August
24
2008
連日観戦していた北京オリンピックも今日、閉幕となりました。閉会式も盛大な演出で溢れていて、終わってみて妙に残る後味の悪さを、「何だろう?」とじっと考えています。一つは観戦すればするほどに思いの募った「中国の国力誇示」の演出でしょうか。高級中華料理店に行って豪華な料理をテーブルいっぱいに並べられて、「さあ、心行くまでご堪能を」と言われたけれど、すべての料理を賞味するとなると・・・。見てるだけで満腹になりそうなあの感覚。TVのグルメ番組を見終わったあとの、気だるさ。莫大な経費を投じて演出する一つ一つのセレモニーは、将来の世界や、地球のイメージとはかけ離れすぎていたと思います。世界トップレベルのスポーツの祭典であることは言うまでもありませんが、必要以上に華やかな、豪華なものである必要はないな、という印象が拭えません。「大いなる消耗の果てに成功裏に終わった大会」ということであれば、この形式はこれが最後にして欲しいと思わざるを得ません。
それと同等に、いやそのこと以上に気になるのがTVを中心としたメディアの姿勢です。メダルを獲得した選手に対する異常なまでの執着は、もう完全に食傷気味です。そして、必要以上に演出された選手の苦労話、家族、職場のコメントや映像・・・。確かに4年間の努力は並大抵のものではないでしょうし、ましてメダルを獲得するとなれば快挙であるに違いないです。しかし、そのことを必要以上に美化して放映する演出が多すぎます。選手の「諦めずに頑張ることが大切」という異口同音のメッセージは、メダルを獲得したからこそ意味のあるもののように聞こえてしまう。勝者の涙、敗者の涙、それはチャレンジした選手自身の嘘の無い感情表現でしょう。しかし、それは社会生活において必ずしも特別なことではないですからね。アスリートだけでなくどんな人にも努力と試練と、そして喜怒哀楽にまみれた戦いがあるものです。選ばれた才能と素質があって、その上で努力して勝ち得たメダルに大きな意味があるのは当然ですが、それと同じくらい誰でもが頑張って生きているわけで、あまりに過剰なヒーロー扱い、特別扱いをすること、いわゆる感動の演出などは、程ほどにして欲しいですね。
「感動をありがとう」というフレーズは、観戦した人々の素直な感想として残ればよいのでしょう。しかし、「勝てばヒーロー」という姿勢でそればかりを追いかけることは精神的に非常に良くないです。スポーツは運の要素が常に色濃く残ります。ほんの些細な出来事が勝負の行方を大きく左右するものが試合であり、スポーツなのです。ソフトボール決勝で敗れたアメリカチームの監督のコメント「負けることもある。それがスポーツというものだ。」は、まさにその通りだと感じましたね。TVメディアは各局とも、歯止めの利かない無粋な演出が多すぎます。プロで無い限り、見ている人に感動を与えるためにスポーツをやる必要などなったくないでしょう。メディアの過剰な演出で、スポーツが歪みそうではないですか。
Posted by 有海啓介 | この記事のURL |