アメリカによる

化学兵器・生物兵器の利用


       毒ガスと細菌兵器は、文明を逆立ちさせた。疾病と闘う代わりに疾病が注意深く育てられるこ
      ととなり、医者は人体機能に関する知識をより効率的に人体機能を停止させるために利用する。
      農学者たちは、穀物を破壊する菌を意図的に利用する。現代の神経ガスは、もともと虫
      ヤシラミを殺し人類を助けるためのものだった。今や、軍の手によって、神経ガスは文字通り、
      人間用殺虫剤と化している。ある作家の言葉を借りるならば、化学兵器と生物兵器は「逆公共保
      健」なのだ。
 

パハマ諸島


一九四〇年代後半から五〇年代まで、米・カナダ・英の共同部隊が、カリブ海のバハマ諸島周辺に危険
性のあるバクテリアを散布した。この実験により、何千頭もの動物が死んだ。人間に犠牲者が出たかどう
かは不明である。実験の詳細は今も機密事項とされている。

 カナダ


一九五三年、米軍はトラックに載せた空中放散機を使って、危険性のある硫化亜鉛カドミウムをカナダ
                                                のウィニペグの街にばら撒いた。化学兵器・生物兵器実験の一環であった。

 中国と朝鮮/韓国


 朝鮮戦争(一九五〇ー五三年)中の一九五二年前半、中国当局は、朝鮮と中国北東部に、米国が、大量の
バクテリアや虫、羽毛、腐った動物や魚の一部、そのほか多くの奇妙なものを投下していると主張した。
中国政府は、ペストや炭そ病、脳炎などにより犠牲者が出たと述べた。中国政府は、これらの物質を運ん
でいた飛行機に乗っていたという米兵三六名から証言を集め、そのうち二五の証言を発表した。爆弾や投
下された物質の詳細、虫の種類、媒体が運ぶ病気の種類など、作戦全体にわたる詳細な証言だつた。細菌
爆弾と虫の写真も公表された。八月に、スウェーデン、フランス、英国、イタリア、ブラジル、ソ連の科
学者からなる「国際科学委員会」が指名された。委員会は二カ月以上にわたり中国で調査を行ない、多く
の写真を含む六〇〇ページの報告書を作成した。この報告書は、「朝鮮と中国の人々は、実際に、バクテ
リア兵器の標的とされた。これらの生物兵器はアメリカ合衆国軍の部隊が用いたもので、このために非常
に多岐にわたる方法が採用された」と結論した。

 しかしながら、米航空兵の証言の中には、生物学に関する専門的知識が非常に多く含まれるものもあり、
また、「帝国主義者・資本主義者のウォールストリート戦争狂」といった共産主義のレトリックに満ちあ
ふれているものもあったため、証言が本物かどうかについては擬問が残っている。また、のちに、航空兵

の多くが、精神的・身体的にひどく脅迫されて告白したことがわかった。少なくとも一人は殴打されてい
た。また、なかには、自分が投下している兵器の中身について知らない者もいたと思われる。戦争が終わ
つて帰国したパイロツ.トたちは、自分の告白を撒回したが、この撤回もまた、軍法会議にかけるとか、米
国司法長官が言うところの「国家反逆罪」その他の処罰が加えられるという脅しのもとで、つまり多大な
精神的脅迫のもとでなされたのである。

 米軍が、生物戦争の一環として七面鳥の羽毛を使う実験を米国内で行なつていたことが、一九七九年に
 明らかになったことも付け加えておこう。
 さらに、一九五一年一二月には、米国国防長官が、生物兵器の攻撃使用について、「できるだけ早期に
実践利用の準備を完了しておく」よう命令を出していた。その数週間後、空軍参謀は「すぐに実現可能」
           
と答えている。
米国は朝鮮に大量のナパーム弾を投下している。一九五二年には一日平均七万ガロンであった。
 さらに、米軍が一九六七年から一九六九年にかけて、南北朝鮮国境非武装地帯の南側二万三六〇七エー
カーに枯葉剤を散布したことが、一九八〇年に初めて明らかにされた。植物を一掃し、北朝鮮
からの侵入を防ぐためだという。

 べトナム


一九六〇年代前半から約一〇年にわたって、米国は南ベトナムの三〇〇万エーカー以上に除草剤を散布した (ラオスとカンボジアでも除草剤を使った)。敵がカモフラージュとして使
う木の葉と穀草を全滅させるためだった。除草剤、なかでも特に大量に使用された枯葉剤によって、ベト
ナムの国土は五〇〇ポンドものダイオキシンで汚染された。ダイオキシンは世界で最も毒性が
高い物質の一つであり、無害化することもほとんどできない。少なくとも神経ガスと同じくらいの毒性を
もち、極めて発ガン性が高い。ダイオキシンによる人体への影響として、代謝異常、免疫不全、生殖異常、
神経心理障害などがある。ニューヨークの住民を全滅するためには、約一〇〇グラムを水道に混ぜれば充
 分であると考えられている。

