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解放軍やめ民主化運動―第5部〈天安門記〉

2009年6月7日8時8分

写真元人民解放軍中尉の辺寧さん。長女は無国籍のままだ=埼玉県八潮市、豊間根功智撮影

 5月下旬、埼玉県八潮市の住宅街。タクシー運転手の辺寧(ピエン・ニン)さん(47)は20時間余の勤務を終えて帰宅した。午前4時過ぎだ。小学3年生の一人娘の寝顔を見てから、パソコンに向かった。

 辺さんは中国人民解放軍の元中尉である。いまは日本で民主化活動を続ける。

 米国や欧州などから50通近い電子メールが届いていた。天安門事件20周年の集会の予定や活動家の消息、意見交換……。中国国内からも来た。

 父は解放軍少将、母は共産党機関誌の幹部。84年、北京の名門大学を卒業し、解放軍に入った。軍系企業の武器輸出部門に配属された。

 89年春に天安門広場で学生の民主化運動が高まる。ハンスト学生たちを見て、「国を愛し、命をかけてよくしたいと思う気持ちは同じだ」と共感した。仕事の合間に頻繁に広場を訪れた。会社でカンパを呼びかけて食料を仕入れ、約20人の同僚と一緒に、軍のトラックを無断で使い広場に運び込んだ。

 6月4日未明も広場にいた。「ドッドッドッド」。重い音が広場に響いた。軍用機関銃だとすぐ分かった。「逃げろ」。学生たちに叫び、走り出した。目の前の女子学生が突然倒れた。懐中電灯で照らすと、白い夏服が真っ赤に染まっていた。頭を撃ち抜かれ、即死だった。「頭が真っ白になって逃げ続けた」

 軍から自宅謹慎を命じられた。「信じていたものがすべてガラガラと崩れた」。日本に留学中のいとこに日本語学校の入学手続きを頼み、公安局にいた中学の同級生に旅券を出してもらった。

 秋に来日。日本語学校に通いつつ、中国の民主化をめざす組織で広報紙をつくった。だが、組織はしだいに細り、広報紙も96年にやめた。

 上海出身の妻との間に生まれた長女は無国籍だ。中国大使館に国籍取得の手続きに行くと、活動をやめるよう求められた。苦悩したが、目の前で死んだ女子学生が忘れられず、応じないままでいる。

 家族で日本国籍を取得することも考えたが、踏み切れない。「中国が変わる時は必ず来る。その時に中国人として祖国に帰り、あの日に広場で見たことを人々に話したい」

 事件当時、日本でも数千人のデモがあり、日本に残った留学生も多い。だが、いまや表だって民主化を語る人は少数派だ。

 昨年、大阪で、かつての民主化運動のメンバーらが集まった。「遺産」の使い方を決めるためだ。

 天安門事件当時、関西の中国人留学生らでつくった「中国民主化支援連合会」に留学生や日本の市民からカンパが寄せられた。だが、中国の民主化運動は弾圧され、資金の送り先を失った。利子も含めて700万円余りになる。

 昨年になって、元リーダーの大学教授が、資金を四川大地震の救援金に使おうと提案した。同じころ、天安門事件の犠牲者の遺族団体がウェブサイトで犠牲者のリストなどを公表し、この遺族団体に寄付する案も出された。「カンパしてくれた日本人のためにも、目的を変えることは許されない」。メンバーは遺族団体への送金を支持した。

 四川送金を呼びかけた教授はその後、中国の名門大学の幹部に迎えられた。一方、遺族団体への寄付を支持した大学講師の余項科(ユイ・シアンコー)さん(46)は「20年前の思いを忘れずに持っている」と語る。民主化へのこだわりは今なお多くの在日華人の胸に漂う。

■問い直す

 天安門事件とは何だったのだろうか。

 事件を題材にした小説「時が滲(にじ)む朝」で、中国人初の芥川賞作家となった楊逸(ヤン・イー)さん(44)は思う。「事件後、中国は経済に重心を置いて、めざましい発展をとげた。中国には中国にあった服がある。まず民衆の生活であって、民主主義とは限らない」

 楊さんも20年前、天安門広場に行った。留学中の日本でアルバイトしてためたお金で航空券を買った。学生リーダーの指揮所が置かれた広場中央の人民英雄記念碑に、日本の学生証を見せて入れてもらった。記念碑に登り、広場を見下ろした。見渡す限り民主化を求める人、人、人。

 「何でも小声で話さなければならないような社会の抑圧が一気にとれた爽快(そうかい)感を、生まれて初めて感じました」

 高校生の妹にも見せようと、故郷の黒竜江省に迎えに行った。だが、数日後に戻ると、広場には人影がなくなっていた。失望した。「一体広場で見たものは何だったんだろう」

 19年後の昨年、「時が滲む朝」を書いた。「人生で最も衝撃を受けた事件と向き合いたい」と思った。だが、事件への評価は避けた。「正しいとか間違っているとか評価する必要はない。それぞれの人が自分なりの見方を持てばいいのでは」と語る。

