「じゃあニューヨークはそれに輪をかけたカルチャーショックだったでしょ」と言うと、「確かにそうだけど、フィンランドがいい準備になった」と言っていました。フィンランドがニューヨークの準備というのも面白いものです。モルモン教徒であること、モルモン文化のなかで育ってきたことが、自分の音楽性になにか影響していると思うかと聞いてみたところ、「具体的にその部分を全体からわけて考えることは不可能だけど、自分の信仰は自分という人間を作っている重要な一部だから、必ずそれは自分の音楽の一部でもあるはずだと思う。精神的に健全な生活を送ろうという態度は、音楽にも現れると思う」と言っていました。彼はジュリアードでMusicians from a Different Shoreのカバーを見てとても興味をもっていた、と言うので、一冊プレゼントしてきました。彼が滞在しているホストファミリーの家も、これまた巨大な家で、母屋(などという表現が実際に使えてしまうのです)の後ろに、立派なキッチンからなにからそろった別のゲスト用スイートがあるのです。ホストファミリーをしている家はみなどこもクライバーン・コンペティションの旗を家の前に掲げています。こうしたところにも、クライバーン・コンペティションが街の住人のひとつのアイデンティティになっていることがわかりますが、ホストファミリーの家や実際のコンペティションを観に来ている人たちの層を見ると、これはあくまで限定的な「コミュニティ」であることが明らかです。このあたりは、もっと時間をかけて検討するつもりです。

さて、今日の6人の演奏のうち、私がもっとも気に入ったのは、オーストラリア出身中国系のAndrea Lamと、先日私がインタビューしたHaochen Zhang。Haochenは自分が知り合いになったからどうしてもひいきめに聴いてしまうのは否めませんが、それを差し引いても、彼のベートーベン・ソナタOp.110は見事にコントロールが効いていていたし、ショパンのポロネーズ=ファンタジーは華麗だったし、ストラヴィンスキーのペトルシュカは、彩りの鮮やかさに、ピアノを聴いているという次元ではなくてまさに音の饗宴を前にしている、という気持ちにさせられました。彼はまだ19歳にもならない最年少で、先日載せた写真を見てもわかるように、まだ少年のようなあどけない顔をしているのですが、演奏が始まるやいなや、まさに音楽の霊にとりつかれたように表情が変わり、その変身ぶりを見るだけでも迫力がありました。こういう人は、本当に音楽をやるために生まれてきたんだなあと感じさせます。Andrea Lamのシューマンのファンタジー組曲は、まるで愛しい恋人ひとりに向けて弾いているような親密さがありました。あんなに大きく荘厳なホールでその親密さを出すのはとても難しいはずです。それから、グラナドスのゴイエスカから二曲(うちQuejas o la maja y el ruisenorは私も弾いたことがありますが、なるほどこんな風に弾くべきものなのかと、目からうろこでした)、そしてAaron Jay KernisのSuperstar Etude No.2という現代曲で終わるという、選曲もとても面白いプログラムでした。今日のこの二人にはぜひ次のラウンドまで進んでもらいたいと思います。

ホールから出るときに、クライバーン財団のマーケティングの人としゃべっていたら、「ぜひ日本語でクライバーンについての正式ブログを書いてくれ」と言われました。明日打ち合わせをしに行くので、もし実現するようでしたらその情報もこちらに掲載します。なんだかたいへんなことになってきました。

2009年5月23日

クライバーン・コンペティションで辻井伸行さんの演奏に聴衆総立ち

今日はクライバーン・コンペティション予選の第二日め。前に言及したSoyeon Leeについては、ここ数年間の彼女の変遷(ジュリアードを卒業して、自分を守るもののない世界で音楽家として生計を立てていかなければならなくなった、大きな交通事故に遭って本当に死ぬかと思ったところを、傷ひとつないままに済んだ、廃棄物をリサイクルしてものを作る会社の起業家と結婚した、など)について語った詳しい記事が今日のフォートワースの新聞に載っています。彼女の演奏も素晴らしかったですが、その次に演奏したDi Wuがまたすごく、技術面と音楽性の両方において私は今までの出場者のなかでは一番だと思いました。