 二〇〇万人ものベトナム人がこうした 毒物の被害を受けている (アメリカ兵も何千人もが被害を受けて
いる)。枯葉剤にまみれた地域では出生異常の発現率が異常に高く、文書報告はないが、ベトナム政府は、
五〇万人近い子供たちの出生異常がさまざまな化学物質により引き起こされていると堆定している。こう
した健康への被害について、米国は、ベトナムの人々にも政府にも、まったく賠償金を支払っていない。
 米軍はさらに、CSガスやDMガス、CNガスといった催涙ガス類も用いた。

ワシントンは、これらは
「暴動統制」物質であり、「毒ガス戦」 には相当しないと言い張っている。ベトナム戦争中、米軍はCSガ
スー嘔吐を引き起こす強力なガス ー を、民族解放軍兵士がもぐり込んでいたトンネルや洞窟に送り込
んだため、多くの兵士が閉ざされた空間で自分の吐潟物により窒息死した。北ベトナムの国際赤十字をは
じめとする国際機関は、これらのガスにより多くの女性や子供が死亡し、また、眼球の破壊や顔の水膨れ、
皮膚の炎症や爛れなどが引き起こされたと述べている。サイラス・バンス米国防副長官は、青酸カリや批
素の化合物も用いたことを認めている。米国は、ほかにも、ベトナムで、ナパームやナフタリン火炎放射
器を用いている。

 ラオス


一九七〇年九月、ラオスで「追い風作戦」を遂行していた米軍は、ある村のキャンプを攻撃する際、村
への侵入を容易にするために噴射式サリン神経ガス (「CBU−15」あるいは「GB」と言われているもの)を値用した。この侵攻の目的は、そこにいると思われた脱走アメリカ兵たちを殺害するというものだった。
作戦は一〇〇名の兵士と文民を殺すことに成功した。そのうち少なくとも二名がアメリカ兵だった。攻撃
開始前のサリン・ガスで殺された人がどのくらいで、攻撃自体で殺された人がどのくらいかはわかってい
ない。

 サリンは一九三〇年代にドイツで開発された・毒ガスで、その蒸気を吸うとまもなく死亡する。皮膚にサ
リンを一滴たらしても同じである。通常の服を通過してしまう。サリンは筋肉の動きを制御する酵素を破
壊する。その酵素が破壊されると体は筋肉を止めようがなくなり、恐ろしい状態になる。
村を侵略したアメリカ兵たちは、撤退時に、優勢な北ベトナムとパテトニフオ
とも言う。この兵士に出くわした。アメリカ兵たちは空からの支援を求め、まもなく米
軍機がやってきて敵の頭上にサリン・ガスの弾筒が投下された。弾筒が爆発し、湿った霧に取り囲まれた
敵の兵士たちは地面を転がり、嘔吐し痙攣した。ガスの一部はアメリカ兵の方にも広がった。アメリカ兵
も全員が充分な防御装備を身に着けていたわけではなく、ひどく嘔吐しはじめた者
もいた。

その一人は、
現在、進行性麻痺にかかっており、医者は神経ガスによるものと診断している。
 以上の事件は、一九九八年六月七日、「ニューススタンド CNN&タイム」というTV番組で報道さ
れた。一九七〇年に統幕議長だった海軍大将トマス・ムーラーをはじめ、軍閥係者が人によっては顔を隠
して登場し、この事件について認めた。
 この放送は、大騒動を引き起こした。
アメリカの学校教科書や 『リーダーズ・ダイジェスト』誌、星条旗、アップルパイ、ママなどといった、
これまでのアメリカのイメージと、大きくそして悲痛なまでに矛盾していた。ダメージ修復がはかられ、
大物が呼び出された。ヘンリー・キッシンジャー、コリン・パウ
エル、グリーン・ベレーの退役兵たち、
メデイアのエリートたち、そしてペンタゴン。誰もが一様に、この番組は間違っており、馬鹿げており、名誉毀損であると叫んだ。CNNは撤回し、ムーラーも撤回し、
 制作者は解雇され、いたるところで裁判沙汰となつた。

 スターリン政権下で反対派の人々は存在しなかったことにされたように、「追い風作戦」は公式に「存
在しなかった出来事」とされたのである。
 けれども、番組の制作者であるエイプリル・オリバーとジャック・スミスは自分たちの主張を裏付ける
七七ページの文書を作成し、神経ガスを用いたことを確認する軍関係者の実際の証言を掲載している。
 

