ネタつつき14−デスマーチに乾杯♪私がシステム構築屋になった訳。2008-12-10 Wed 08:58
今回は趣向を変えて私がシステム構築屋(フリーの何でも屋)になったわけを話します。この記事を読んで、たった一人でも前向きな気持ちになって頂ければ幸いです。
既に知っている人も居るでしょうが先ずは私の経歴を話しします。中学生の頃PCを使った授業がありました。それが私と情報処理技術の出会いです。私は出会って直ぐ一目ぼれしました。変な装置(キーボード)を押したらTV(ディスプレイ)に文字が表示されたり文章を編集できたりする事が大変すばらしい魔法の様に感じました。当時私はTVゲームも持っていない子でしたので、鉛筆と紙で遊んでいたので余計にPCがすばらしいものだと思ったのでしょう。それから私は人生の目標を情報処理技術者になる事となり今まで曲げた事がありません。高校も情報の授業があるところを選び、専門学校へ推薦入学しました。当時は学歴社会だといわれていたのですが、私にとって学歴なんて言葉はまったく意味を成さないものでした。高校生までは人生の目標もなくつまらない人生で、毎日私は「何のために生まれたのだろう」だとか、「人生って何?」等の哲学を考えていましたが、高校生になってからはそんな悩みからは開放されました。そう、毎日が薔薇色でした。 ですがその薔薇色の人生も当然長くは続きませんでした。専門学校に入学してからは、若さゆえの愚かさで就職するのが当たり前だと考えておりましたが、バブルは弾け就職難時代が到来し就職そのものが危うくなりました。情報処理技術を修得すれば職に困らないというのは過去の出来事になっていたのです・・・ その辺から私の人生に嵐が到来しました。職業安定所に通ってようやく採用されたIT会社は、自称IT会社であって、エンジニアが私一人しか居ないとんでもないところでした。おまけに私の様な世間知らずから知的財産を奪って生きている会社でした。そこで私は「仮入社」する事になったのですが困った事に仕事がありません。仕事を社員に作らせる自称IT会社だったのであるはずがないのです。若さゆえの過ちで、今となっては恥かしい限りですが、私は社長に言われるがままに自分のアイデアを実装する事になりました。しかもそれが偶然他の企業の目に留まったようで、数億円規模のビッグビジネスとなり、私は毎日朝まで働く事になりました。何故ならば、エンジニアは私一人で作るものは私自身が考えたものだったからです。当時の私は甘く、辞めておけばいいのに、正社員を目指して必死で働きました・・・ですが、その会社は私を雇う気も無く、給料すらまともに支払ってくれませんでした。3ヶ月ほど経って、それに気付いた私は労働局に行ってから辞めました。ですが決して私が納得いく事はありませんでした。その時知ったのですが、労働局ということ頃は基本的に何もしないところです。この国は労働最低賃金さえ支払えば、後は会社は何もしてもいいのですね・・・ そこから私は5・6社は似たような目に遭いました。手口やパターンも様々でしたが、一つ共通しているのは人間を物としか思わない会社だということだけです。様々な犯罪行為を私にしてきました。思い出したくありませんので正確な事は覚えておりません。覚えているのは身も心もズタボロだった事だけです。もしかしたら精神も病んでいたかもしれません。それで私はフリーエンジニアになる事を決意しました。でもそれは決して望んでした事ではなく、それしか選択肢が無かったからです。複数のブラック会社から就職妨害されていましたし、日本は基本的に新卒しか雇う気がないのでこのままでは過労死しかない状態だったのです。こうして私はフリーエンジニアになりました。 フリーエンジニアになれば人生はましになると思いたかったのですが、もともとツテとコネがまったくありませんからそう上手くいく筈がありません。巷では自営やフリーで働きたければ正社員として働き人脈を作りなさいといわれておりますが、ブラック会社としか会った事が無い私にとって、それは理想論以外の何ものでもなくそれを目指す道すらありませんでした。それで私は仕方が無く、一番不向きと思う営業から始めました。ところが、日本の企業は看板を見て判断するので、私に依頼してきたのはブラック会社としか思えないIT会社(就職した会社とは別の会社)しかありませんでした。無論なるべくなら直接私に発注してくれる会社を探していたのですが、いかせん日本では看板とコネしか信じないので私個人なぞ相手にしてくれませんでした。それからは、システム構築を一人でこなし、それをブラック会社がエンドユーザーに横流しし、利益はほぼ全てブラック会社が持っていってしまうという地獄に陥りました。当然弁護士や警察に相談しましたが、日本の法律上それは合法だそうで何も手が打てませんでした。特許も出願してみたのですが、日本では知的財産は事実上取り放題なのでそれも盗られただけでした。その様な経緯から私は、さらに身も心も瀕死状態となり、気がつけば自殺しかけている有様でした。 それを救ってくれたのは家族でした。家族は私に言いました。「死ぬならば何時でも死ねる。どうせならば好きな情報処理技術を思う存分極めなさい。」と・・・それが私にとっての何よりも救いの言葉でした。私は開き直り、自営活動を全てストップし、小さな仕事とアルバイトで生計を立て、前から気になっていたOSやコンパイラの研究にいそしみました。自営活動を辞める際は勿論不安でしたが、辞めてみると案外たいした事がありませんでした。いえ、それどころか逆に楽になりました。ブラック会社に勤めている人は辞めると楽になると思います。私の家は貧乏で生活できるか不安でしたが、人間は毎日食べなくとも死にません。案外人間は丈夫なのです。だから大丈夫です。ブラック会社に勤めていれば合法的に殺されますので、思い切って辞めるのがベストなのです。 このような事を書くと、「そんなことがあるはずがない」などと強烈な拒否反応を起こし、私を否定する事に躍起になる人が居ますが、実際日本はその様な国なので仕方がありません。それが現実なのです。それに意外だと思われるかもしれませんが、今では自分の人生はそれでよかったとすら思っています。改めて考えてみれば、私が一人でシステム構築できる技術と知識を身につけられたのはある意味ブラック会社と国家のお陰です。私には夢の園だとしか思えない普通の会社とやらで働いていたらこのようなスキルは望めないでしょう。要するに物事は考えようなのです。システム構築屋はピンはねされるだけだからもうやる気がありませんが、前向きに何か違う方法でフリーとして生きていこうと考えております。だから言えます、人生に絶望したり悩んでいる人は自殺したりせずに気を楽にしましょうと。どうせ死ぬのならば、自分が納得できる事をしましょう。技術者が全員このような考えを持ち何ものにも頼らない生き方をすれば、案外ブラック会社も淘汰され、3K職業などと呼ばれる事は無くなるかもしれません。とにかく喜怒哀楽を楽しみましょう。悲しみも辛さもそれを感じられるのであれば幸せなのです。人間は生きているだけで幸せなのです。とはいえ、念のために言っておきますが、犯罪に走るのは止めましょう。辛いのは貴方だけではないのです。毎日真面目に働いて生きましょう。拝金主義が横行しておりますがそうなったらその人は負けです。たとえ貧乏で生活が苦しくても、それに負けずに自然体で頑張るのが真の勝ちです。最近は負け組み&勝ち組という言葉が流行っているそうですが、本当の負け組みとはモラルよりもお金を選んだ人だと私は心から思います。 |
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