TOPページ > 日本PTA50年の歩みと今後の展望 > 第4章 第1節 1
昭和50年代前半、青少年非行は戦後第3のピークを迎えていた。学校でも校内暴力事件などが多発していった。こうしたことの背景の一つとして、子どもたちの社会での教育環境の悪化、マスコミの悪しき風潮の影響などが懸念されるようになっていた。
このため、日本PTA全国協議会は、不良マスコミ対策に積極的に取り組むこととした。
早くも、昭和47年(1972)3月には、不良マスコミ排除の要望書を関係官庁に提出している。昭和52年(1977)以来は、協議会内に「文化マスコミ特別委員会」を設置し、そこを中心に各種の運動を展開していった。
昭和53年(1978)3月に、文部省、民法連等へ申入書を提出、6月には、テレビ俗悪番組ワースト5について各都道府県PTA連合会あてに調査票を送付し、その地域でのワースト5を選定するように依頼した。
さらに日本PTA全国協議会としてそれを集計し、全国レベルでワースト7を決定した。俗悪番組を追放するという趣旨を徹底させるため、調査の集計結果を発表するとともに、番組の制作局・スポンサー企業に対し、番組の放送中止・改善を要請した。
9月以降にも改善がない場合にはその番組のスポンサー企業の商品不買運動を予定することも決定し、その上で7月に放送局に自粛の申し入れを行った。
なおも、8月・10月にも、放送局、スポンサーに直接申し入れ、あるいは要請文書の送付を行っている。
これに対し、日本放送出版協会の発行する雑誌「放送文化」の編集長から公開質問状が日本PTA全国協議会に送られたことが、同年11月30日付け機関紙日本PTAに載っている。
などを内容とするものであった。
これに対する日本PTA全国協議会の回答は、
基準は、
という点にあることを明らかにしている。
このときの七つの番組とは、
「8時だよ全員集合」、
「スターどっきり秘報告」、
「見ごろ食べごろ笑いごろ」、
「ウィークエンダー」、
「飛べ孫悟空」、
「噂のチャンネル」、
「女子プロレス」となっている。
昭和56年(1981)7月には、俗悪テレビ番組追放シールを作成することとし、図案を全国の会員から募集した。翌年3月にはシールを完成させ、各家庭に1枚4円で頒布した。
その後、日本PTA全国協議会では、全国58の協議会を通じ、各20名のモニター合計1,160人に、テレビ番組の適否のアンケート調査を依頼した。この結果を集計し、昭和61年(1986)12月、テレビ番組調査の第1回集計の発表を行った。
好ましい番組ベスト10では、
一方、好ましくない番組ワースト10では、
日本PTA全国協議会ではこうした結果をもとに、教育環境浄化を目指す観点から、放送機関、番組提供企業、文部省、郵政省、自民党などに要望・陳情活動を行った。
なお、昭和62年(1987)3月には、テレビ番組調査第2回目の集計発表するとともに、「昭和62年度テレビ番組等調査報告書」を作成している。
こうしたPTAとしてのテレビ番組のランク付けは、社会的に大きな反響を呼んだ。
しかし、賛否両論の中で、果たして効果はどうだったのであろうか。
テレビ番組の子どもに与える影響は確かに大きなものがあり、親にとって並々ならぬ関心事であるが、当初目的とした効果がこの運動で得られたのかどうか、疑問なしとしない。
しかも、本当に見てはならないような悪い番組だったのか、今から振り返ってみても必ずしも明確には、言い切れない面がある。
そもそも、PTA運動としては、番組を止めさせることの以前に、不適切なものなら親が子に見せさせないようにすることのほうが、筋だったのではないかとの意見もある。
今後も、子どものテレビ視聴は大きな課題の一つであり、これに対してPTAとしてどう取り組んでいくのか、大きなエネルギーを費やす活動の評価は欠かせないものと思われる。
テレビのほか、有害図書の排除についても積極的な運動を展開している。
昭和55年(1980)4月、有害図書自動販売機を通学路に設置することを禁止するように法規制を求める請願書を国会に提出したほか、有害図書自動販売機の設置そのものの禁止、および青少年に対する猥褻図書の販売を禁止する法規制をも訴えるとともに、一般の成人に対しても有害図書の不買の呼びかけも展開していった。
翌56年(1981)3月には、有害図書の自動販売機を通学路、それに順ずる道路に設置することを禁止する法律の制定を求めて、署名活動を行い、255万人の署名を集めている。
11月には、有害図書自動販売機規制についても調査している。