それもさることながら、今日一番の話題は、夜の部一番に演奏した、盲目の日本人、辻井伸行さんです。生まれたときから盲目だった辻井さんは、5歳でピアノを始め、7歳で盲学生音楽コンクールで優勝し、10歳から演奏活動を始め、2005年のショパンコンクールで批評家賞を受賞した、という人です。レイ・チャールズやスティーヴィ・ワンダーはいますが、クラシックの世界で盲目のピアニストがプロのレベルで活躍するということはまずないことで、盲目のピアニストがクライバーン・コンペティションに出場するのも史上初めてのことです。私は数日前に、辻井さんとお母さんのいつ子さんとお話する機会があり、彼らのホスト・ファミリーの家まで一緒に行ったりして、考えさせられることがとても多かったのですが、実際に演奏を聴くまでは、いったいこの盲目のピアニストというものをどう考えていいのかわからない、というのが正直なところでした。もちろん、盲目でこれだけのレベルでピアノを弾けるようになるというのは信じられないくらいすごいことですが、果たしてその演奏が本当に他のプロのピアニストと比べて音楽性が匹敵するものなのか、それとも盲目なのにここまで弾けるのはすごいということだけで注目を浴びているのか、なんだか曲芸をする動物のように見せ物になっているんだとしたら哀しいことだ、などと勝手に考えていたのですが、今日の演奏を聴いてそんな思いはみじんも消えてしまいました。彼の演目の最初はショパンのエチュードOp.10全12曲と、かなり勇気のある選曲だったのですが、ハ長調の1番が始まって数小節で、私はぽろぽろ涙が出てきてしまいました。私の前に座っていたホストマザーのキャロルさんも、周りの人も、涙をふいている人がたくさんいました。もちろん、最初は、「盲目の人がこんな演奏ができるなんて信じられない」という驚異の思いでいっぱいなのですが、一、二分もたつと彼が盲目であるということはすっかり忘れてしまうのです。彼の子供のような純真な人柄に合った、実にまっすぐできれいな解釈でありながら、音楽的にも洗練されていて、盲目だとかなんとかいうことと関係なく感動させる音楽で、それと同時に、やはり音楽というのは、作曲家と演奏家と聴衆の関係のなかで経験されるものですから、この彼がこれをこのように弾いている、という思いが聴衆の感動を強めるのもその通りです。エチュード12曲終わった段階で、聴衆の拍手は鳴り止まず、残りのあと二曲を弾き始めようと彼が椅子に座ってもずっと拍手が続くので、彼はまた立っておじぎをする、という様子でした。ドビュッシーのイマージュとリストのラ・カンパネラを弾き終えると、聴衆は総立ちでブラボーの連続。このように素直に感動と尊敬と感謝を表現するのは、アメリカの聴衆のいいところだと思います。(去年、私が日本で友達のピアノリサイタルに行ったとき、私が拍手のときに立ち、隣に座っていた知り合いの男性も続いて立ったのですが、あとから聞いてみると立ったのは何百人もの聴衆のなかで私たちふたりだけだったとか。日本ではコンサートで聴衆が「すばらしい!」という意を示すために立って拍手するという慣習がないのでしょうか。でも、そのピアニストはニューヨーク在住で、きていた聴衆にもアメリカやヨーロッパに住んでいたことのある人も多かったはずなのになあ。)

辻井さんが予選を通って次の段階に進むかどうかはわかりません。29人の出演者はみなとてつもない腕の持ち主で、今のところあきらかに失敗したという人はひとりもいないし、辻井さんの演奏は他の出演者とくらべて劣る点はなくても、とくに突出して素晴らしいかというとそう断定もできないと思います。でも、コンペティションというイベントが独特の興奮をもたらすのは、競争というものが当然もたらす緊張感もさることながら、十年二十年と特訓を重ねてきた若者たちの人生をかけた演奏を目撃し、若い才能を世界の舞台に出す瞬間に居合わせる、という経験を聴衆が共有するからだと思います。そうした意味で、辻井さんの演奏を今日聴くことができた聴衆は、そのぶん人生をゆたかにしてもらったと皆が思っていると思います。そうした思いを音楽を通じて人に与えられたら、コンペティションの結果なんていうのは、どうでもいいものではないでしょうか。