 パナマ


一九四〇年代から九〇年代まで、米国はパナマの各所で、「マスタード・ガス」 や「VX」 「サリン」
「シアン化水素」といった神経ガスを装備した地雷やロケット、弾薬などの試験を行なっていた。おそら
く何万という化学兵器がテストされた。初期には米軍兵士を実験台に使っていた。兵士の中には深刻な被
害を受けた者もいた。一九九九年末に米軍がパナマから撤退したとき、多くの場所に化学兵器と通常兵器
の残骸を残していった。爆発しなかった多くの化学兵器 (飛行機から投下されたもの)もあった。一九七
 九年以来、二一名のパナマ人が、不発通常兵器の事故で死亡している。
 米軍はまた、一九六〇年代と一九七〇年代に、パナマで枯葉剤をはじめとする有毒除草剤の秘密実験を
行なった。これにより、多くの一般市民や軍人が致死的な化学物質にさらされることとなった。ダイオキ
シンを含んだ枯葉剤がドラム缶に何百本もパナマに運び込まれ、ジャングルや人がよく訪れる地帯に散布
 された。東南アジアの戦場を摸すためであった。
 米国がパナマを侵略した一九八九年一二月、パナマ・シティのそばにある山あいの村パコラは、パナマ
の米国南方軍がヘリや飛行機から投下した化学物質による爆撃を受けた。住民は、人権団体や報道陣に、
投下された物質により皮膚が焼け、刺すような痛みと下痢が引き起こされたとの苦情を伝えている。この
爆撃は、近くの山々に兵営していたパナマ軍兵士に対する村人の支援を阻止するために行なわれたものと
見られている。化学物質の長期的影響はわかっていない。

 キューバ


(1)一九六二年八月、ソ連が借用していた英国籍貨物船のスクリューに障害が発生し、修理のため船は
プエルトリコのサン・ファン港に立ち寄った。キューバ産の砂糖八万袋を積んでソ連へ向かっている船だ
つた。この船は乾ドックに入れられ、修理の都合で一万四一三五袋の砂糖が倉庫に移された。これらの砂
                                
糖に、CIAのエージェントが、無害ではあるが砂糖を食べられないほど不味くしてしまう物質を混入さ
せた。ケネディ大統領はこれを知って激怒した。米国領土の事件なので、見つかると、ソ連にとっては絶
好の宣伝チャンスである。さらに、冷戦下で化学物質を使った破壊行為の恐ろしい前例となるからである。
ケネディは砂糖をロシア人たちに返さないよう命じた。ロシア人にどんな説明がなされたかは、公表され
ていない。けれども、同様の妨害行為はその後もつづけられたようである。キューバに対する世界観模の
妨害作戦を補佐したあるCIA職員は、のちに、「キューバから大量の砂糖が輸出されたが、われわれは
                                    
多くの汚染物質を混入した」と告白している。
 

(2) 同年、キューバ政府顧問として雇われていたカナダ人農業技術者が、キューバの七面鳥にニューカ
ッスル病を引き起こすウイルスに感染させるために、「あ
るアメリカの軍諜報エージェント」から五〇〇〇ドルを受け取った。その後、八〇〇〇羽の七面鳥が死ん
だ。この技術者は、のちに、確かに自分は七面鳥が死んだ農園を訪問したが、ウイルスは撒いておらず、
金を着服しただけだと主張し、七面鳥は世話不足などの、ウイルスとは別の理由で死んだのだろうと述べ
た。これは自己保身のための言葉かもしれない。ワシントン・ポスト紙は、「米国諜報報告によると、キ
ューバ人およびアメリカ人の一部は、七面鳥が死んだのはスパイのためだと考えている」と報じ

た。
 

(3) あるプロジェクトの参加者の証言によると-
「一九六九年と七〇年に、CIAはキューバのサトウキビを破壊してキューバ経済に打撃を与えるために、
未来的な天候変更技術を利用した。カリフォルニア砂漠のハイテク開発機関であるチャイナレイク海軍武
器センターを発した飛行機がキューバ上空を飛行し、水晶の粉によって雨雲を発生させ、その雨雲は農業
地帯の外で猛烈な雨を降らせる一方、サトウキビ畑は旱魃に見舞われることとなった(場所によっては豪
                    
雨による洪水で死者も出た)」。
 CIAがこうした手段を試みたことはさほど驚きではないが、ちょうど良いタイミングで豪雨に見舞わ
れたというまったくの幸運によって成功したように見えただけであろう。

