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【コラム】キッコーマンと韓国食の世界化(上)

 「日本食の伝道師」「日本の食品業界における海外進出のバイブル」…。

 今年で創業92年目を迎える日本の食品メーカー、キッコーマンへの賛辞の数々だ。千葉県野田市で17世紀初めからしょうゆやみそを作ってきた八つの家族企業を前身とするキッコーマンは、米国・中国・オランダなど海外に7つの工場を持ち、計4139億円(2007年基準)の売上高を誇る世界最大のしょうゆ会社だ。

 1957年、米サンフランシスコに「キッコーマン・インターナショナル」を設立するまでの約350年間、それぞれが地方の小さな家族企業にすぎなかった同社が、営業利益の約60%を海外で稼ぐ世界企業へと成長した原動力とは、いったい何だったのだろうか。

 まず、欠かせなかったのは「現地化の努力」だ。当時の経営陣は、海外進出に反対する内部の意見を押し切り、確固たるビジョンを掲げた。「米国に進出した会社ではなく、完全に現地の会社になる」というものだった、と茂木友三郎会長(74)は回想する。

 「そのため、日本から派遣する人材は最小限にとどめ、人事総括も米国人に任せました。しょうゆを生まれて初めて見る米国人たちのために、スーパーマーケットに試食コーナーを設けて、米国人コックを雇ってしょうゆで味付けした肉を提供したり、しょうゆを使ったレシピ本を発行しました。また、ケーブルテレビの料理番組の提供や、ディズニーワールドとのスポンサー契約を結んだりと、やれることは全部やりました」

 高級品というイメージを普及させるため、米大統領選挙のCMが流れるテレビのゴールデン・タイムにキッコーマンのCMを出すという戦略的マーケティングも駆使した。

産業部=宋義達(ソン・ウィダル)次長待遇

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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