Hatena::Diary

naoyaのはてなダイアリー

はてなのこと、技術のこと、ウェブのこと、日々の出来事。

October 04, 2006

「心にナイフをしのばせて」読後感想

痛いニュース(ノ∀`):首切少年Aが弁護士になって悠々自適。ヨットサイトも運営。 という記事を先週ぐらいにたまたま見かけました。1969年にあった少年による殺人事件、その少年がその後弁護士になったということに触れたノンフィクションの書籍「心にナイフをしのばせて」についての記事です。

書籍の紹介から引用します。

高1の少年が同級生の首を切り落とした驚愕の事件。被害者の母はさながら廃人のように生き、犯人は弁護士として社会復帰していた!

1969年春、横浜の高校で悲惨な事件が起きた。入学して間もない男子生徒が、同級生に首を切り落とされ、殺害されたのだ。「28年前の酒鬼薔薇事件」である。

10年に及ぶ取材の結果、著者は驚くべき事実を発掘する。殺された少年の母は、事件から1年半をほとんど布団の中で過ごし、事件を含めたすべての記憶を失っていた。そして犯人はいま、大きな事務所を経営する弁護士になっていたのである。これまでの少年犯罪ルポに一線を画する、新大宅賞作家の衝撃ノンフィクション。(MK)

心にナイフをしのばせて(奥野 修司)

という内容です。

例によって先の記事のコメント欄やトラックバック、はてなブックマークのコメント欄などで批判や議論が起きました。「こんなのまで弁護士になれるのか」「そんなのおかしい」といった批判もあれば逆の意見などもあったりします。実際にどのような意見があるかはコメント欄などを直接参照してください。

話は変わりまして、あるテレビ番組で宮崎哲弥氏が少年法についての議論の中で、この書籍を話に挙げているところが YouTube にアップロードされていました。(http://www.youtube.com/watch?v=CvJPC7C_coc) 氏は書籍の概要をその場にいるコメンテータ陣と視聴者に説明していました。その発言は書籍に書かれていることをそのまま述べられている様子で、特に書籍の内容に関して筆者と異なる見解を述べているわけではないことは、先の引用箇所などと比較しても明白でした。

書籍が発売されたのがつい最近で、このようにウェブやテレビで頻繁に取り上げられるなどした結果、2006 年の今になって事件が再び注目を集めているようですが、記事のコメント欄やトラックバック、それからはてなブックマーク欄のコメント欄を見ても実際にこの書籍を読んだ人や、事件について知っている人の意見というのがないことに気づきました。また、宮崎氏も書籍を最後まで読まれたような印象を受けますが「なぜ少年が殺人を犯してしまったか」「なぜ少年がいま弁護士になったのか」「現在の心境はどうなのか」といった点には触れていませんでした。そして、自分は上の引用箇所の書籍紹介文がマーケティング上の戦略とはいえ妙に煽りすぎではないかという印象も受けました。

ちょっとその辺いろいろ気になったので実際に買って読んでみることにしました。

先に結論ですが、この書籍の内容は非常に問題のあるもののように見えます。内容が被害者側に偏りすぎており、著者による恣意的な印象操作が行われているように思います。

この事件が起こった当時、加害者は未成年の少年なわけですが、少年法が適用されていることによりその少年が成人になったいまも当時のプライバシーは守られる必要があるとのことで、あまり踏み込んだ取材ができなかったようなことが書いてあります。そこは確かに納得のいくところです。

しかしながら、書籍のページ数の 7〜8 割ほどが被害者家族のインタビューや生活の描写で占められており、またその中の多くの部分が

親の期待を一身に背負った兄が突然この世からいなくなると、わたしは怒りの対象にすらなれず、母はわたしが存在していることにも気がつかなくなってしまった。そう、あのころのわたしは、まるで空気のような存在だった。 (P.78 第三章 『闇に凍える家』より)