(4) やはりプロジェクトに参加した人々によると、一九七一年、CIAはアフリカ豚コレラ
のウイルスをキューバ人亡命者たちに手渡した。六週間後、キューバで
アフリカ豚コレラが大発生し、これが全国に広がることを阻止するため、キューバは五〇万頭の豚を殺さ
なくてはならなくなつた。この大発生は西半球で初めてのもので、国連食料農業機関(FAO)は、これ
をその年で「最も警戒すべき事態」と呼んだ。
〔5) それから一〇年後、「デング出血熱」(DHF)がキューバで大流行した。このときの標的は人間だ
ったのかもしれない。血を吸う虫、通常は蚊によって伝染するこの病気は、インフルエンザのような症状
と何もできなくなるほどの骨痛をともなう。一九八一年五月から一〇月までに、キューバで三〇万件のデ
ング出血熱が発生し、一五八人が死亡した。そのうち一〇一人は一五歳末満の子供であった。
 のちにアメリカ国立疾病防疫センターは、このデング熟は東南アジア発の特定のタイプ「DEN−2」
であり、キューバにおける発生が、アメリカ大陸地域におけるデング出血熱の最初の大規模な伝染である
と報告している。カストロは、米国に蝶体となっている蚊を駆除するための殺虫剤を依頼したが、提供し
 てもらえなかったと述べている。

 機密解除された政府文書が示すところによると、米国陸軍は、一九五六年と一九五八年に、ジョージア
州とフロリダ州で特別に育てた蚊の群を放ち、伝染病を媒介する虫が生物戦争の武器になるかどうか実験
したという。実験に使われたのは 「ネッタイシマカ」 であり、まさにデング熱をはじめとするさまざまな
病気を蝶介する蚊であった。
『サイエンス』誌は、一九六七年、デング熱はメリーランド州フオートデトリックの米国政府研究所で
「かなり研究された病気であり、生物戦争のエージェントと見なされるものの一つであった」と報告して
いる。一九八四年、ニューヨークで別件の裁判を受けていたあるキューバ人亡命者は次のように証言した。
「〔一九六〇年代後半、フロリダからキューバへ向かったある船は〕キューバに細菌を運び込む使命を帯びていた。
ソビエト経済とキューバ経済に打撃を与えるため、生物攻撃を開始するためだった。その結果は、われわ
れが期待していたものとは違っていた。というのも、われわれは、それはソ連軍に対して使われるのだと
思っていたのであるが、実際にはわれわれキューバ人に対して使われたからだ。それには賛成できなか
った」。 このキューバ人が、細菌兵器の効果をソ連に限定することができると考えていたのか、作戦の背後にいた者たちに騙されたのかははっきりしていない。
 

(6)一九九六年一〇月二一日、キューバ上空は晴天だったが、マタンサス地方上空を飛行していたキュ
ーバ人パイロットが、何かの物質を七回霧状に噴射している飛行機を現認した。米国国務省が運用してい
るアメリカの農薬散布機で、グランド・ケイマン島経由でコロンビアに向かうためにキューバ上空を通過
する許可証をもっていることがわかった。キューバ人パイロットの報告を受けたキューバ管制官は、米国
のパイロットに何か問題が生じたのかと無線で問い合わせた。問題はないとの答えだった。その年の一二
月一八日、キューバで、「ミナミキイロアザミウマ」の異常発生の最初の兆候が見られた。ミナ
ミキイロアザミウマは、これまでキューバでは見られなかった植物の害虫である。ほとんどすべての作物
に重大な被害を与え、多くの殺虫剤に対して耐性をもっている。キューバは、米国に対し、一〇月二一日
の出来事の説明を求めた。

七週間後、米国は、国務省のパイロットが放出したのは煙であり、キューバ人
パイロットに場所を知らせるためだったと返答した。その後、キューバでは、ミナミキイロアザミウマが
急速に広がり、トウモロコシや豆、カボチャ類、キュウリをはじめとするさまざまな作物に打撃を与えた。
「アメリカ連邦航空局」 (FAA) は、問い合わせに対し、場所を知らせるために健を放出するのは「F
AAの慣例ではなく」、「これを求める規定はどこにもない」と述べている。
一九九七年四月、キューバはこれを「生物攻撃」であるとして、米国を国連に告発するために、一九九
六年の事件とその後のやりとりについての詳細な報告書を提出した。同年八月、生物兵器条約の締約国が、
キューバの告発とワシントンの対応とを検討するためにジュネーブに集まった。一二月、この委員会は、
問題の 「技術的複雑さ」 のため、決定的な結論にいたるのは不可能であると報告した。それ以来、この問 キューバに対するアメリカの化学兵器と生物兵器による攻撃の全容が明らかになることはないだろう。
永年にわたってキューバ政府は、動物や作物に打撃を与えたほかの伝染病についても、米国を非難してき
ている。一九七七年、新たに公開されたCIA文書は、CIAが「一九六〇年代に世界中の多くの国を標
的とした作物破壊戦の秘密研究プログラムを行なつていた」ことを示している。 -----------------------------7d522a231703ac Content-Disposition: form-data; name="userfile"; filename="" Content-Type: application/octet-stream