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トーク21

5月31日

ひたむきに前人未踏の山へ!!

映画監督 木村大作さん
美しさは厳しさの中にしかない

東京・中野総区長 松山満信さん
リーダー率先で不可能を可能に


 前人未踏の頂を目指して――。今回の「トーク21」は、映画「劔岳 点の記」(原作:新田次郎)の木村大作監督の登場です。対するは東京・中野総区長の松山満信さん。感動と驚きの映画を巡り、熱い語らいが繰り広げられました。

100年前と同じ行程で同じ場所に
 松山 映画「劔岳 点の記」の試写を見せていただき、「よくぞ、これほど過酷な条件の中で映画を作られたな」と感動しました。見終わって、心の芯が熱くなる思いがしました。
 木村 現代では、どんな映像でもCG(コンピューターグラフィックス)で作り出すことができます。だから自分の目線の高さで、本物の映像を撮りたかった。すごい本物だからこそ感動があるのです。
 原作の通り、明治40年と同じ行程で、同じ場所に行き、同じように仕事(撮影)をする。スタッフからも「本当にあそこまで行くんですか? 近場で撮っても分かりませんよ」と言われたけれど、100年前も行っているからこそ、行くことにこだわりたかった。
 松山 「途中で撮影できなくなるかもしれない」と述懐されていましたが、映像には出てこないような苦労もあったのでしょうね。
 木村 苦労はもちろんですが、ずっと神経が張り詰めていた。本当に最後まで撮れるかどうか、最後の1カットまで自信がなかったのです。「順撮り」(測量隊の行程と同じ順番で撮影)していったから、途中で俳優さんがけがや病気をしたらそれまで。「最後まで撮れればすごい映画になる」と皆には言っていました。
 松山 そんな場所だからこそ、役者さんの表情もセリフも生きているのですね。「誰かが行かなければ道はできない」「測量は忍耐」「あなた方は登ってからが仕事だ」など、本当に実感がこもっています。
 木村 測量隊と同じ苦労をしましたから。楽して何かを得ることはできません。美しさは厳しさの中にしかないのです。こういう映画作りに、皆が飢えていたのかもしれませんね。
 松山 もう一つ感動したのは、メーキング映像を見たときに、監督が撮影隊を引っ張って歩いておられたことです。大先輩に当たる年齢なのに、すごい人だなと感銘を受けました。しかも、ロケの前年には山での暮らしを体験されている。
 木村 2006年(平成18年)に映画化を考えて、あちこちを見て回りました。この時に、すべての撮影場所に行っているし、やれるという自信も持っていました。
 松山 私たちも池田名誉会長から「皆をリードしようとするならば、まず自分がやる。手本を見せるのだ」と言われています。3000メートル級の山で2年間もの過酷なロケ。俳優の方々をはじめスタッフにも一人一人、意思を確認されたとか。
 木村 キャスト・スタッフ全員と会って、「厳しいけれども、やれるか」と尋ねたのです。
 実は、山で過ごしているときに台本もできていたし、事前のロケハンも終わっていた。だから、スケジュールまで決めた上で、「行けるのか」と。皆、一発で返事をくれました。

仲間とともに苦労を乗り越えて
 松山 人間には無限の可能性が眠っていると言われます。「やればできるんだ」という、底知れない人間の強さを見せていただいたように思います。
 創価学会にもまた池田名誉会長を中心として、日蓮大聖人の仏法を192カ国・地域にまで広げるなど“不可能を可能にしてきた”歴史があります。人間にやってできないことはない。ましてや、切り開いてきた先人がいる……。そんな私たちの思いと重なります。
 木村 自然に対したとき、人間はアリのようなほんのちっぽけな存在でしかありません。けれども、必死に生き、生活している。それが人間の偉大さだと思う。
 松山 何気ない生活の中にこそ偉大なドラマがある、と。
 木村 今の映画は、誰かが死んだり、病人や悪人が出るものが多い。この映画は、淡々と撮った映像の蓄積で最後に感動できる作品です。誇りと感動の映画なのです。多くの人に見てもらい、何かを感じてもらいたいですね。
 松山 それぞれに感じ方はあるのかもしれませんが、仲間とともに苦労を乗り越えて山に登る。そこには「友情」があり「団結」がある。日本人が失ってしまったと言われる、「勤勉さ」や「まじめさ」「一所懸命さ」など、本当にいい世界が描かれています。
 また、エンドロール(映画の最後にキャストやスタッフなどを紹介する部分)の「仲間たち」という表現もこだわりの一つですね。
 木村 最初は反対されたのですが、思い切って入れてしまった(笑い)。でも、皆が苦労を分かち合って作った映画です。見た人からも好評なんです。
 松山 監督自身、全国を回って訴えられてきたそうですが、さまざまな反響を寄せられているそうですね。
 木村 試写を見た大学生から「将来、医者になって楽にやっていこうと思っていました。でも、この映画を見て、人々に献身しない仕事なんか、何にもならないと言うことを学びました」という声を寄せてくれた。
 将来、彼がどうなるのかは分かりません。しかし、見たときにはそう感じてくれた。このことだけでも価値があることだと思っています。
 松山 一度心に刻んだことは、いつまでも忘れないものです。多くの人の生き方に影響を与えられる作品だと思います。公開を楽しみにしています。

映画「劔岳 点の記」あらすじ  
日本地図最後の空白地を埋めるために……
 明治40年、登ってはならない「死の山」と言われた前人未踏の山・劔岳に挑んだ男たちがいた――。測量手の柴崎芳太郎は、日本地図最後の空白地を埋めるため、劔岳の初登頂と測量を命じられる。さまざまな苦難を乗り越え、未踏峰の劔岳を登り切って、地図を完成させることができるのか……。
 ◇6月20日(土)から全国で公開
プロフィール
 きむら・だいさく 1939年、東京都生まれ。58年に東宝撮影部にキャメラ助手として映画界入り。撮影監督として多くの映画を撮影。代表作は「八甲田山」「復活の日」など。今回「劔岳 点の記」で初めて監督を務める。

 まつやま・みつのぶ 1962年、熊本県生まれ。青年部時代は、創価班委員長、男子部書記長などを歴任し後輩の育成に駆ける。現在は、学生時代から住んでいる中野の地で、世界一仲の良い“中野創価家族”の構築に全力を注ぐ。
木村さん
松山さん
頂上を目指して雪山を登る=映画の1シーン((C)2009「劔岳 点の記」製作委員会)
険しい岩場での撮影(同)
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