2009-06-09
他人の目が気になりますか?
あなたは今まで、他人の目が気になって仕方ないというような気持ちを経験した事はないでしょうか?
あなたは今まで、自分のやった事に対して人がどう思っているか、気になって仕方ないなんて気持ちを経験した事はないでしょうか?
「自意識過剰は他意識過剰である」
サイコサイバネクティクスのドクターモルツはかつてこう言いました。
「自分の事が気になって気になって仕方ない。」
という人は、実は自分が気になってるのではなく、
「他人からどう思われているか?」
が気になって気になって仕方ない他意識過剰であるのです。
そしてこの意識が強くなりすぎるとどのようになるかといえば、「行動の抑制」 がおきるのです。
「人から何て言われるだろうか?」
「友達からどう思われるだろうか?」
「変なやつだって印象をもたれないだろうか?」
こういう意識が強くなりすぎて、本当は自分がやりたい事、本当は自分がチャレンジしてみたい事に対してブレーキがかかってしまうのです。
そして、
「そんなにやりたいとは思ってないし・・・」
「それをやった所で大した事にはならない・・・」
などと自分に言い訳するようになるのです。
セルフアイデンティティー「ホ・オポノポノ」のヒューレン博士は、
「外側で起きていることなど何一つありません。すべては心の中で起きているのです。」
と話しています。
しかし私達は常に他人からの目にさらされていると考えます。
そして自分以外の人は、例えどれだけ仲のいい友達だろうが、親だろうが、恋人だろうが、
「自分の行動を批評してくる。」
「自分の行動に意見をしてくる。」
と考えて、自意識過剰(他意識過剰)に、その意見や批評に過剰に反応し、他人から常に良く思われていたいと考えるのです。
こう思うのは普通の人間の心理なのですが、それがあまりに強くなりすぎると、自意識過剰を生み、やがて行動までが抑制されてしまうのです。
行動が抑制されると自分らしい行動ができなくなります。
自分らしい行動ができなくなったら、それはもはや自分自身なのでしょうか?
これらは全て記憶に従った結果でしかありません。
他人から好かれたいが為に自分らしい行動を抑えるのですが、実際は自分らしい行動をしている人の方が圧倒的に好かれるのです。
誰にでも好かれようとする政治家の方に魅力を感じる方は少ないと思います。
他人の目が気になる、他人の意見が気になるということは、記憶がそのようにさせているだけです。
しかしそれはそのことに気がつく機会でもあるのです。
そしてそれに気が付いたのならその記憶を浄化すればいいのです。
記憶を浄化し自然に自分らしくいる事が、自分にとっても相手にとってもとても心地よい空間を生み出すことが出来るのです。