2009-03-03
鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画への反応まとめ
鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画について知っておくべきこと - WebLab.ota,鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画についてダラダラと - WebLab.otaに対する反応とかをまとめつつ
作画崩壊とは何か?
先の記事のコメントやら何やらでいろいろ反応してくださる方々の中に,「今回のバーディは作画崩壊」であって,私を「作画崩壊擁護派」だとして批判するものがあるが,私はまだ今回のバーディが作画崩壊かどうかなんて判断していないんだよね.
そもそも,この作画崩壊って言葉の使い方が人によってまちまちで,どう反応していいのかよくわからない.
ある人は,キャラ表から外れたら作画崩壊である,と言い.
ある人は,視聴者が違和感を覚えたり,拒絶反応が多く出たら作画崩壊である,と言う.
またある人は,キャラ表から外れてもいいけど,外れすぎたり,動いてなかったりしたら作画崩壊であるとか,作監の修正が間に合っていなければ作画崩壊である,と言う.
(参考:「作画崩壊」というゼロ年代の想像力 - 海ノ藻屑,作画崩壊という言葉を使う資格 - ビジネスから1000000光年)
個人的には
こーゆーのを作画崩壊というなら解るが
この辺を,上と同じように「作画崩壊」とは言わない.
作画アニメについて
SUKEBENINGENSUKEBENINGEN 鉄腕バーディーの作画崩壊からアニメの作画至上主義という考えの愚かさについて考えてみる。
「作画アニメという需要はこの世の中にはほぼ存在しません」という結論。
だから作画マニアとアニメーターはグルになって(作画にさほど興味のない)一般アニメファンたちに共同購入させようとする。自分達だけが欲しい「作画アニメ」を割り勘で彼らにも払わせようとする。その上「この作画の凄さが分からないなんて!」などと威張ってくる。ズーズーしい!
(中略)
自分は「作画アニメは必要だけど、けして何処でやっても良い訳ではない。テレビのような不特定多数の目に触れるところでは控えるべき。OVAのように『ソレを最初から求めてる人達』に向けた場所で存分にやれば良い」というスタンス。
これはかなり正しい気がする.
しかし,野心のある若手原画マンが気軽に,そーゆーOVAを作れるという現状ではない以上,「回想シーンだから」とか「今回は作画回・実験アニメです」とかそーゆー言い訳で,ガス抜き・修行をする場を作ってやってもいいと思ってる.
私は,演出家や脚本家,監督が,いつかすげー面白い作品を作るために,エロゲの原作通りに面白くもないアニメを作ったり,原作ぶち壊して面白くもないアニメを作りながら,演出筋力・脚本筋力・監督筋力を鍛えるのはありだと思ってる.
原画マンも,いつかすげー面白い作品を作ってくれるなら,実験でもなんでもやっていいんじゃないかと思ってる.
実験アニメに対する耐性
三歩進んで三歩下がる 鉄腕バーディー DECODE:02 第7話について
こうした実験作画って、80年代はTVアニメとか一般のアニメファンの目にも触れやすいところでやっていたところがあるように思うんだけど(金田系とか山下系は当時の流行であると同時に実験的な、先鋭的なものでもあった)、アニメの作画を語ろうとか読むと、90年代では結構マイナーなOVAとか劇場作品で実験的なものが多かったんだよな。
(中略)
90 年代に力があったのがサンライズとか東映とか、どちらかと言えばパッケージ的な作品を多く作る会社だったことも、実験的なアニメが少なめだった原因だと思う。
(中略)
だとすると、今その中で育ってきた10代、20代はTVアニメをパッケージとして普通に楽しむものとして捉えているTVアニメで実験的な作画をされて拒絶反応を起すのは、当然といえば当然なのかもしれない。
そーゆー部分もあるのかも知れない.
演出崩壊について
作画崩壊なんかよりも演出崩壊の方がよっぽどマイナス評価の対象になるんですが。(中略)「アニメってのは映像(Movie)の一ジャンルでしかなくて、つまり時間の彫刻であり、アニメ番組なら25分の時間の流れを切り出すリズムがアニメの命で、そのリズムをアニメ的にするのがアニメ作画である」というくらいに考えている「映像好き」だから。
(中略)
「時間の彫刻」である演出が崩壊していなければ、他の部分がどう崩れていようがアニメは成立するし、叩かれることも最小限になるはずなんです。
演出崩壊なんて言葉は初めて聞いたけども
とりあえずそーゆーものがあるとして,話をしたい……けど
そもそもどーいったものを演出崩壊とするのだろうか?
釣りエントリタイトル案「作画の善し悪しでしか作品を語れないアニオタはシャバい」 - ピアノ・ファイア
ちなみに、「うる星」や「銀魂」とかなら、アニメーターが暴走していても面白いアニメになるじゃないか……という意見もあるでしょうが、それはそれらがコメディ(ギャグ)アニメだから。「コメディの範囲で暴走させる」という意味でのコントロールが効くジャンルと、そうでないジャンルがあるということです。
としているから,基本的に,ギャグでないものでアニメーターが暴走しちゃったアニメは演出崩壊となるのだろうか?