という具合で、書籍の筆者がインタビューした話を元に被害者家族の視点(ここでは被害者の妹が「わたし」)で当時の様子が綴られるというスタイルで記述されています。つまり加害者に関する情報はわずかである一方、被害者家族に関する情報は非常に詳細に、且つ被害者家族の主観をも交えながらかなりの分量が詰め込まれているということです。また、加害者に関しては被害者家族のように彼の視点で何かを語るような文章の記述があるわけではありません。

僕は先に述べたように少年がなぜ殺人を犯したか、なぜ弁護士になったのか、弁護士になった今の心境はということが知りたかったのですが、それについてはこの書籍からは正確なところを知ることができませんでした。その辺りを知らずして、この事件についての見解を述べることができるわけもありません。(この書籍の筆者はジャーナリストを名乗っています。そんな方が実際にあった大きな事件を一つの書籍として出版するのであれば、その辺りに関しての詳細な記述があって然るべきだというのは言いすぎでしょうか。)

もちろんこれだけが根拠でしたら「印象操作かもしれない」という僕の考えは非常に主観的なものでしかありません。問題は、その少ないながらも記述されている加害者少年に関する記述の内容にあります。

書籍の前半、P.21 あたりからに当時の事件や少年の様子について記述されている箇所がありますが、そこにはこんな記述があります。

当時の新聞報道と友人の証言、そして裁判記録から、事件当日の様子を追ってみる。ただし裁判記録は、少年Aの証言がもとになっていることを念頭においていただきたい。

少年Aの証言は、加賀美君がすでに死亡し、被害者側の誰も審判に出席できず、絶対に反論されないという条件下で一方的に語ったものである。犯行直後に、少年Aが三人組に襲われたと嘘をついたぐらいだから、証言も虚実が混ざっている可能性がある。たとえば事件のあった日、一人の少年が少年Aの国語辞典を取り上げてからかった。そこへ加賀美君があらわれ、「ビニール袋にいれた毛虫をその辞書にはさもうとした」という。しかし同級生にはまったくその記憶がなかった。殺害に至るまでのストーリーは、あくまでも少年Aの目に映ったものにすぎない。(P.21 第一章 『二十八年前の「酒鬼薔薇」』より)

この節の後に、加害者である少年Aの証言の"サマリ"へと続いていきます。書籍に引用された証言に関する記述はあくまで"サマリ"であって、全文ではありません。

さて、その一方で今日 id:send さんにはてなブックマークのコメントで 高校生首切り殺人事件 精神鑑定書 の URLを教えていただきました。こちらはこの事件の少年の証言の"全文"です。また鑑定人の註釈も記載されています。

この全文を、特に鑑定人の註釈を交えて読むと、書籍の筆者がみる少年とこの全文記録から受ける少年との印象が大きく異なることに気づきます。

この記録の中で鑑定人は

犯行について問われることは少年にとってきわめて辛いことが、態度によく現われていた。問診に心から協力的とはいえないにせよ、全体としてきわめて率直に話した。○○○君(引用者註・被害者)との関係、彼に対する気持、犯行直前に「やはり豚だな」と馬鹿にされたこと、その時心の中に出来た劣等感、ナイフで刺して首を切断したこと、怖くなって逃げ出したこと、犯行後の気持などを、ちゅうちょしながらも隠すことなく正直に述べた。また悪魔つきの例外状態や両親のせいなどにしない態度が印象的であった。犯行前後の精神状態に特に異常と思われるところはなく、意識も清明であった。

高校生首切り殺人事件 精神鑑定書

と述べています。一方の書籍では少年の証言の一部を引用した後に

これを読むかぎり、少なくとも級友を殺害して悔いているとは思えない。反省や謝罪を意味する言葉はどこにもないのだ。むしろ「絶望的になるまい」と自らを励まし、動機を「過去の人間」に結びつけ、さらに「一般に認められれば勝利かもしれないが」と、自分の行動を正当化しようとしているかのようである。そのうえで、少年Aは調査官に、「自分は将来加賀美君の分とあわせて二人分働く」と語ったという。(P.35 第一章 『二十八年前の「酒鬼薔薇」』より)

