zakkanの日記
「わが人生の時の・・・」シリーズ第三弾。
あの石原慎太郎のエッセー集である。
「わが人生の時の時」などの前作に負けず劣らずの
珠玉のエピソードが揃っているのであります。
政治家であり、作家でもあり、
昭和の名優・裕次郎を弟にもち、
世界の偉人たちとの交遊があり、
大戦から平成までを生き抜いている慎太郎の
エッセーなのだから、面白くないはずがない。
政治家だからって、表向きにイイ話ばかり書いているのではない。
ヤクザの話、麻薬の裏取引の話、
こんなこと書いていいの?っていうような政治の裏話。
ページをめくってもめくっても驚きの連続で、
533Pにも及ぶ本書はまったく飽きがこない。
戦争中の、命をかけた息をのむようなエピソード(「鳥人の遺言」「知覧という町で」)もあれば、
ちょっとエロティックな話もある。荒天の夜のウォッチ当番で、今まで寝た女と、その詳細を思い出していった、なんて、なんかいいじゃありませんか〜
人気の高い慎太郎だけど、この本をもっと多くの人に
読んでもらいたいなあ。もっと好きになってほしい、
とか、そういう単純なことだけじゃなくて、
日本という国の、この時代に生まれて、
それなのに知っておかなきゃもったいないことがいっぱいだからさ。
二十一世紀の山田詠美だよーっなんつって、友達にすすめられたこの本。二十一世紀の・・・っていっても、斉藤綾子は1958年生まれだし、エイミーとそんなに変わらないじゃんw
で、内容ですが、エイミーみたいな深みは感じられないなあ。セックスを赤裸々に描くなんて点は同じかもしれないけど、姿勢がまったく違う。
斉藤綾子の特長としては文章のテンポがすごくいいことがあげられると思う。読みやすいし、ポンポン場面が想像できるので楽しい。
私にとって斉藤綾子に関する情報は、ほとんどこの本だけだ。SMやら乱交やら不倫やら同性愛やらを若くして体験し、女子大生のときにそれをあっけらかーんと書いたおばちゃん、ということだけだ。もうほんと、写真なんか普通のおばちゃんだし。
だけど、多分間違いないだろうと思うのは、この人、あんまり人を恨んだりしないんだろうなってこと。リンチされたときの体験とか、知人が輪姦されたときのこととかの、どこか遠くから見ているような視点だ。憎しみを一直線に表すんでもなく、昔のことだからもういいのってんでもなく。もっと大きな視点。
解説で植島啓司が書いていた、“中年男にお別れを”の読み方だが、やはり上記の視点から、(中年男を)愛していたという考え方に一票入れたい。自分の友達を裏切ったり、どこか汚らしい容貌だったりしていても、その男との最後の場面に“別れの辛さ”なんて表現するあたり、ね。男根に輪ゴム数本を何重にも巻きつけるなんてのも、それだからこそじゃないかな〜。
びよういん行って染めた。なんか若返ったw(ぇ
そのあとは池袋でぶらぶらぶら〜んとお買い物だ。
昨日某友人から読んでみてと言われた本を買う。
斉藤綾子「愛より速く」。
そいついわく、21世紀の山田詠美、だとか。
半分くらい読んだけど、まったくそんな深みは感じられず。
さて、昨日ある銘柄を買いそびれて、ああ買っていれば1日で2万4千円だったのに〜と地団太を踏んだわけだが。その銘柄はちょっと短期的に、かわいいバッグが欲しいなあなんて思って選んだものだったが(初心者がそんなことしちゃアカンが)、やっぱり中期長期的に持とうということで、また選んだ。2度も買い注文出したことを確認w今度こそw
なんだか肩に力入ったタイトルだなあ〜と思った。
で、実際入っていた。
昭和48年の刊行だからもうずいぶん昔の、瀬戸内晴美時代のものなのだが、いやはや、先進的(?)な考えですなあ。「妻の座」というものは空疎であり、恋愛をしないのは不幸だというメッセージ。今から30年前にこんなことを堂々というのはどんなもんだったんだろう。
その考え方がどうとかいう前に、気になったのは、情熱家独特のひとりよがりな様子。なんかさ、ときどきムキになってるような・・・。ん、でもまあ、世間の道徳に逆らって愛を貫いて、あることないこと書き立てられたんだから、こんな風な力説の仕方もありっちゃありかなっと、ちょっと冷めた分析をしてみる。
世間の道徳を良しとする人も、寂聴の姿勢を良しとする人も、これは多分に主観的な問題であって、自分に置き換えて考えてアツクなってしまいがちだ。だからこういう本は、あくまでも外側から客観的に眺めるのが賢いんではないかと思ったのでした。
誕生日が待ち遠しいなんて、ここ数年ないな〜っ
乾いた現実がつきつけられるのさっぷっw
でもうれしいこともいろいろあったよ、ありがとね。
TVをみている。
杉本彩、岩井志麻子、中村うさぎ、そして乙葉w(何故
で、リビドー談義してるwすげぇwいいのか、乙葉w
びしょーねんがリンボーダンスしてくれないかなーって、おいw
わるくないけどw(ぇ
次に本の感想を書く日までこっちの日記はかくまいと思ってた。でもあんまり放置してるのも気になるのでかるーくw
あ、本家はこっち。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/1758/
完全移管しようか悩み中。
カブドットコム証券キタ━━━━(・∀・)━━━━!!
