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生まれた年
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1440年(世宗22年)
沖縄の石垣島にある博物館に所蔵されていた洪吉童の妻方の族譜には、正統八年、即ち1443年に生まれたと記録されています。 |
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生まれた所
全羅道長城県雅雉谷 → 今日の全南長城郡黄龍面阿谷1里アチシル村
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洪吉童の家族
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洪吉童の母
玉英香-官妓で、洪サンジックが寵愛する女性でした。腹違いの洪吉童の2人の兄たち(貴童、
一童)の母は南平の門氏です。
小説では春蟾ですが、これは洪吉童伝の作家である許筠(ホ・ギュン)が自分の愛妾の名前が秋蟾であることから名付けたものです。春蟾は春の蟾蜍という意味で、家の中に富貴と福に持ってきてくれるという念願が込められていました。 |
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洪吉童の婦人
ゴウルノ- 3男2女を生み、朝鮮から味と質の良い新品種の種籾(米)を沖縄に持って行きました。沖縄一帯には、既に安南米と言う南方系の米がありましたが質が良くありませんでした。
現在沖縄の八重山地域では、ゴウルノを豊かさの女性として仰いでいます。これらのことから、洪吉童たちが海外に渡りながら五穀の種子を持って行ったものと推定されます。 |
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