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洪吉童の年代記
洪吉童テーマパーク
洪吉童のキャラクター

 


波照間島
洪吉童渡来記念碑(現地では誕生記念碑であると明記されている)
洪吉童の妻の男兄弟である長田大主の英雄記念碑
母子別れ祭壇(洪吉童が母と離別して石垣島に進出したことを記念)

竹富島 : 韓国の花、ムクゲ

石垣島
フルスト遺跡(洪吉童集団の居住地を現在復元中) 洪吉童追慕碑(日本沖縄県教育委員会で1953年に建立)
 
洪吉童は洪家王赤ハチとも言われました。彼は群雄割拠時代に頭角を表わし、当時の大浜村を根拠地として集団生活をし民衆の帝王として仰がれました。文明18年(西紀1486年)に沖縄本島の中山王朝の上真王は、使臣を八重山地域に派遣してイリキヤアマリ祭りを邪教であると禁止しましたが、このような信仰弾圧に対して島の住民たちは激憤しました。

そして洪家王赤ハチが反旗を挙げ、彼は中山王朝に対する朝貢を3年に渡って中断し中山政府の反応を待ちましたが、尚真王は代理王子を隊長にして久米島の神女である君南風と共に精鋭部隊3000名と兵船46隻を送って反乱鎮圧に乗り出しました。赤ハチは防戦奮闘しましたが力不足で負けてしまい、踪跡をくらましました。明応9年(西紀1500年)の今から454年前のことでした。赤ハチは封建制度に対して反抗し、自由人権を主張して島の住民たちのために勇敢に戦いました。

戦いでは負けてしまいましたが、彼の精神と行動は末長く後世に伝わっていくでしょう。ここに碑石を建て彼の偉業を誉め称えます。
- 1953年4月6日 -
- 八重山博物館(朝鮮から持って行った各種農機具と貨幣などの遺物が展示されており、洪吉童集団の族譜も所蔵)


宮古島
洞窟井祠堂(洪吉童集団が宮古島の原住民と初めて交流した場所)

サンビオクサン遺跡(渡来人の居住地で朝鮮嬢式の草屋が8軒保存されている)

久米島

ウガンソン、ジュンソン、グジチォンソン、ジナハソンなどの洪吉童集団が築造した10以上の城と共に、そこで発掘された各種の遺物が博物館に保管されています。


沖縄本島  

沖縄県立図書館に各種文献資料が保存されています。

 
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