【第4回】 2009年06月03日
グーグル問題が日本の出版社につきつけた「絶版」の定義
仮に出版社に権利があるとしても、著者にも当然権利が存在しますから、権利の競合をどう調整するのか、和解一時金の受け取りはどうするのか、「絶版」として「表示使用」されたときの収益をどのように受け取りどう分配するのか。この問題に対処できる取り決めをしている出版社は皆無に近いでしょう。
問題はこの和解案にどう対応するのかに止まりません。電子メディア登場以前は、文字の著作物をそのまま社会に広める手段は印刷物しかなく、印刷物を幅広く流通させることができるのは事実上出版社しかありませんでした。そのため、過剰な在庫を避けるための「品切・重版未定」という状況を出版社が選択したとしても、他に著作物の頒布方法がない以上やむを得ないことであるとして、著者も納得していたものと言えます。
紙媒体を前提としてきた
出版社に突きつけられた難題
しかし、デジタル化の波はそんな状況を一変させました。誰でもブログなどで著作物を公表することが可能ですし、電子書籍用のデータに加工して配信することも容易になりました。プリント・オン・デマンドのシステムを利用すれば1冊からでもある程度リーズナブルなコストで「本」を作ることが可能です。このような状況の変化に、はたして出版界は正面から向き合い対応してきたと言えるのでしょうか。
「品切・重版未定」として「本」を流通に置かないまま、出版する権利だけはホールドしておくという出版社の態度は、営利企業としての経営上やむを得ないことであったことは理解できます。しかし、印刷物以外の著作物流通方法がたくさん存在する今、出版社としてはそれらを含めて著者との間で著作物の流通について責任をもって担っていくのか、それとも印刷物に限定して従来通りの事業を行っていくのか、という選択を迫られているのです。今回のグーグル問題はいわば氷山の一角に過ぎないのです。
著者の側も出版社とどうつきあっていくのか。いかにインターネットが普及したといっても、「本」を印刷物として出版し世に出していくことは、ブログを更新するよりもインパクトのある行為であり、読者の幅も広がるのが普通です。その意味で出版社の存在は重要なはずであり、現在の出版システムがなくなってしまってもよいと考える人はほとんどいないでしょう。
著者も出版社も、デジタルによる著作物の流通を前提として、どのような関係を構築していくのか、真剣に向き合って話し合いを行い、新たなルールを作っていくことが必要なのです。著作物は読者がいなければ何の意味もありませんから、どうすれば読みたい人に著作物を送り届けることができるのか、著者も出版社も適正な対価を受けとることができるのか、ということを考えていかなければなりません。
今回は「今後の具体的な運用」について説明していく予定でしたが、和解案において日本の「本」がどのように扱われるのかについてある程度具体的になったことにより、流通上の問題が明らかになってきましたので、予定を変更して「絶版」問題を検討しました。次回はまた和解案に沿って、具体的な運用を見ていきます。もちろんここにも現在の出版界に再考を促す要素が存在しています。
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村瀬拓男
(弁護士)
1985年東京大学工学部卒。同年、新潮社へ入社。雑誌編集者から映像関連、電子メディア関連など幅広く経験をもつ。2005年同社を退社。06年より弁護士として独立。新潮社の法務業務を担当する傍ら、著作権関連問題に詳しい弁護士として知られる。
グーグルの書籍データベース化をめぐる著作権訴訟問題は、当事国の米に留まらず日本にも波及している。本連載では、このグーグル和解の本質と、デジタル化がもたらす活字ビジネスの変容を描いていく。