いよいよはじめてしまうのだ。かぶ。ぶるぶる(震)。
かぶやるよん、なんていうと、小うるさい先輩方からあれやこれや言われるのだが。うざがらず素直にきいたほうがいいのかなw
0時をすぎて、としくったw
だからどうってこともないなw
来年はさすがに違う気がするけどwww
「いわゆる書評集ではない。単なる読書エッセイでもない。
もっと本質的な読書の記録集である。」
・・・とは、坪内祐三の解説である。
なるほど。
数日前、この本を買ったとき、私は“柳美里の書評本を買った”と言った。でもやっぱ、読みすすめるうちに、書評と言う言葉は当てはまらないような気がしてきた。そう、書評なんていう冷静なスタンスとは違う、柳の情熱的なメッセージが伝わってくるものだったから。でも単純に情熱に流されるものではない。本の種類は時代や国も様々でそれぞれのバックグラウンドにももちろん言及されている。“読書の記録集”。ああ、なるほど。この言葉は的確だ。
何度か太宰について書かれている。柳は辛かったころ、太宰の小説に癒されてきたのだそうだ。“本をひらくたびに小さな美しい奇跡が生まれ”、太宰が読まれなくなるときは“この国の文学が滅ぶとき”とまで断じている。“太宰治に逢いたい”という柳の、太宰に関する文章はほとんどラブレターのようだ。
柳は言葉の選び方が生々しい。悪趣味とかじゃあなくて。河野多恵子の作品を“ぬめるような生の感触”と評したのにはドキリとさせられたなー。そんな言語感覚は好きだ。
この本を読んで、紹介されている本を読んでみよう、というよりも、なんかもっと柳への興味が強まったのだ。だからやっぱ、書評というよりも記録集なんですな。うん。
よっしゃ。この週末こそ、このサイト作ってからの初の読書感想文をかくじょーw
なんかこう、エコヒイキしちゃいけませんよって心がけてきたのに、大人になるにつれて、そういうもんに忠実になったほうが人間らしいじゃんって思うようになった。
どうなんだろ、これw
あいかわらず柳美里をちびちび読んでいる。でもこの日記を書くときになって、ああ〜早く感想書きたいなあ〜なんて思ってしまふ。
昨夜は遅くまで各方面にしょーもない書き込みをしていたwぷwやっぱり「書く」ことが、私にとっていちばんいい気持ちの落ち着かせ方なのだなあ。
あいかわらずソフトコンタクトには手こずっているし、メッセではスペイン人とイラクの話なんかしている。日常の瑣末的なことも、国際情勢のむずかしー問題も、普通に対応してはいるけど、自分の気持ちのどうにもならないことには、どれもこれも飲み込まれてしまう。振り回されれてしまう。んーでもまあ、それはそんなもんだよなあ。
読書はね、好きなんですよ。だからガーッと読みたいんだけど、本屋に行く時間とか、読む時間とかの時間的制約を考えると、なんかさー、ちびちび読んじゃうw
なんだろーこれ貧乏性なわけ?
だから今日もちびちびと読んでいました。昨日買った柳美里「言葉は静かに踊る」。うん、やっぱ、なかなかのヒット。
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