と記述しています。この書籍の筆者はここで全文掲載されているのと同じ「精神鑑定書」から文章を引用しているにも関わらず、鑑定人の分析とは全く異なる見解をさも事実であるかのように主観を交えながら伝えており、また引用部分も、筆者が描きたいと思っている加害者少年像に沿うように、都合のいいところだけを切り貼りしているようなのです。

この全文をウェブにアップされた本人の方が同じようなことをブログに記述されていました。

『心にナイフをしのばせて』奥野修司というサレジオ高校首切り事件をあつかった本が話題になっているそうで、当データベースの高校生首切り殺人事件にも多くの方が来るようになったので、読んでみました。

この本にはどうもいろいろ問題があるように感じるのですが、その最大のものは精神鑑定書の引用のやり方が著者の意図に合わせた恣意的、それもかなり悪質なものではないかと思える点です。

少年犯罪データベースドア:サレジオ首切り事件精神鑑定書

(もし時間に余裕があればコメント欄でのやりとりまで読んでみてください。)

さて、こういう視点を持って書籍を読み進めていくとどうでしょうか。「高1の少年が同級生の首を切り落とした驚愕の事件。被害者の母はさながら廃人のように生き、犯人は弁護士として社会復帰していた!」という煽り文句によって事件は誇張され、事実がねじまげられているように感じ、嫌悪感を抱きます。書籍の終わり頃になって、成人した少年が弁護士事務所で働いていて、被害者家族と接触をという話に移っていくわけですが、ここも筆者の主観が多く交えられて記述されており、情報が操作されているかもしれないということが頭をよぎります。この筆者が記述していることのどこまでが本当でどこまでが恣意的なものなのかの判断がつきません。おそらくこの書籍に書かれている多くのことは事実なのでしょう。しかし、ところどころに見られる巧みな(?)印象操作の痕跡がその邪魔をします。結局、この書籍に書かれたことをそのまま受け取ってしまってはいけないという風に僕は総括しました。

自分ひとりが本当のことを知らされずに過ごしていたかもしれない、それだけならまだいいのです。しかし、ウェブ上でこの煽り文句が引用され、書籍の内容は吟味されずに「犯罪を犯した少年が弁護士になった」という表面上の話だけでああだこうだと議論が起こってしまった。恣意的に操作されているであろう情報にたくさんの人が巻き込まれてしまった。多くの視聴者が信頼を寄せているであろう著名な評論家ですらそこに気づかずマスメディアにその情報を流してしまった。とても残念なことです。

そしてこの「残念」と思った感覚を、ここ最近メディアなどを通じて味わうことが非常に多いのです。ライブドア事件に関する報道がその最たるものだったように思います。以降、僕はメディアからの情報を素直に受け取ることができなくなってしまいました。結果的には、複数の情報にあたったり、受け取った情報を疑ってみたりといったことを意識的にするようになったため、自分にとってはプラスだったのかもしれません。しかし、多くの人がその情報が正しくない、恣意的に操作されているものであると気づかずにそれを消化しているかもしれない、あるいは自分自身も全く気づかないところで事実を曲げた情報を刷り込まれているのかもしれないと思うと、憤りを感じると同時に恐怖すらおぼえます。

そしてこの大きな不安を解消するための手段として、おそらく現時点でもっとも有効な解はやはり、インターネットなのでしょう。「インターネットでは49対51で正しい方が勝つ」という id:umedamochio が言った台詞の意味を改めて考えることになった一件でした。