2009年5月22日

クライバーン・コンペティション第一日

いよいよ今日からクライバーン・コンペティションの本番です。予選の5日間は、毎日午後1時からと7:30から、一人50分のリサイタルが三人続けて行われます。つまり、我々は、一日6人の演奏を聴くわけです。これは、聴くほうにとっても相当大変だということが、一日めにしてわかりました。このコンペティションに出るくらいの人たちの演奏はどれも間違いなく素晴らしいのですが、いくら素晴らしくても6時間はかなりキツい。しかも、この選曲は自由とはいっても、コンペティションで演奏されるような曲はやはりショパンとかリストとかの、技巧を披露できるような、いわゆる速くて大きな曲が多いので、聴いていて正直なところだんだん疲れてくるのです。「もうわかったよ」という気分になってくるのです。それでも、やはり6人続けて聴くと、それぞれの個性や音楽性というのもわかって面白いです。

演奏の順番は先日のディナーでの抽選で決まったのですが、不思議なことに、全員の半分以上はアジア人であるにもかかわらず、今日はアジア人がひとりも演奏せず、アメリカ人男性が3人まとまって演奏しました。あとは、ウクライナの女性と、イスラエル男性、ロシア出身ロンドン在住の男性。抽選で一番をひいたNatacha Kudriskayaというウクライナの女性は、背が高くとても痩せていて、腕や指も長く、ショートヘアで、挑んでくるような迫力のある風貌と表情をしています。そして、こうしたコンペティションでは前代未聞なのではないかと思いますが、黒いシャツにぶかぶかの茶色のズボンにスニーカーといういでたちで舞台に現れました。この挑戦的な態度からして、どんな迫力のある演奏をするのかと思っていましたが、実際に演奏を聴いてみると、たしかに迫力はとてもあるのですが、それは溢れ出る情熱と気迫とかというよりは、むしろ高度にコントロールされた音色でできた演奏で、かなりびっくりしました。ピアニッシモがすごい。

そのあと続いた4人の男性の演奏は、それぞれ皆とても男性的というか、大きくて速くて聴衆をワッと言わせるような演奏(実際、これらのリサイタルの後では聴衆の多くが立ち上がって拍手をしていました)でしたが、正直言ってそんなに感動するような演奏でもないなあと私は思いました。私が今日一番感動したのは、今日の最後に演奏した、Eduard Kunzというロンドン在住ロシア人の男性の演奏。思わず抱きしめてしまいたいくらいキュートでチャーミングなルックスなのですが、その若い姿に不釣り合いなくらいの情感にあふれた演奏でした。なにしろバンバンと鳴らすような演奏が続いた後だったので、ピアニッシモで祈りながら歌うようなスカルラッティのソナタに始まってハイドン、私がこのあいだミニ・リサイタルで弾いたバッハ=ブゾーニのシャコンヌ、バッハ=シロティのプレリュード、どれも涙を誘うような演奏でした。シャコンヌは、やはり自分が勉強しただけに、聴いていて細かい箇所までいろいろと気がつきます。これはコンペティション向けの曲なので、他の何人かの出場者のプログラムにも入っていて、私にはとても勉強になりそうです。というわけで、私の採点では、Eduard Kunzに一票。コンペティションの演奏や出場者のプロフィールはすべてネットで、生でもアーカイブでも見られますので、ぜひちょっと見てみてください。

午前中は、今回最年少の出場者(あと数週間で19歳になる)、上海出身で現在フィラデルフィアのカーティス音楽院で勉強中の、Haochen Zhangという青年を、ホストファミリーの家でインタビューしました。若いのに(というといかにもおばんくさいですが)とても思慮深くものを考えていて、いろいろと思うところを語ってくれました。また他の出場者のインタビューもしてからゆっくり書きますが、ひとつ興味深いと思ったのは、今の若い中国人のピアニストたちにとって、Yundi LiそしてLang Lang(ともに『Musicians from a Different Shore』を参照してください)の存在はかなり大きいのだなあということ。この二人は、演奏のスタイルも、成功への道もまるで違うし、音楽家としてどちらかをモデルにしようとも思わないが、いろいろな意味で象徴的な存在ではある、とHaochenは言っていました。彼の演奏は月曜日です。楽しみ楽しみ。明日は、同じく『Musicians from a Different Shore』にかなり詳しく出てくる、Soyeon Leeが一番に演奏します。



2009年5月21日

フォート・ワース近代美術館






安藤忠雄氏の建築は私はとても好きだし、この美術館はたいへん気に入ったので、写真を何枚か掲載しておきます。

フォート・ワース通信






前回の投稿で説明した通り、ヴァン・クライバーン・国際ピアノコンペティション見学のために、テキサス州フォート・ワース市に来ています。実際のコンペティションが始まるのは明日からなのですが、一昨日はクライバーン財団のスタッフをインタビューし、昨晩はオープニング・ディナー兼出場者が予選の演奏の順番を決めるための抽選会に出ました。まだコンペティションが始まってすらいないのに、見るもの聞くもの実に感心すること、考えさせられることばかりで、刺激たっぷりの時間を過ごしています。