演出崩壊していないアニメって何があるのだろうか?
演出崩壊しているアニメって何があるのだろうか?
何をもって「演出崩壊である」とするのだろうか?(神作画,普通の作画,作画崩壊といった区別はあるのか?)
神演出アニメとかってどーやって判断するんだろうか?
具体的な例がないのでよく解らない.
一貫したリズム
なんの起伏もなく,目立ったこともせずもクリエイティビティも感じられない,そんな演出でヌルーく作られたものも一貫したリズムってものになるんだろうか?
だとしたら演出崩壊してたっていいよ.
巌窟王とかカレイドスターとかシムーンみたいなアニメが量産されるならともかく,多少バランスが悪かろうが,面白い方がいいなぁ.
補足
『鉄腕バーディーDECODE:02』第7話の作画崩壊騒動について - 法華狼の日記
『鉄腕バーディーDECODE:02』で特長的な作画が見られることは、充分に予測できた。いや、スタッフの業績を知るべきとかいうのではなく、それ以前の話で。
(中略)
そこで一期の『鉄腕バーディーDECODE』に特長的な作画が存在しなかったかと問えば、けしてそうではなかった。端々でアニメーターの個人技が見られたことはもちろん、大量破壊事件が描かれる第12話「DOOMSDAY」では全編ベテランアニメーターの妙技が冴え、キャラクター表から大きく外れた作画が行われていた。
つまり今回が初めてではない。むしろ、整った作画だけを期待することがおかしい作品なのだ。
- 98 http://www6.ocn.ne.jp/~katoyuu/
- 54 http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51438641.html
- 53 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20090303/1236110173
- 48 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4SNYL_jaJP265JP265&q=TUDOU+見れない
- 40 http://search.yahoo.co.jp/search?p=ストライクウィッチーズ+2期&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=すとらいく
- 36 http://b.hatena.ne.jp/
- 33 http://b.hatena.ne.jp/hotentry/game
- 33 http://sukebeningen.blog46.fc2.com/blog-entry-174.html
- 25 http://d.hatena.ne.jp/izumino/
- 21 http://sukebeningen.blog46.fc2.com/
貼られたキャプ画像、ぼくは全部見ているから何のアニメの何話のどのシーンかわかるし、それがどういう文脈で作画崩壊とは違うものと言い得るかn_euler666さんとコンセンサスを形成できると思うけれども、見ていないひとには何がなにやらさっぱりだと思う。解説つけるか、YouTubeから動画引っ張ってくるかしたほうがいい。
それとも、「これを何故作画崩壊と呼ばないか理解できるようになれ」というスタンス?
作画崩壊がおこる場合は大抵、原動仕(原画、動画、仕上げ)が海外の場合が殆どなので。
大体、動画はともかく原画まで海外に出すなんてのは、すでに作品としてちゃんとしたものを作る気がない!と判断していいかと。
ちなみに某アニメ制作会社の制作進行では「原動仕をださないこと」が最低目標らしいですよ(笑)
もちろん日本の国内でちゃんと教育をうけている海外の方もいらっしゃいますので。一概には言えませんが。
あとは、今回のは演出に問題があると言えると思う。たぶんBパートの頭から作画の雰囲気が変わってると思われますが、
もし、故意に『過去の忌まわしい記憶』的なモノを表現する為であったのなら、視聴者にもっとわかり易い方法も
あったのではないかと。一応、Aパートでも「バーディの記憶は彼女の願望で変質している」と説明がされている。
つまり、Bパートより始まる、ヴァイオリンが破壊されてしまうまでの流れは、バーディの観点からみたモノということ
が分かる。
だったら方法としては、通常作画から崩壊作画にOLする。モーフィングのように変化する。など場面(視点)が切り変わったという
ことを視覚で表現すればよかったのではないでしょうか。それがなかった為に、
いきなり作画が乱れた→時間ないんじゃない?→作画崩壊だ!となってしまったのではないかと。
ある程度、見慣れれば今回のはスケジュール不足による作画崩壊でないことは誰でも分かります。
ただ『作画崩壊』という言葉が「自分の好みに合わない」モノを指す言葉に用いられ初めているのは問題じゃないかと。
例えば、ゴッホやピカソの絵画を「ただの落書きとしか見れない人達」といったところでしょうか。
悲しい人達ですね。
みんな似たようなイメージだけで使いつつ、違いがあるから混乱しているだけでは。
他の言葉に置き換えれば問題ないと思いますが、いかがでしょう。
神作画なんかもそうですね。八百万の国だけあって神が多いのは良い事ですが、多すぎます。
演出についてはアニメーションだけではなく、映像文法の話になるので
作画よりも専門的・文法的になると思います。
それこそもっと映画を見ろ、という話になって終わるかと。
一応,最近の作品でTVでやってたものの中から拾ってきたんですが,やっぱり解説書いた方がよかったですね.