2008年3月26日 追記

「情報操作」という言葉の使い方に違和感がありましたので「印象操作」に置換しました。

hi-rockshi-rocks 2006/10/05 11:32 >そしてこの「残念」と思った感覚を、ここ最近メディアなどを通じて味わうことが非常に多いのです。
つまりは、そのように感じられるのも、一つの報道に対する複数の視点に接することができる今の環境があるからこそ、なのかもしれませんね。
むしろ過去には、そのように曲げられていることに気付く機会もないまま、歪んだ情報がそのまま真実として受け取られているようなことも、実はかなりあるんだと思います。

naoyanaoya 2006/10/05 11:36 そうです、その通りと思います。それい気づくことができたのはよいことですよね。

jo_30jo_30 2006/10/05 13:20 ここに書かれたような「残念さ」を、開かれた情報に自在にアクセスする能力を持つ層は「生きる意志」へと変換できるでしょうね。そして梅田さん風に言えば、その仕切りを下げようと(そういう層を増やそうと)努力しているのがgoogleだ、と。
しかしこのような「残念さ」を抱えた多くの人々は、情報へのアクセスそれ自体を諦めてしまう方向…たとえて言えば『情報ニヒリズム』へと突き進んでいる気がして仕方がありません。あらゆる既成情報を信じない…という、結果的に情報弱者を増大させていく考え方。それは決して田舎のじいちゃんばあちゃんだけではなく、都会の中学生・高校生とかいった層に広がっていたりする気がします。
今更ながら「ノーライフキング」(いとうせいこう著’91.5新潮社)を読み返しながら、そんなことを考えました。

少年法少年法 2006/10/05 15:20 がそもそもおかしいんですよね。少年をあんなに保護する必要は無いでしょう。せめて、成人したら少年時代の犯罪履歴を公開して欲しい(本人が忘れないようにするため)。現在はどちらかと言うと、昔犯罪を犯したということを無かったものとして生きていくことを「更生」と言っているような気がする・・。
別に殺人者が弁護士になるのがおかしいと言ってるわけではありませんし、弁護士になれたということは相当勉強したでしょうし、立派なことだと思います。ただ、本人自ら「自分は過去、こういう犯罪を犯しました」ということを積極的に公開して欲しいですね。弁護士であるのなら尚更。そうすれば被害者に対する接し方も自ずと誠意あるものとなるでしょうに・・。


>多くの人がその情報が正しくない、
>恣意的に操作されているものであると気づかずに
>それを消化しているかもしれない

まぁマスメディアなんて「読ませたい記事を書く」のが仕事ですからね。記事を吟味するのは我々の責任だと思います。
つまり著者なり、出版社なりの文化的宗教的思想を汲み取ったり、現在の世論などを考慮して文章を読まないといけないですよね。非常に難しいですけど。。。
例えば朝日の記事は(左巻きの視点で書かれているので)右に寄って読まないといけない、、、とか、今は飲酒運転に世間の目が注目されているのでどのメディアもこぞって取り上げてますので、さぞ飲酒運転の事故が多いのかと思いきや、実はそれ程件数は多くなっていない、とか。

昔は加害者の人権保護が異常に擁護されていて、ほとんどのメディアで加害者を悪とする記事を書けなかったし、死刑なんてとんでもない、と論じされてきました。
ところが現在は、この記事のように被害者を擁護する立場の書籍が出版されてきたり、死刑を容認する文章も増えてきました。言論の自由という観点から、様々な視点での意見が出されるというのは非常に良い傾向だと思います。