なにから書いていいかわからないくらい発見が多いのですが、ヴァン・クライバーン・コンペティションそのものに関してとにかく驚くのが、このイベントが単にクラシック音楽の世界にとって大きな意味をもっているというだけでなく、フォート・ワース市のコミュニティ全体をあげての大イベントであり、音楽とまるで関係のないフォート・ワースの市民にとってもこのイベントが街の大きな誇りとなっているということです。クライバーン財団の人の話には必ず、このコンペティションを支えている1200人のボランティアが話題にのぼるのですが、どうもそれらのボランティアの多くは、特にクラシック音楽のファンというわけではなく、単に(というのも表現が変かもしれませんが)コミュニティ・ライフに参加・貢献したいという意思でこのイベントに関わっているらしいのです。コンペティションの期間中クライバーン財団の臨時のオフィスとなっている、バス(このホール建設のための資金を提供した地元の資産家バス家の名をとっている)・パフォーマンス・ホールの地下の楽屋には、実に大勢の人たちがてきぱきと仕事をしていて、主婦のおばさんたちが趣味でボランティアをしているといった雰囲気とはまるで違う、プロフェッショナルな空気が漂っています。前にも言及したRichard Rodzinskiというクライバーン財団の財団長と、Alann Sampsonという同財団の理事長にひとまずインタビューをしましたが、なるほどこういう国際的な大イベントを運営し盛り上げていくためには、こういうタイプの人材が必要なんだな、と実感しました。説明すればきりがないですが、要は、単なるセンセーショナリズムや商業主義に走らないための芸術そのものについての深い理解と感性、大きなことを成し遂げるための資金力、そうした資金力をもっている人たちを動かせるだけの人脈とカリスマと人当たりのよさ、また、出会う人それぞれの特性を即座につかんで自分の味方につける判断力と性格、そうした性質をすべて備えた人がリーダーとなっているのです。これらの人たちはこの世界では相当な大物であるにもかかわらず、偉ぶった様子がまるでなく、太平洋の島からやってきたどこの馬の骨ともわからない私のような人間にも、実に寛大に時間を労力を費やしてサービスしてくれるのです。私ははじめ、なんだって私なんかにそんなに親切にしてくれるのか、まるでわからなかったのですが、二日間クライバーン財団の様子を観察していて、少しずつわかってきたことは、私のように、音楽のことも多少はわかって、このコンペティションの意義も理解して、専門的な知識も少しはあって、関連するトピックで本を書いたこともあり、かつクライバーン財団と直接関わりのある立場にない人間が、このコンペティションを研究素材としてわざわざ見学に来ているというのは、クライバーン財団にとってもPRになるのでしょう。そのおかげ(?)で、私はひとりでふらりとやって来たのでは絶対に経験できなかったようなことを既にいろいろ経験しています。

その経験の多くは、私がジャーナリズムの人間のひとりとして扱われ、「Press」バッジをもらって、さまざまなイベントへの参加や、財団のオフィスへの出入りを許されていることによります。このおかげで、私はオープニングの記者会見にも参加し、そこで知り合いになった地元の新聞記者にくっついてコンペティション出場者のひとりがホームステイしている家庭にお邪魔したりしています。私は今まで、メディアの表象を研究対象として分析したことはあっても、自分自身がメディアの側にたったことがなかったので、新聞記者さんたちとたむろして彼らの取材のしかたを観察するのは実に興味深いです。(私は大学四年生のとき、新聞記者になるつもりで朝日新聞に内定までもらった挙句ドタキャンして大学院に行ったという経緯があるので、あのとき予定通り新聞記者になっていたらこんな風だったのかなあ、と考えると不思議な気分です。)学者は、リサーチで集めた素材を、何ヶ月どころか何年間もかけて分析し熟考しああでもないこうでもないといじくった挙句に文章にするのに対し、新聞記者は、今日集めた素材を今晩文章にして明日の新聞に載せなければいけないわけですから、当然執筆のペースがまるで違うのに加えて、取材や思考のしかたもかなり私のような人間とは違うのだということが感じられます。また、取材をする記者たちは、必ずしも音楽についての知識がある人たちではないし、その場で手に入れた情報を位置づけるより大きな文脈がないまま文章にしたりするので、私から見ればなんとも乱暴だと思うこともありますが、そのいっぽうで、具体的な事実や、人の注意をひくようなキャッチフレーズのつかみかたなどには、感心もします。そうこうしているあいだに、今回のコンペティションで最多の出場者を出している中国の出身のピアニストについての取材をしているAPの記者に、私は関連トピックについて本を書いた人間として取材をされるはめにもなりました。なんとも不思議な気分です。

