岡山県東北部の小さな村、英田郡西粟倉村。面積こそ58平方キロメートルあるが、ほとんどは山間部。人口はわずか1800人しかいないその場所で、「村始まって以来の大騒動」(地元住民)が勃発した。長野県の自宅から祖父の葬式に来ていた春名真理子さん(36)の次女で、小学校2年生の晃世ちゃん(8)と、三女で保育園児の梨世ちゃん(5)が今年1月23日、まるで神隠しにでも遇ったかのように、突然行方不明になったのである。あまりに謎の多いこの事件。現場を歩いてみた。
(取材・写真/
庄村有治) |
★なぜこんな場所に★
身代金の要求がなく営利目的の誘拐の可能性が低いことから岡山県警は公開捜査に踏み切り、1月31日までに延べ1650人のボランティアも捜索に参加した。そのボランティアも地元の人だけではなく、鳥取や兵庫などの近隣県からも多数参加。地元の右翼やヤクザも懸命になって姉妹の行方を捜していたほどだ。だが、周囲の祈りもむなしく、幼い少女たちが行方不明になってから18日目、姉妹は大人の足でも1時間以上もかかる山深い山中で遺体で見つかったのだ。
姉妹は大きな杉の木の根元に二人並んだ形で、横向きになって死んでいたという。服装はいなくなった当時と同じだった。たまたま猟に来ていた地元の男性ら3人が、林道から約100メートル離れた雑木林の、しかも30度にもなる急な斜面で発見した。
自身も猟をするという地元男性は「あんな険しい場所へ行くのは、山の持ち主か猟をする人間しかいない。とくに冬場だと昼間でも薄暗い所だ。子供が自力で行ける場所とはとても思えないが・・・」と、首をひねっていた。また春名さんの実家近くに住む主婦は「ほんとうに可愛い娘さんたちでした。姉妹の仲も良く、実家に戻ってくると、いつも二人で遊んでいた姿を見かけました。夜は怖くて寒かったでしょうね。
こんなことになるなんて悔しくてなりません」と涙を浮かべ言葉を詰まらせた。
また別の男性住民は「ここら辺りは冬場になれば大人でも一晩で凍死する。姉妹が死んだとすれば、行方不明になったその日のうちでしょう」と推測する。残念ながら、その推測は当たっていた。
警察は姉妹の遺体を岡山市内の大学病院で行政解剖した結果、死因は凍死。行方不明になった23日のうちに死亡したと発表。あくまでも事故で、事件性は薄いとしている。
長野県から現場に駆けつけた晃世ちゃんの担任教諭は会見で、「晃世ちゃんはとても好奇心が強い子です。野生のシカかウサギに誘われ、気がついたら戻れなくなったのでは」と推測する。確かに姉妹2人は行方不明の前日、隣の東粟倉村のオルゴール館を訪れ、帰りに野生のシカに遭遇、とても興奮していたという。そのシカの姿を追い求め、再びオルゴール館へ向かったのでは、との推理も地元では出ている。
★目撃者がいない謎★
しかし、死因が凍死だとしても、なぜ幼い姉妹が「猟をする人以外行かない」雑木林に迷い込んだのか。謎は深まるばかりである。しかも行方不明当日は、夕方から「年に何回もない悪天候」と地元の人間に言わせるほどの荒れ模様。夕方から夜にかけて吹雪になり、翌朝には数センチの雪が積もり、辺りは一面真っ白になったほどだ。
筆者はこの事件が発生した直後に現地入りし、取材を進めるかたわら、ボランティアの捜索隊に混じって山間部を歩いてみたが、残雪が残る山道は大人が歩くのも一苦労。果たして姉妹が足場の悪い急坂を上って尾根を越え、子供の足で雪の積もる山道を約5キロも歩けるのだろうか、という疑問にとりつかれた。
繰り返すが、姉妹の遺体が発見された現場は、実家から最短距離の道のりを歩いて、約5キロ。冒頭にも書いたが、大人でも1時間以上かかる距離である。だが、不思議なことに、姉妹を見たという目撃証言は一切ない。母親が姉妹の声を最後に聞いたのは、午後3時50分ごろ。
かりにその時刻に姉妹が山へ登ったとすれば、山林へ入る前には多くの民家があり、途中にある兵庫と鳥取を結ぶ国道には、乗用車やトラック、観光バスがひっきりなしに走っているのだ。あれだけ新聞やテレビで報じているのだから、ひとりくらい目撃者がいても不思議ではないはずなのだが・・・。