 決めつけない考え方には楊さんの人生観も絡む。日本での留学、仕事、結婚、子育て、離婚。「本当に大変だった。人間も物事も複雑で、単純に言い切ることは出来ないことを知りました」

 大勢の在日華人が北京や日本で89年の民主化運動を経験したが、20年の間に天安門事件や民主化への見方は変わってきた。歳月は中国を大市場にした。政治から離れ、ビジネスに力を入れてきた在日華人にとって、今の中国はチャンスにあふれる。

 画像処理などが得意の情報技術(IT)企業、サイバネットテクノロジ社(東京)の張林峰(チャン・リンフォン)社長(41)は、その技術を来年開催する上海万博の出展者に売り込み中だ。

 張さんも天安門広場に通った。軍が北京の中心部に入らないよう、他の人々と説得した。だが、軍は1週間後に突入、広場を制圧した。失望の中で国を出ようと思った。

 92年に来日。日本企業で技術を磨いた。99年に友人とサイバ社をつくり、多くの大手企業と取引する。「どんな主義であれ、国民を幸福にできれば、いい政党だ」

■やせ細る民主化組織

 天安門事件当時、東京での民主化活動のリーダーだった楊中美(ヤン・チョンメイ)さん(63)は、その年に生まれた長女との会話の中に20年の流れを感じる。

 四つの大学の非常勤講師を掛け持ちする楊さんは98年、家族で日本国籍を取った。大学生になった長女は、政府の強い指導力で、経済力と国際社会での影響力を増す「母国」を頼もしげにみつめる。

 「中国は弱者切り捨てだけど、国として強くなりやすい体制ではないか。一定の犠牲はしかたないかな、と思うこともある」

 楊さんは家庭で民主化運動をあまり語らない。だが、長女の言葉には「支配階級の理屈だ。独裁主義は一歩間違うと、民衆に甚大な災害をもたらす」と語気を強めた。

 81年に来日し、立教大大学院で学んだ。天安門事件の翌月、日本で雑誌「民主中国」を創刊し、政権を批判した。

 だが、中国の改革派が力を失うと、国外の運動もしぼんだ。92年から中国が市場経済化を加速すると、各国の政府や企業がすり寄っていった。「少なくとも経済面では、中国の現実が我々の理想の先を行ってしまった」

 仲間内のきしみや家族の負担も大きくなり、93年に「研究者として中国を客観的に観察する」と、運動から身を引いた。先月、党幹部が購読する中国の雑誌に論文を寄稿した。「党内民主」への取り組みを評価しつつ、「指導部は民衆に民主選挙の具体構想を示せ」と訴えた。

 20年前の運動について「理想や理念は間違っていなかった」と語る。「ただ、できることをふさわしい速度でやっていくべきだ」

 京都女子大などで非常勤講師を務める在日華人の男性(45)も民主化運動は正しかったと信じている。北京師範大大学院生の時に天安門広場でテレビの取材に答え、研究所責任者から批判された。留学が決まっていたのに旅券が発行されず、用意されるはずの省庁のポストもなかった。5年遅れで来日。日本に残り、日本国籍も得た。だが、老後に中国に戻ることも考え、政治活動には距離を置いている。

 民主化組織はすっかりやせ細った。89年12月、亡命した中国人がパリでつくった「民主中国陣線」の日本支部が約300人で結成された。しかし、「仕事に差し支える」「家族に迷惑がかかる」などの理由で参加者は減り、今では約40人だ。実際に活動しているのは15人ほど。2年前には二つに分裂した。「時間だけ過ぎて成果が出なければ情熱は冷めていく。理想だけで組織をまとめるのは難しい」とメンバーの一人は話す。(山根祐作、林望、浅倉拓也)

■大国化の光と影 見つめる人々

 一党独裁の強い権力のもとで、効率よく、国家の大目標を次々と実現する中国。北京五輪、宇宙開発、資源確保……。世界第2位の経済大国の座も近い。

 日本に住む中国出身者たちは発展する祖国を喜び、共産党支配を支持、賛美する人も多い。日本社会での少数派という存在ゆえに、プライドを感じる面もある。

 だが、天安門事件を知る世代は少々複雑だ。この事件のために日本に残った人や日本に来た人がたくさんいる。民主化が進まないまま発展する祖国をどう受け止めればよいか、それぞれが自分に問いかけている。

 現実的に対応し、故郷との間を行き来したり、中国に仕事のチャンスを求めたりする人々。少数ながら民主化運動をする人もいれば、社会福祉や環境の改善に携わることなどで中国を地道に良くしていこうとする人もいる。

 言論、政治活動、報道、宗教などの自由や人権をめぐる問題がしばしば起きる。国民の自由を制限しながら、世界の政治や経済に発言力を高める中国とどうつきあうか。日本や欧米諸国など多くの国が直面している課題だ。天安門世代の在日華人の考え方や行動は、その答えをたぐり寄せる示唆に富む。

 第5部「天安門記」はそうした華人たちの姿と、中国の民主化に対する日本社会の受け止めを伝える。(編集委員・五十川倫義)

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