昨晩のディナーは、black tie、すなわち、男性はタキシード、女性はイヴニング・ドレス着用のイベントだったので、そんなものを持っていない私はわざわざこのディナーのためにドレスを購入したくらいで(せっかく買ったので自分のミニ・リサイタルのときにも着ました)、なにしろ私はこのディナーに出なければいけないのが頭痛のタネだったのですが、行ってみればみたで、知ることはとても多かったし、それなりに楽しくもありました。見たところ参加者は約500人、大宴会場ではフォート・ワース・シンフォニーの音楽家たちによる室内楽の生演奏があるといった、実に豪勢な雰囲気で、要はフォート・ワースのハイ・ソサイエティの社交場のひとつであることが明らかでした。普段学者や音楽家などつましい生活をしている人間とばかり接している私には、そんなお金持ちたちと会話をするというだけでも困ってしまうのですが、それに加えて、なにしろアメリカのこうしたイベントに、配偶者や「デート」なしでひとりで参加するのはかなり勇気のいることなのです。でも、指定された席に着くと、同じテーブルの人たちと仲良くなって、明日はそこのお宅にお邪魔することになりました。こうしたおおらかなホスピタリティはテキサス的なような気がします。

クライバーン・コンペティションならではの特徴のひとつが、出場者は全員、地元のホスト・ファミリーの家に宿泊することが義務づけられている、ということで、これについては私はいろいろと考えることがあるのですが、それについてはまた後ほど報告します。

今朝は、フォート・ワース市観光局の局長をインタビューしました。フォート・ワース市の歴史や文化についても、知ると面白いことがたくさんあります。自称「カウボーイと文化の都市」のフォート・ワースは、クライバーン・コンペティションの他にも、一流の芸術関連の施設やイベントが驚くほど多いのです。今日の午後は、ダウンタウンから車ですぐのところにある、安藤忠雄設計のフォート・ワース近代美術館に行ってきました。

といったわけで、見るもの聞くもの実に興味深いことだらけ。明日はいよいよコンペティション開始です。出場者のプロフィールや演奏についての感想についても、また報告します。カメラの調子が悪くぶれた写真になってしまいましたが、昨日のディナーのときにヴァン・クライバーン氏本人と写真を撮ることができたので、他の関連写真と一緒に「証拠」として掲載しておきます。

2009年5月15日

ヴァン・クライバーン・ピアノ・コンペティション

ハワイ大学は今週が学年末の試験週間です。昨日、アメリカ女性史の試験があったので、私は今日と明日で急いで採点を終えて、日曜日にはテキサスに出発します。前にもちょっと言及したと思いますが、ヴァン・クライバーン・国際ピアノコンペティションを見学に行くのです。

クラシック音楽ファンなら誰でも知っていることですが、このコンペティションは、世界でももっとも権威あるピアノコンクールのひとつです。冷戦さなかの1958年に、テキサス出身の青年ヴァン・クライバーンが、モスクワでの第一回チャイコフスキー・コンクールで優勝したときには、音楽や芸術の世界を超えてものすごいセンセーションとなり、クライバーンがアメリカに帰国したときにはニューヨークで凱旋パレードまで行われました。軍人やスポーツ選手ならともかく、クラシックの音楽家がアメリカでこんな扱いを受けるなんてことは、後にも先にもないことです。私は3月にニューヨークに行ったときに、少しこのときのことをリサーチしたのですが、調べれば調べるほど、それがいかに大事件であったか、認識を強くしました。ひょろひょろと背が高くシャイでなんとなくぎこちないクライバーンの様子と、彼が巻き起こした世界的なセンセーションのミスマッチが、リンドバーグを喚起します。

