「髪を引っ張ったり、け飛ばしたり。取り調べは厳しかった」「無理やり責められ、『白状しろ』『分かってるんだぞ』と体を揺さぶられた。どうにもならなくて、私がやりましたと言った」
90年に4歳女児が殺害された足利事件で再審開始が決定的になり、4日、91年12月の逮捕以来17年半ぶりに釈放された菅家(すがや)利和さん(62)。直後に千葉市内のホテルで開かれた記者会見で、無実なのになぜ自白したのかと問われ、晴れやかだった表情は一転、こわばった。別の会見では「自分で適当に(事件を)推理して話した」とも語った。
警察庁幹部は「捜査員が無理な調べをやったという情報はない」と話す。無期懲役にした1、2審とも自白の任意性を認め「供述は具体的で体験した者としての真実味がある」と指摘していた。
「自白」は、なぜ生まれたのか。弁護団の佐藤博史弁護士(60)は分析する。「捜査官は、描いたストーリーに沿った供述を繰り返し迫る。そして得られた間違いの自白が、いずれ『正解』になってしまう」
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同じ栃木県足利市では79年と84年に5歳女児の誘拐殺害事件が相次いで起きていた。菅家さんは逮捕後、未解決だったこの2件への関与も「自白」する。
ともに足利事件と共通する点があった。足利事件の遺体発見現場の河川敷の対岸で、79年の事件の遺体は見つかった。パチンコ店周辺で女児が行方不明になったのは、84年の事件も同じ。
宇都宮地検が足利事件で起訴した3日後の91年12月24日、栃木県警は自白に基づき79年の事件で菅家さんを再逮捕する。だが、翌年1月、地検は処分保留を発表し、事実上起訴を断念。「自白は公判廷で覆されると考えるべきだ。犯人しか知り得ない『秘密の暴露』がなければ、公判維持は困難」という理由だった。93年2月、追送検された84年の事件と併せて、地検は不起訴処分とした。その後、公訴時効を迎えた。
「自白というボルトは、秘密の暴露や物証というナットできっちり締めないと抜けてしまう。この2事件はナットがなかった」。当時の検察幹部は振り返る。しかし、足利事件で菅家さんは起訴された。「DNA鑑定を『ナット』として過信した。自白も十分吟味した上での判断だったが、吟味が足りないと指摘されれば返す言葉はない。大変申し訳ない気持ちだ」
結局、三つの「自白」が、宙に浮いた。
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菅家さんは会見で「冤罪(えんざい)をなくすため、密室ではなく(ビデオ録画で)室内を監視してほしい」と訴えた。釈放は、取り調べの全面録画(可視化)を巡る論議に、大きな波紋を広げる。
森英介法相は5日の閣議後会見で、「いろんな意見は真摯(しんし)に受け止める。が、全面録画は容疑者に供述をためらわせ、取り調べの機能を損ない、真相解明に支障を来す」と消極姿勢を繰り返した。
しかし、衆院法務委員会に所属する民主党議員は「何もないのに自白したのなら、取調室で何があったんだということになる」と話す。裁判員制度スタートも踏まえ、参院で可決した全面録画義務づけの「可視化法案」の衆院審議入りを狙う。
19年目に明るみに出た「真実」。それが、日本の刑事司法に変革を迫ろうとしている。
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この連載は安高晋、鈴木一生、渡辺暢、吉村周平が担当しました。
毎日新聞 2009年6月7日 東京朝刊