>「アート作画」とか「アーティスト作画」
そんなインチキくさい名前を使うぐらいなら,作画崩壊と神作画ぐらいの言葉をやりくりして使った方がいいかもww
なんせアニメを「商品」として捉えている人からすれば、「作品」と捉えている人達の言葉は『開発者の育成や業界発展の為には、たまにエンジンが爆発する自動車が造られるのも認めるべきだよね』という風に聞こえてしまうし、逆にアニメを「作品」と捉えている人からすれば、「商品」と捉えている人達の言葉は『コンサートのプログラムが俺の聞きたい順番になってない!金返せ!』と言っているように聞こえてしまうんだから。
あ,それかっこいい.採用でいきましょうw
芸術的作品って、すごいはすごいけど良さが分からなかったりします。
作画オタには評価されるアニメでも、一般人には理解できないこともある?
個人的には、作画に違和感を感じないアニメ、がいいアニメなのかなぁ、と思います。
違和感を感じると、どうしてもそれ以上作品にのめり込めないし感情移入もできないし所詮作り物・虚構なのだ、という意識が強くします。
作画にブレがある、というのはそういう意味でも減点されそう。
斬新な作画に挑戦するにしても、「世界観を壊さない程度に留めるべき」で、その域を超えると反発を招くんじゃないでしょうか。
演出がすべき配慮もそこなのでは?
手抜きにも見えるシンプルさは演出なのだ、と気付いてもらえるような手法をとるべきなのかも。
演出意図が分からない=失敗にしか見えない、という話。
(グレンラガンは、あの回(=上で画像がアップされてる回)だけ極端に絵が違いましたね……。しかもだからってものすごく動き回った、という印象も薄いですし……。)
かんなぎ騒動や作画関連、いわゆる祭り、炎上系の話題を中心に。
以前にも自身の記事から始まったとされる「アヘ顔論壇」なるものが誕生したときも他の方の記事を引用しただけで
ご自身の研究、検証はなにひとつ見受けられませんでした。エロマンガの画像をコピー&ペーストしただけで論壇を主張ですか?
たまに拝見しますとこの記事が人気があった、あの記事が○○に選ばれたといったものがトップで目立ちますのも特徴でしょうか。
プロフィールに議論が好きと以前には明記されてらっしゃったと記憶していますが、記事はもとよりこういったコメント欄で
すら激論を戦わせてらっしゃる姿を拝見したことがありません。反論のコメントがあるにも関わらずです。
アニメのレビュー記事も拝見しましたがよくあるキャプ系感想サイトとなんら変わらない程度のものでした。
作画崩壊と叫ぶ人達と戦いたいのならば引用ではなく、研鑽した自身の言葉で語ってみてはどうでしょうか。
この二つ前のバーディーの記事でご忠告しましたが、MADには間違いも多いものです。
特にバーディーの一つ前の記事「鉄腕バーディー DECODE:02 第7話の作画についてダラダラと」であなたが引用された
担当パート予想を作製された方は間違いが多いことで悪名が高い方ですので、やはりこういったことは
ご自身の眼力を磨かれて記事にされたほうがよいかと存じますよ。
神過ぎて唖然としたわ
で、その中でテュートを抱っこしてるんだけど、バーディーは「いつもの」作画なのにテュートはその前後と同じがちゃがちゃな絵なのがあるわけだ。
ワンカットの中で「いつもの」絵と「今回のがちゃがちゃな」絵が同居しているということは、今回のストーリーとか演出とか、参加してるアニメーターとかその前歴とか全部すっ飛ばしても「今回は意図的にやってます」てのがわかるはずじゃないか?と。
本編全部見てた人間としては、「いつもの」作画に戻ってる部分はバーディーとつとむがシンクロしてて、作画が崩れてた部分はつとむがバーディーの記憶を俯瞰してた部分と、割とわかりやすい演出だと思った。ただこの作品の絵がいわゆる「かっちりくっきりしたアニメのトレス線」っぽさがあまりない作画なので、注意力がないと「いつもの」作画を崩した悪夢のシーンに埋もれて気づきにくいし(ただでさえ「いつもの」カット短いし)、演出意図としてはわかりにくかった(前言と矛盾してるが”誰が見てもわかる”ものでなければ”意図として”わかりやすいとはいえないと思う)のではないかと。
もしこの作品が、本来のゆうきまさみの絵柄に忠実な作画だったり、極端にアニメ的な記号化がなされた絵柄だったりしたら、「いつもの」作画のカットがはっきり目立つので、ここまで物議はかもさなかったと思うよ。(アクエリオンの例の回を誰も作画崩壊といわないように)
なんかアニメーターの持ち味を生かしやすいようにリファインされたキャラデザが演出にとってあだになった例と言うべきか?