そのクライバーンにちなんで1962年に始まったこのコンペティションは、四年に一度開催され、チャイコフスキー、ショパン、ブザンソンなどと並んで世界的にもっとも権威のあるコンクールのひとつとなっています。世界中から500人以上のピアニストが応募し、アメリカ、ヨーロッパ、ロシア、アジアのいくつもの都市でのオーディションを経て、30人ほどの参加者が選ばれるので、フォート・ワースの舞台に立つだけでも大変なことです。近年はとくにアジア出身の参加者が多く、今回はなんと30人の参加者のうち16人がアジア人です。私はMusicians from a Different Shoreでヴァン・クライバーン・コンペティションについて言及しているものの、実際にこのコンペティションを見に行ったことがないので、今回実際に現地に行ってみることにしました。アジア人とクラシック音楽というトピックそのものについてはこれ以上研究を続けようとは思いませんが、芸術とコミュニティの関係や文化政策といったテーマに興味があるので、そのケース・スタディのひとつとして、このコンペティションを検討してみたいと思っています。クラシック音楽の世界についてももちろんそうですが、フォート・ワース市にとってヴァン・クライバーン・コンペティションはたいへんな一大事で、市の行政や企業スポンサーが多額の資金を投入するのはもちろんのこと、1200人もの一般市民がボランティアとして軍隊さながらの規律で動き、このイベントのスムーズな運営を支えています。クライバーン財団長のRichard Rodzinskiという人が私の仕事にとても興味をもってくださっているおかげで、私は参加者のピアニストや審査員だけでなく、市長や市の観光局、地元新聞社の編集長や、企業スポンサーなど、各方面の関係者にインタビューができる予定です。ツーリストとしてちらっと見学に行くつもりが、なんだかだんだんとおおごとになってきて自分でもびっくりしていますが、こんなに段取りよくいろいろな人とコンタクトがとれるというのは、研究者としては天国のようなので、とてもありがたいです。

この準備として、過去のクライバーン・コンペティションについてのドキュメンタリー映画(このドキュメンタリー映画がまたこのコンペティションの特色のひとつでもあります)をここ二日間でたて続けに見ました。これがまたとても面白い。参加者の人間ドラマももちろん、このコンペティションのいろいろな意味での意義も伝わってくるし、ドキュメンタリーの作りかたとしても興味深いです。また、今回は、コンペティションの様子がネットでも流されます。私は、コンペティションの最中はずっと、A列に座っていますので、観客にカメラが向いたら私の姿がちらっと見えるかも知れません。よかったらどうぞ。

その前に私は採点を終えなければいけないので、ひとまずは答案の山に向かいます。

2009年5月12日

ミニ・リサイタル





最近ブログの投稿が少なかったのは、先日10日のピアノのミニ・リサイタルに向けて、せっせと練習に励んでいたからです。私はここ数年のあいだに何回か、同じようなミニ・リサイタルをしたことがあるのですが、そのときは友達を十数人集めて自宅の電子ピアノで演奏するという文字通りのホームコンサートだったのに対し、今回はちょっと本格的に、音楽家組合の建物のなかにあるホールを借りて、ちゃんとしたコンサートグランドでの演奏でした。誰にやれと言われたわけでもないのにわざわざこういうものを企画するのは、こうした具体的な目標がないとなかなか体系的に練習をしないからで、自分の腕と精神を磨くためですが、今回こんな大げさな設定にしたのは、ここ一年間練習を積んできた曲(以前の投稿でも言及した、バッハ=ブゾーニのシャコンヌ)が、ちゃんとグランドピアノで弾いてあげないといけないような曲だからです。学期末で仕事が忙しいさなかにこんなものを企画してしまったので準備のストレスにも輪がかかって、当日にいたるまでの一週間ほどは、眠っているときも夢に曲の一節が繰り返し出てきたり、演奏で大失敗をして曲の途中でぱったりと手が止まってしまう悪夢をみたりという始末でした。それでも、リサイタルといっても、演奏自体は30分強のあくまで「ミニ」リサイタルなので、とにかく来てくれた人たちに楽しんでもらおうと、演奏の前にはワインとおつまみのパーティ、プログラムの最中は、曲と曲のあいだに私のまったくの独断の曲の解説やなぜこの曲が私にとって意味を持つかといったおしゃべりをたくさん入れて、普通の「リサイタル」とはずいぶん違う雰囲気のイベントにしました。プロの演奏会ならともかく、私のような人間のミニ・リサイタルでは、とにかく音楽を通じて友達と普段とは違う意味のある時間を共有するということが第一目的なので、こうした形式はとてもよかったと思っています。予想以上にたくさんの人たちが来てくれて、しかもそのうち三分の一くらいは、ホノルル・シンフォニーのメンバーやプロのピアニストなどの本物の音楽家だったので、おおいにビビりました(自分から招待しておいてビビるのも変ですが、アマチュアのミニ・リサイタルにわざわざ来てくれるというその優しさに心打たれます。三ヶ月もお給料なしで働いているホノルル・シンフォニーのために最近私がせっせと寄付金集めに励んでいるので、感謝の気持ちもあって来てくれたのかも知れません)。演奏自体は、自分の実力のまあ75%くらいというところでしたが、人前での演奏という状況は、普段の練習やレッスンとはまったく違ったもので、学ぶことがとても多かったです。とにもかくにも、来てくれた人たちがそれなりに楽しんでくれたようなので、やってよかったとひとまず満足。また、苦労したシャコンヌについて、みんなが「あの曲はものすごいパワーだった!」と言ってくれたので、一安心。やれやれです。今週は学年末の週で、試験の採点だのなんだのいろいろあるので、再び仕事に集中します。

