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更新:6月8日 10:50インターネット:最新ニュース

「アニメの殿堂」ほど正しい予算の使い方はない

 5月29日に14兆円規模の2009年度補正予算が国会で成立したが、野党を中心に「無駄遣い」「バラマキ」批判が続いている。特に無駄遣いの象徴とされたのが事業費117億円の「アニメの殿堂」だが、見当違いも甚だしい。むしろ、無駄遣いとバラマキばかりの補正予算の中では数少ない真っ当な予算と評価すべきなのである。この問題を巡る政策論争と報道を見ていると、日本のクリエイティブ産業の将来は暗いと言わざるを得ない。(岸博幸)

■ハリウッドの有名人は「まんだらけ」に行く

 「アニメの殿堂」の正式名称は「国立メディア芸術総合センター」といい、世界が評価するアニメ、マンガ、ゲームなど日本のポップカルチャーの展示施設を新たに整備しようというものである。この予算を民主党は「国営マンガ喫茶」「アニメの殿堂」と喩耶して、今回の補正予算の無駄・バラマキの象徴として政府への批判を強めている。ワイドショーを中心に、メディアもそれを面白おかしく取り上げている。

日本のアニメが世界的に高く評価されている=5月に米ロサンゼルスの映画芸術科学アカデミー本部で開かれた展示会〔共同〕

 だが、ちょっと待ってほしい。そうした人たちは、アニメやマンガを巡る日本の現状を理解しているのだろうか。それらが世界的に高く評価されていることは誰でも知っているだろう。浮世絵、黒沢明監督の映画などに続く日本文化の久々の快挙である。それにもかかわらず、オタク発・草の根出身の文化であるがためか、国内では冷遇されているのである。

 例えば、日本のアニメの影響を受けたハリウッドの有名監督や大物プロデューサーが来日すると、必ずアニメやマンガが集まっているところに行きたがるのだが、結局みんな東京・渋谷の「まんだらけ」(マンガや同人誌の専門店。希少価値のある絶版本やおもちゃも扱っている)に行くそうである。

 なぜそうなるのか。地方には石ノ森章太郎氏の美術館など地元出身の大御所漫画家の作品を展示した施設はあるが、世界が評価するアニメやマンガを体系的にアーカイブし、その歴史や資産をちゃんとまとめた場所がないからである(東京・秋葉原に東京アニメセンターがあるが規模は小さく、そうした機能は果たしていない)。

 日本にはアニメやマンガの大規模な見本市があり、例えば今年の東京国際アニメフェアには3日間で約13万人が来場し、その10%程度が外国人だったという。1万人を超える外国人が新しい作品の取引の場に来ているのに、彼らに文化としての歴史や資産を体系的に見せる場は存在しないのである。

 ついでに言えば、アニメの黎明期の撮影機は世界に数台しか現存しないが、東京都に譲渡されたそのうちの1台は、倉庫に保管されているらしい。世界的にも貴重な文化資産が死蔵されているとしたらいかがなものか。また、日本のアニメやマンガの歴史を体系的に理解している日本人は意外に少なく、よほど外国の研究者の方が詳しい。

 このように、アニメやマンガは今や日本の現代文化の代表であり、世界中から評価されているにもかかわらず、文化の常識ではあり得ないくらいに国内で冷遇されているのが現状なのである。

■文化は政府が保護・発展させるべき

 アニメやマンガは単なる娯楽ではない。今や文化なのである。文化である以上、政府が維持・保護・発展に関与するのは当然である。ハリウッドの有名監督が来日して日本のアニメやマンガを堪能できる場所が本屋しかないというのは、国として恥ずかしいと思うべきである。

 同じような過ちが過去の映画文化にもあったことを思い出してほしい。日本映画の巨匠である黒沢監督が不遇の時代、彼を応援していたのは日本人や日本政府ではなく、スピルバーグなどの外国人だったのである。そして、同じことがアニメの世界で起きている。優秀な人材はどんどんハリウッドに流出してしまう。アニメ映画で有名な米ピクサー・アニメーション・スタジオでは数十人の日本人が働いているそうである。

 私の結論は簡単である。「アニメの殿堂」が今まで日本になかったことの方が問題なのであり、そのための117億円は無駄な補正予算でも何でもない。民主党はむしろ、政府の対応が遅かったことを問題視すべきではなかったか。「国営マンガ喫茶」というネーミングの妙には敬意を表するが、やはり問題の本質を外していると言わざるを得ない。

 しかし、民主党以上に問題なのは自民党である。何故、上記のような事実を淡々と説明して堂々と必要性を主張しないのだろうか。かつ、どうやら建設後の運営については独立採算が基本で国費を投入しないらしいが、大事な文化の維持のためにそれで本当によいのだろうか。もし民主党に攻撃されたくらいで独立採算の方向になったのだとしたら、これほど嘆かわしいことはない。政策についての信念がない証左である。

■ワイズ・スペンディングを実現させない政治

 私はこれまで、テレビや雑誌などで今回の補正予算を散々批判してきた。実際、「100年に1度の経済危機」という呪文を使って「100年に1度の霞が関バブル」を引き起こしたのは問題である。経済危機に対応すべく、思い切った財政出動に踏み切った政治決断は評価すべきである。しかし、その中身を霞が関の官僚任せにした結果、無駄遣いやバラマキの山となり「ワイズ・スペンディング」という掛け声とは正反対の内容になってしまった。

 繰り返しになるが「アニメの殿堂」は無駄遣いやバラマキの代表ではない。他に問題とすべき予算は山ほどあるのだから、民主党はそれらの正しい事例を挙げて攻撃すべきではないだろうか。

 例えば、補正予算は日本の将来の成長性を高める分野に使うべきなのに、羽田空港の滑走路拡張は65億円の一方で、短期的な経済効果がなく中長期な成長性にもほとんど貢献しない、肉牛農家への補助やサラブレッド生産者の経営を支援する基金には計130億円も積まれているのである。日本の将来のためには羽田空港より牛や馬の方が大事と判断されたのである。

 しかし、今回の「アニメの殿堂」騒ぎを見て、改めて財務省が可哀想になってしまった。財務省は補正予算の総額を大きくしろという政治の要請と、知恵のない各省庁からの陳腐な予算要求の狭間で、短い時間の間にかなり不本意な予算査定を強いられたはずである。それだけでも気の毒だが、それに加え、補正予算批判の筆頭で正しい予算があげつらわれるのだから、踏んだり蹴ったりだろう。日本を悪くしているのは官僚だけではない。政治の貧困がそれを加速しているのである。

[2009年6月8日]

-筆者紹介-

岸 博幸(きし ひろゆき)

慶応大学デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構准教授、エイベックス取締役

略歴

 1962年、東京都生まれ。一橋大学経済卒、コロンビア大学ビジネススクール卒
業(MBA)。86年、通商産業省(現・経済産業省)入省。朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)、資源エネルギー庁、内閣官房IT担当室などを経て、当時の竹中平蔵大臣の秘書官に就任。同大臣の側近として、不良債権処理、郵政民営化など構造改革の立案・実行に携わる。98〜00年に坂本龍一氏らとともに設立したメディアアーティスト協会(MAA)の事務局長を兼職するなど、ボランティアで音楽、アニメ等のコンテンツビジネスのプロデュースに関与。2004年から慶応大学助教授を兼任。06年、小泉内閣の終焉とともに経産省を退職し、慶応大学助教授(デジタルメディア・コンテンツ統合研究機構)に就任。07年から現職。

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