――階級闘争であれ、近親相姦であれ、教師が口にしてならないものはない。というのもかれの地位、人格、人物が暗にかれのことばの「中立化」を含意しているからである。また、言語は、つきつめていくともはやコミュニケーションの手段でありえず、呪縛の手段であって、その主要な機能はコミュニケーションとその伝達内容に関わる教育的権威を証明し、かつ押しつけることにあるからである。
ピエール・ブルデュー&ジャン=クロード・パスロン『再生産』
2009年05月31日
本田由紀は教育学者なのか?
404 Blog Not Found:人文科学者がダメな理由がわかる - 書評 - 日本を変える「知」
小飼がなぜ「人文科学者」ということばにこだわったのかよくわからないが、個人的におもしろいのは、小飼の仮想敵がみな人文科学系ではない点。『日本を変える「知」』の共著者のほとんどが「社会科学」分野の研究者・評論家に分類される人物ばかりなのだ。
まあ、「文系」「理系」(大学受験生の世界観)と言えばよかったところを、「人文科学」「自然科学」と言ってしまったので、「科学」をめぐる奇妙な対立項を立ててしまったんだろう。
この二分法にくらべれば、人文科学/社会科学/自然科学の三分法が(かなり大ざっぱで矛盾をはらむとは言え)よっぽど使える代物だ。
話は『日本を変える「知」』にうつるが(もちろん本は読んでいない)、共著者のラインナップを見ると、社会学(ソシオロジー)の関係者が多い印象。まあ、刊行の背景を考えれば自明だが。
可哀想(?)なのは本田由紀で、彼女は自分のことを「教育学者」だなんて思ってないし、思われたくもないんじゃないだろうか。よくわからないけれど。出版社が「学際性」をウリにしたいがために、本田を「教育学」というカテゴリに放り込んだんじゃないのかなと邪推した。間違ってたらすみません(笑)。
蛇足だが、小飼の書評タイトルにある「人文科学者」(じんぶん-かがく-しゃ)ということばがひどく気持ち悪い。「人文-科学」というのはまあ許容できるとして、「科学者」という語と「人文」という語の接続は著しく矛盾している気がしないでもない。まあ、個人の語感の問題だが。
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