2009年5月2日

天才の作りかた

行方不明になっているCraig Arnold氏についての情報をあちこちで発信してくださっているかた、ありがとうございます。まだ発見されていませんが、本人がインターネットに接続したという情報も断片的にあります。iPhoneを持っているということですから、おそらくその電波が届く地域に入ったということなのでしょう。無事が確認されるまで捜査が続けられるように、なにか情報のあるかたは、どうぞご協力お願いします。

さて、現在ニューヨーク・タイムズのオンライン読者によって一番メールされている記事というのが、「天才」に関する論説です。(このように、内容があまり文化社会的に特定化されていなくて、長さも比較的短い論説は、英語の勉強にもいいですので、どうぞ読んでみてください。)現代の研究によると、いわゆる「天才」というのは、天賦の才とかIQとかによって作られるものではなく、むしろ「慎重でかつ精力的で、おおむね退屈な練習」を長時間にわたって続ける能力によるものだ、ということです。この「慎重でかつ精力的(deliberate and strenuous)」というところがミソ。私は来週末にちょっとしたピアノのリサイタルをするので、最近とくにせっせと練習に励んでいて、また、楽器演奏の練習法とか教授法とかにも結構興味をもっているのですが、こうした練習というのは、ただやみくもに時間をかければいいというものではありません。4時間も5時間も(プロの人はもっとやりますが)ひたすら鍵盤をたたいていれば上手くなるかというと、決してそうではなく、我流の方法でひたすら弾いていると、間違った弾き方を身体や頭が覚え込んでしまってかえって逆効果、ということもよくあります。トップのプロのレベルになれば才能云々という要素もあるでしょうが、そこに到達するまでには、音楽の演奏というのは何百何千というきわめて具体的な技術の総計によって成り立っているものです。「音楽性」とか「解釈」とかいったいわゆる「主観的」なものも、実際に音となって奏でられるときには、信じられないほど細かい技術的なことの集まりによって実現されているものです。(ピアノに関して言えば、たとえば、ある音を弾くのに、指のどの部分を使うとか、その指をどのくらいの高さからどのくらいのスピードで鍵盤に降ろすとか、ある音と次の音のあいだにはどのくらいの間隔(それも十分の一秒くらいの単位で)をおくとか、指と手首と肘と肩の相対的な位置をどうするとか、そういったこと。)そうした技術を身につけるためには、適切な方法で集中した練習を積まなければだめなのです。そしてその「適切な方法」というのは、素人にはわからないので、きちんとした指導を受けることが必要です。私は最近、普段からレッスンをしてもらっているピアノの先生と、仲良しのクラリネット奏者に、ピアノの練習を見てもらっています。どうしてクラリネット奏者がピアノを教えられるのかと思う人もいるでしょうが、もちろんピアノという楽器に特有な技術に関してはピアノの先生に教わりますが、練習のしかたとか、曲の理解とか、ある効果を達成するための技術とかいったものは、楽器に共通なものがとても多いのです。こうしてピアノを教わっていると、ピアノの演奏そのもの以外にもとても学ぶことが多く、教師としてもとても勉強になります。

要は、「若いときから役割モデルになるような存在と接して刺激を受ける、正しい練習法を学ぶ、そしてせっせと練習する」ことが大事。というわけで、私はこれからピアノの練習をします。