筆者は当初、この事件は誘拐だと考えていた。いや、警察やマスコミ、ボランティアの捜索隊を含め、幼い姉妹が単独で行方不明になるとは誰も考えていなかった。広範囲にわたり川や山を洗いざらい探しても発見されなかったのだから、そう考えても無理はない。「変質者による誘拐」「いや、親が怪しい」など、地元では出所不明の噂話が飛び交っていたものである。
しかし、検視した大学病院と警察が「外傷はなく死因は凍死。事件性はなし」と判断した以上、姉妹が単独で山に登ったと考えるしかない。「誰かが車で姉妹を山中に置き去りにしたのでは」と推理する向きもあるが、山道にはタイヤ痕もなかったというから、その説にも無理がある。
★新たなルートを発見!?★
ならば、なぜ姉妹は誰にも見つからず山の中へと歩いていったのだろうか。
筆者の考えだが、おそらく姉妹は新聞やテレビが報じている道を歩いてはいない。
かりにシカの姿を追い求め、発見場所へと伸びる約5キロの道を歩いたとしても、大人の足でも1時間はかかる距離である。母親が最後に声を聞いた午後4時前に実家を出たとしても、日の入りが早い真冬のこと、山道へ入るころにはとっぷりと日が暮れているはずだ。しかも雪が降っている。8歳の姉ならずとも、5歳の妹は怖がって、「お姉ちゃん、もう帰ろうよ」と泣いてせがむのではあるまいか。逆にその道を歩いていたら助かる可能性は高かったはずだ。一本道だから、来た道を引き返せばいい。それに少し歩けば民家もある。
それともう一点。発見された場所が、山道から外れた傾斜角30度の山林だったことである。大人でも下手をすれば転げ落ちる場所だ。しかも周囲はすでに暗くなっているし、雪も積もっている。家へ戻るには一本道を下ればいいだけなのに、わざわざ道のない山林へと進む理由が分からない。
じつは誰にも発見されず、遺体発見現場へと伸びるルートがあるのだ。姉妹の実家のすぐ目の前にある神社がそうである。鳥居をくぐり階段を上っていけば神殿があるが、ここは無人。このルートを通ったとすれば目撃者がいないことも合点がいく。
地元は宮本武蔵の郷でもある
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母親の実家を訪れるたび、姉妹がその神社付近で遊んでいたことは付近の人にも目撃されていることから、行方不明になった当日も、おそらく神殿へと延びる神社の階段を上り、獣道へと分け入ったのではあるまいか。そして道に迷ってしまった・・・。
筆者もそのルートを探るべく、神社から獣道を伝って山中へと入ってみた。途中まで行くと道らしい道はなくなり、薄暗い山の中では東西南北すら分からなくなる。姉妹はここに迷い込み、何時間も山中をさまよった結果、発見現場で力尽き、そのまま帰らぬ人となったのではなかろうか。傾斜角30度の発見場所は、姉妹が下から登ったのではなく、上から降りてきたと考えるほうが納得できる。
取材を終え、疲れた身体で神社の階段を下りる途中、幼い姉妹が手をつないで元気いっぱいに階段を駆け上がっていく姿を見たような気がした。果たしてあれは幻覚だったのか。
姉妹の冥福を祈りたい。
【これまでの経緯】
●1月17日 真理子さんと一緒に晃世ちゃん、梨世ちゃんが西粟倉村へ帰省
●19日 祖父の葬儀に参列
●22日 東粟倉村のオルゴール博物館を訪れ監視員が撮影したカメラに偶然姉妹が写る
●23日 午後3時50分ごろ、実家そばで遊んでいた姉妹の行方が分からなくなる。
同日 午後5時すぎ、真理子さんが勝英署に届け出。同署員や消防団員ら約120人体制で捜索開始
●24日夜 西粟倉村が「行方不明少女捜索対策本部」を設置
●26日 対策本部がチラシを作り、鳥取、兵庫両県を含めた近隣市町村に配布
●27日 対策本部が募集したボランティア80人が捜索に参加
●2月1日 ボランティアの捜索打ち切り。県警が立て看板を西粟倉村内など13カ所に設置
●9日 午後1時半ごろ、東粟倉村の山中で姉妹が遺体で見つかる
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