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アートゲノム 第14回〜国立新美術館が建つと誰が喜ぶのか?

2004年6月10日

なぜもっと話題にならないのだろう? 東京都心の一等地に敷地面積30000平方メートル、建物延べ床面積45000平方メートルの巨大な国立の公共施設が建つというのに。名称は、「国立新美術館」。1995年に開館した東京都現代美術館の1.3倍ほどの規模である。開館予定は2007年春頃、場所は東京メトロ六本木駅の徒歩圏、総工費は365億円という。



これほどの大規模プロジェクトなのに、そのあり方について市民の声を聞くことは、これまであまりなかったように思う。一度建ってしまえば、規模に応じた維持費もかかる。もちろん、反対すればいいというものではない。ただ、365億円と言えば、税金として結構な額である。国民の間で使い道をきちんと考える場があってもいい。



新聞紙上などに国立新美術館の話題が登場することは、時々ある。意外と没個性的な名称が決まったこと、全館が貸し会場で収蔵品を持たないこと、貸し料金の設定に対する公募展団体の反応などが記事の内容として取り上げられた。新しいところでは、5月20日付の朝日新聞で、横浜美術館館長の雪山行二氏が、首都圏美術館業界への影響を懸念する文章を寄せた。



国立新美術館の外観の完成予想図(同館HPから)



国立新美術館の立地は恵まれている。歩いて400メートル程度の六本木ヒルズの高層階には、昨年10月に森美術館が開館した。2007年春、やはり六本木の防衛庁跡地に建つビルに、サントリー美術館が移転することが決まっている。この一角は、さながら「一大美術館地区」の様相を呈することになる、と宣伝されている。現代美術の森美術館、古美術のサントリー美術館、そして貸し会場中心の国立新美術館。「すみ分け」と言えば聞こえはいい。しかし、そう納得する前に、新しい美術館の存在意義を考えてみたい。



仮称に終わった「ナショナル・ギャラリー」



国公立美術館の存在は、貴重で高価な文化財を一般市民が共有するための「妙案」と言える。セザンヌや雪舟の名品を個人が所有して愛でるのは、よほどの金持ちでない限りは難しい。ならば、よい作品を所蔵している国公立美術館は、市民の作品購入を肩代わりする機能を果たしている、と考えてはどうだろう。購入や保管のための経費のかなりの部分を税金でまかなっているのだから、所蔵品はやはり市民のものである。



当初、国立新美術館の仮称は「ナショナル・ギャラリー」だった。ワシントンやロンドンの「ナショナル・ギャラリー」を念頭に置いて検討を始めたのだろう。例えばロンドン・ナショナル・ギャラリーは、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリに始まる2000点以上の充実したコレクションを持つ素晴らしい美術館である。



しかし、日本の「ナショナル・ギャラリー」は収蔵品を持たず、日展や院展のような公募団体にスペースを貸すことを基本的な運営方針として打ち出した。これまで公募団体の拠点として機能し続けてきた東京都美術館では年間に70団体以上が展覧会を開いており、スケジュールが満杯で「会場が足りない」との声を聞くこともあったから、料金設定が適正なら需要はありそうだ。



ただし、全館貸し館で収蔵品を持たない国立新美術館は、ワシントンやロンドンのナショナル・ギャラリーとはまったく存在の意味合いが違う施設になる。海外の施設を想定した「ナショナル・ギャラリー」という名称はそぐわなくなったと考えていいだろう。



収蔵品を持つと、金がかかるのは明らかだ。購入予算だけでなく、修復にかかる費用のことも考えるべきだし、作品を損傷やカビから守るための保管庫や空調設備も必要だ。



だから全館が、貸し会場なのか---。企画や研究のための学芸員は不要だし、収蔵庫がいらないので、その分も展示スペースに使える。何と効率的なことだろう。立地のよさを考えると、先に登場した雪山氏が懸念するように、新聞社やテレビ局が主催する展覧会の多くが、国立新美術館にシフトする可能性は十分ある。貸し会場主義は、あまりに多大な経費が問題となった東京都現代美術館の二の舞になるのを避けようと模索した結果なのだろうか?



しかし、巨大な貸し会場に、たくさんの税金を使うだけの意義があるのだろうか。採算さえ取れればいいのだろうか? あるいは、公共事業として発注を受けた建築業者が喜べば、それでいいのだろうか? やはり喜ぶべきは、私たち国民のはずである。



「ここに来れば何々が見られる」と言えない美術館



そもそも、私たちにはなぜ美術館が必要なのだろう? 人類の創造の跡を見るのは楽しいものだ。本当にかけがえがないと誰もが思える文化財のコレクションが1点でもあるなら、それなりに満足できるものだ。もちろんそれは、他では得がたいものでなければならない。以前、パリのルーヴル美術館で古代ギリシャ美術の傑作『サモトラケのニケ』を見た時、こんな凄いものがあること自体、この美術館の存在価値だ、と思った記憶がある。



しかし、美術館の価値は、観客が展示作品の美しさに感動を得ることばかりにあるわけではない。いくつか挙げてみよう。



◎すぐれた創造物が知的好奇心を満たしてくれること

◎知らなかった作品が思わぬ驚きを与えてくれることがあること

◎すぐれた美術家の生み出した視点や思考が、観客に新しい発見をさせてくれること

◎他の土地や国の人々に誇ることができるようなコレクションを持つこと

◎埋もれた作品や美術家の価値の発掘すること

◎実物の調査に基づいて研究できること



貸しスペースとしての美術館は上記のような価値を市民にもたらすのだろうか? 国立新美術館は、新聞社主催の大展覧会のほか、数年に一度のトリエンナーレのような国際展の開催も考えているという。だから、個々の展覧会では、いい作品が展示されることは多いだろう。



ただ、収蔵品を持たず、単独主催の展覧会も開かない美術館は、どうも顔が見えにくいのである。「ここに来れば何々が見られる」「この美術館では、こんなことを享受できる」とはっきり言えない場所に、人々がどれくらい引きつけられるかは疑問だ。旅行者の観光スポットとしても宣伝しにくく、政府が標榜する観光立国実現への助けにもなりにくいのではないか。例えば、ヴェネチア・ビエンナーレのように、質が高い作品が集まり、数カ月間という長い会期の国際展が実現するのならば、結構な話なのだが---。



開館までには、まだ3年近くある。せっかく、巨額の税金を使って建設するのだから、もう一度、その存在意義を考え直してみる価値はある。(小川 敦生=編集委員室編集委員)



関連リンク】

■国立新美術館のHP http://www.bunka.go.jp/shinbi/




■小川敦生(おがわ・あつお)

美術ジャーナリスト。1988年日経BP社入社、「日経エンタテインメント」記者としてクラシック音楽分野を担当。その後、「日経アート」記者(美術市場全般を担当)を経て同誌編集長に。2000年から「日経アート・オークション・データ」を毎年刊行。2002年から編集委員室編集委員。東京大学文学部美術史学科卒業。


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