朝鮮戦争は「誤算の連続」だった!?
【新刊】デヴィッド・ハルバースタム著、チョン・ユンミ、イ・ウンジン訳『The Coldest Winter』(サルリム)
6・25戦争(朝鮮戦争)当時、仁川上陸作戦で成功を収め鴨緑江まで破竹の勢いで北進した国連軍は、中国軍の介入により、1950年末に極めて過酷な冬を迎えた。50年11月に咸鏡南道長津湖一帯で繰り広げられた戦闘は、その類例のない凄まじさから、幾度となく本や映画の題材となった。
勝利の余勢を駆って進んでいた国連軍が中国軍に押され、38度線以南に再び後退した原因としては、しばしば中国軍の人海戦術が挙げられる。しかし戦史家らは、北進当時にダグラス・マッカーサー司令官が発令した理解しがたい命令も、国連軍敗退の一因となったと指摘する。
マッカーサー司令官は、韓半島(朝鮮半島)の国連軍地上部隊を指揮していた第8軍とは別に、第10軍団長に独自の指揮権を付与し、それぞれ西部戦線と東部戦線で北進するよう指示した。当時第8軍司令官だったウォルトン・ウォーカー中将と第10軍団長だったエドワード・アーモンド少将の仲が良くないことを考慮し、二人の競争を誘導するために行ったという分析もあるが、これは軍の指揮統率の基本原則である「指揮の統一」に反するものだった。さらにマッカーサー司令官は、仁川に上陸しソウルを奪還した第10軍団を、仁川港から韓半島南側を迂回して元山に上陸させようとした。これにより、国連軍の補給港として中枢を担っていた仁川港で作業が停滞し、北進部隊の補給に大きな問題を招いた。
米国の著名なジャーナリストにして歴史家のデヴィッド・ハルバースタムも、遺作となった著書『The Coldest Winter』でこの問題を指摘した。マッカーサー司令官が下した最も危険な決定にして過ちは、米第8軍の指揮権を二つに分けたことだという。ハルバースタムは、上層部が任命した第8軍司令官の役割をマッカーサー司令官が縮小し、自分だけが統制できる特別なシステムを作って統制力を強化し、戦況の情報には関心を寄せなかったと主張する。ハルバースタムはマッカーサー司令官について、極度の執着と誤った状況認識で凝り固まった独善的な指揮官だった、と酷評した。
マッカーサー司令官だけでなく、当時のハリー・トルーマン大統領、ディーン・アチソン国務長官、金日成(キム・イルソン)主席、毛沢東主席、エドワード・アーモンド少将、マシュー・リッジウェイ中将ら6・25戦争のほかの主役たちも、本書においては驚くほどさまざまな姿を見せている。また著者は、「すべての戦争はいかなる形であれ、一種の“計算違い”によって起こる。しかし6・25戦争は、両軍が下したあらゆる決定がひとえに誤算に基づいたものだったという点で独特だ」と指摘した。ディーン・アチソンが「米国のアジア防衛ラインから韓半島は除外される」と発言したことで始まり、米国は6・25戦争に介入しないだろうと確信したソ連の誤算、北朝鮮軍が韓国に侵入すれば農民が蜂起するだろうと予想した金日成の錯覚、当初北朝鮮軍を過小評価し、中共軍は参戦しないだろうと見た米軍の誤算、自国の兵士の政治的大義名分と革命精神が米軍の武器を凌駕し得ると信じた毛沢東の誤判などが重なったというわけだ。
ジャーナリストとして多数の関係者にインタビューし、執筆に10年近い歳月を費やした労作で、著者は独特の筋道をたどり読者を59年前に起こった6・25戦争へと引き入れる。
ユ・ヨンウォン記者
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