ただ問題はテレビや新聞などのメディアを過度に信用するメディア崇拝論者が多すぎることだと思います。たまに「だってテレビでやってたもん」、とか「○○っていう雑誌に書いてたから絶対そうだって」などという会話が耳に入ってくることはありませんか?こういう奴らは「TVは正しい」→「そのTVでやってることは正しい」→「それを信じる自分も正しい」と思い込んでしまって、こうなってしまうと何を言ってもダメです。最近は、結局日本人なんてバカの集まりだから仕方ないか・・・と諦めていますがw

toirytoiry 2006/10/05 18:05 数年前から自分が感じて思っている事を、分かりやすく中立的な立場で書かれている文章に大変な感銘を受けました。
幼少の頃から慣れ親しんできた、マスメディアの影響は自分にとってはやはり大きな存在であり、偏った情報に呑み込まれない為にはTV等をあまり見ないで、情報収集はインターネットでと言うスタイルを最近はとっています。
しかしながら、そのインターネットですら情報操作が行われている所が見受けられます。
結局のところは、自分が実際に見て触れて感じた感情だけが真実の様な気もします。(その自分ですが、今までに触れてきた情報によって形成されているので正しいとはいえませんが。)

難しい時代になってきました。

とおりとおり 2006/10/06 08:47 誰が言った言葉か忘れましたけど、
こういう状況によく当てはまる言葉だと思います。

「人は考えるくらいなら、むしろ死を選ぶだろう」

hamastahamasta 2006/10/08 06:22 誰が言ったか知らないが 「人を殺せるなら立派な大人です」

正しいほうが勝つ?
何が正しいかは誰にもわからない、、、
合理的なほう、と解釈したいな。

何故かというと、顔の見えないコミュニケーションでは
声の大きさや見た目や口調や権威よりも、発言した文脈の整合性が厳密に評価されやすいから。

※誰もが自由に匿名で投稿でき、ずっと保存され巨大なデータベースになるBBSがあるとしたら、
そこはまさに最も合理的な言論の評価機関になる、、、
と考えてから、もう日本には既にそれがある事に気づきました(^^;

通行人A*通行人A* 2006/10/19 14:11 #もう日本には既にそれがある事に気づきました
そうですね。2chがまさにそうです。
正直、2chは糞溜めです。
まったく信憑性もなくダレが本当でダレが嘘を言ってるのか分からないタワゴトの寄せ集めです。
最も合理的で最も非合理的で最も信用できない場。それが2chです。

・・・って、「2ch」を「世間」と読み替えても通じるように感じるのは何故wwww

hamastahamasta 2006/10/27 02:50 残念ながら世間じゃダメなんですよ。
世間って情報が全然保存されないし、批判も自由では無いからです。
BBS、そこに真理やビジョンは無いかもしれないが、
罵倒と荒らしの海の中に紛れて一抹の真実と賢者の言葉と
多くの人の体験がある。
それこそが巨大匿名データベースの付加価値です。
ゴミの山から宝物を見つけられる人があまりいないから、
面白いんですよね。

う 2007/01/09 11:03 29歳でこの見解ですか?
勉強しただけでは人間は成長できないのかな。

う 2007/01/18 13:09 >「高1の少年が同級生の首を切り落とした驚愕の事件。被害者の母>はさながら廃人のように生き、犯人は弁護士として社会復帰してい
>た!」という煽り文句によって事件は誇張され、事実がねじまげられ>ているように感じ、

橋本大也橋本大也 2007/01/23 14:35 ・私も書評を書きました。お気楽にホメる内容。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004867.html

直也さんが既にここに書かれていたとは知らなかったのですが、はてBに、

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/004867.html

こちらを読んだほうがいいという批判的な指摘を読者からもらいました。読みましたが、深い考察ですね。

私がこの作品を読んで評価したのは、客観的に少年法の問題を論じるのではなく、被害者からみたときの悲しみ、不条理を描きたかったんだろうなということでした。だから一人称で書いているのだと思うんですね。私は文学に近い表現として、これはなかなかいい本だと思いましたから、そう書いてしまいました。

が、直也さんの考察はさらに高次のレベルでジャーナリズムの問題として問題提起している点が素晴らしいと思いました。

hhhh 2007/11/20 02:49 読んで失笑した
ガキだなー
情報操作って当たり前じゃん。100しってっても80しか出さないだろ普通

ジャーなりズムはこう、ってのも頭固すぎだし

って30歳、俺より年上かw

はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。