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人は自分を守るために心を閉ざすのではないだろうか。自分が自分であるために。だから、無理やりこじ開けようとしたら、更に奥に引っ込んでしまったり、こちらが手痛い目に逢うのだろう。 けれども、ずっと心を閉ざしていては成長できない。だから、北風と太陽のように辛抱強く少しづつこちらが歩み寄る努力をすれば、相手も心をしだいに開き歩み寄ってくれるようになる。そしてお互いが成長し、愛が育まれるのだろう。 |
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タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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内 容 | ニックネーム/日時 |
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こんばんは |
自閉症児の親 2009/06/07 23:22 |
そうですね、心を閉ざすというのは正確ではないかもしれないですね。人とコミュニケーションしたいという気持ちはあると思うので。ただ閉じてしまうという感覚はあたっていると思いますよ、自分が経験しているから。あまりに心が傷ついて現実を直視できなくなり、ものをよく見なくなったり、聴く力が弱まったり、新しいものを受け付けなくなるのです。それは幼稚園の頃や思春期に一番ひどかったですね。お年寄りが耳が遠くなるというのも、実は同じような心理的な症状ではないかと私は考えています。認知症とも関連があるように思います。 |
magnoria 2009/06/08 17:51 |
それは「自閉症」ではありません。 |
自閉症児の親 2009/06/08 19:16 |
専門家の言うことが必ずしも正しいとは限りません。自閉症はこうだと他の人間と区別して考えることが差別であり、そのような認識こそが自閉症の解決を阻害していると私は考えています。私は自閉症に近い発達障害でしたよ。当事者だからこそわかることもあるのです。今のように細かく症例を上げてこの症例にはどのような対応でと難しく考えることは、その子を一人の人間として対等に接しているのではなく、その症例を見ていることにはならないでしょうか。どんな子も分け隔てなく一人前の人間として尊重し接するべきなのです。 |
magnoria 2009/06/08 21:02 |
うーん… |
自閉症児の親 2009/06/08 22:17 |
magnoria様、こんばんわ。 |
yuta 2009/06/08 23:39 |
続きです。 |
yuta 2009/06/08 23:40 |
いるとしたら、そのかたは、専門家ではないでしょう。子どもの時期にある子どもたちを分け隔てなく、その子の今を大切に、ともに活動をしています。区別は差別ではありません。たとえば、magnoriaさんと私を区別するのが差別でしょうか?そこに差別を感じるとすれば、その人自身が、調節不可能(ピアジェの発達理論です)な偏見という意識をお持ちである方であろうと思います。自閉症の特徴をお持ちのお子さんたちがもつ生き難さを、少しでも改善するために、自閉症の子どもたちの特徴やその発生機序などを考えることが差別になるのでしょうか。自閉症といわれているお子さんたちの得意な能力と苦手な能力を見極め、得意な能力を生かした発達と社会適応のあり方を考えるのが差別でしょうか。以前、magnoriaさんがお褒めになっていた渡辺さんもその点に関して、一致しているはずです。 |
yuta 2009/06/08 23:40 |
magnoriaさん、magnoriaさんは正直な方なのだろうとは思います。けれど、正直に言っただけのその言動が、他者を多大に苦しめることがあることもまた事実です。 |
yuta 2009/06/08 23:41 |
専門家ひとりの言動は間違う事だってあるでしょう。けれど、今の私は、ちっぽけですが、遥か前を生き抜いた多くの研究者の血の滲むような努力を背負って、その信念を心意気を背負って生きているのです。世代を超えて引き継がれているのです。それを信頼することなく何を信じるのでしょうか。研究者ひとりを責めるのではなく、歴史を背負って、その歴史の重さに耐えて、学び続ける研究者を信頼する広い心もあっていいでしょう(笑)。 |
yuta 2009/06/08 23:41 |
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