広がる耕地、希望集める開拓村 瀬戸際での既存水路復旧が奏功、総灌漑地は約1万4千ヘクタールに ペシャワール会現地代表・PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長 中村哲 |
《2009年1〜3月灌漑計画の報告》(3月18日現在) 1. マルワリード用水路(主水路) 第二期工事は、設計変更と第三期工事の前倒し施工のため、全長を以下に変更 ・旧計画:第二期8.6キロ、第三期2.8キロ(ガンベリ沙漠横断路) ・新計画:第二期計11.3キロ(旧ルートを7.8キロに短縮)、第三期3.5キロ(ガンベリ沙漠横断路) 以上で全長24.3キロとなり、4月中に完了予定。 以上のうち、工事の最も難航した岩盤周り19〜20キロ地点(P区域)を2月28日までに、20.4キロ地点(Q1区域)を3月16日までに完成、通水した。現在、沙漠まで約450メートルに迫り、ガンベリ沙漠横断を同時進行で進めている。沙漠横断路は全長3500メートルのうち1100メートル地点を通過中、600メートルまでの護岸を完成した。 2. 灌漑分水路の整備(シギ第二分水路の完成) 第二期工事のルートはほぼ全てが沙漠化した地帯であり、延長される毎に荒野が耕作地と化し、急速に緑野が広がっている。特に主水路の19キロ地点の辺りは、シギ村(シギ=「砂」の意)に隣接するガンベリ沙漠南部に相当する。シギ用水路の水が届かず、農地開発が昔から困難な地域であった。また、他地域から流民同様に定住した者は、かろうじて天水に頼る農耕で、生産力は乏しかった。 PMSにとっても、この地域の灌漑は、スランプールやダラエヌール下流域と同様、大きな悲願となっていた。このため、O分水門(18.8キロ地点)を全面改修(平成20年11月10日完了)して送水量を増し、同年10月から5カ月をかけ、2月末までに全長2.4キロが開通した。砂地の上の水路造成を可能にしたのは、近隣農民たちの手作業による人海戦術である。 これによって、クナール州からの窮民50家族(約600名)が自給自足の生活ができるようになり、同じく人口増加と渇水に悩み始めていたシギ村が耕地を飛躍的に拡大した。新たに開墾される面積は約2000ジェリブ(500町歩)である。3月18日現在、水路網の整備が村民たちによって行われている。これは最近の一例で、第二期工区は2年目にして、至る所で、耕地が確実に広がっている。
3. カマ取水口の完成 「カマ郡」はジャララバード市の対岸にあり、人口17万人、耕地面積7000ヘクタールの広大な農村地帯である。スピンガル山麓が壊滅した現在、ナンガルハル州では最大の食糧生産地となっている。ここでも渇水は深刻な状態をもたらし、2008年11月、ついに取水が困難となった。折しも、小麦をまいた直後で、農民たちは絶望的な状態に陥った。それまでに建設されていた3つの取水口がれも機能せず、資金を出し合って取水造成を試みていたが、堰先端の著しい深掘れのために用水がほとんど乗らなくなっていた。 2008年12月14日、PMSはこれまで蓄積した技術の総力を集めて、取水口建設に乗り出した。緊急事態と見て異例の速さで建設が進み、2009年1月28日に竣工した。堰は長さ180メートル、幅20メートルで、これまでと同じ捨石(巨石)による斜め堰。水門は堰板方式で幅155センチを三連設置、砂吐き、余水吐きを設けて土砂流入を防いでいる。 なお、2月26日までに主な旧取水口をも復活させ、カマ地域の問題は一応落着した。3月以降二度の洪水に見舞われたが影響なく、安定した水量(毎秒4.5トン、1日量38万トン)を送り続けている。 この5年間で、PMSの水利事業で潤された耕地・新開地は以下のとおりである。 ・マルワリード用水路による直接灌漑 →2200ヘクタール(03〜09年) ・シェイワ取水口建設による灌漑 →1300ヘクタール(07〜08年) ・ベスード取水口建設による灌漑 →3000ヘクタール(06〜08年) ・カマ取水口建設による灌漑 →7000ヘクタール(08〜09年) 総計 13500ヘクタール
4. 自立定着村の建設 昨年秋に着工していた境界壁の設置は09年2月末までに完了、約200ヘクタールの開墾地を確保した。上手はマルワリード用水路の末端(24キロ地点)に相当し、地質は調査によって十分農耕に適していることが確認されている。これに伴ってPMSの「農業計画」は、正式に水路・灌漑計画に統合された。 また、開拓農民の居住地も確保、09年2月までに120家族(約1200名)の定着をめざして、住居の基礎が築かれた。建設はなおも進行中で、150家族(約1500名)の定住を予定している。水路の到達する4月を目途に、これまで働いてきた水路職員を中心に募集を始める。 10戸を1単位とし、現在各単位ごとに井戸を設置している。従来の「井戸計画」を廃し、ここに医療を除く全ての活動が「農業・灌漑計画」として実質的に統合された。この小さな村が、いずれ長年にわたってマルワリード用水路の保全に当たる役割を担い、自給を兼ねた「大きな試験農場」として機能することになる。ここまで沙漠化と戦争によって追い詰められたアフガン農村が、復活し得る一つの道を提示することにもなろう。 日本側の支援の力にも増して、飢えと貧窮があふれる中、生活の道を自ら切り拓こうとする気迫と希望が、職員たちを支えているのは確かである。
5. 湿害対策とPMSによる用水路の管理 灌漑地の拡大に伴って、ようやく「湿害」が問題になってきた。一般にオアシス的な灌漑に頼るアフガン農村では、水の取込みが主な関心事で、本格的な湿害対策は真剣に意識されたことがなかった。また、集落ごとに利害が対立し、元来村全体の調整役を果たしていた伝統的な「長老会」の拘束力が弱まっている。長老会の存在に半ば寄りかかっていた地方行政機構も、それに代わる組織的な権力を行使できない状態である。 3月12日、バラバラの陳情をしているシェイワ郡の各集落の長、行政側との話合いが行われた。その結果、地方行政側と住民代表との間で非難の応酬となり、両者の溝が深まった。住民側は地方に落ちる「復興援助資金」が役人と請負会社の懐に落ちることをなじり、行政側はなに反発して警察権力の行使をちらつかせた。 住民側にも言い分がある。ベスードの堰が好例である。2月下旬、PMSが3年をかけて築いた斜め堰がPRT(地方復興チーム)の介入により、2週間でダメになった。これは多額の援助資金が下りる段階で、行政の役人、請負が見かけの実績を急いだためで、ベスードのクナール河方面の水量調節は、不必要な堰上げで困難となり、対岸の洗掘を起こす。このままでは再び冬の取水が困難となろう。 PMSは中立を固持していたが、ここに至って「無政府状態=無秩序」が身近にあることを知った。それまで長老会の庇護で機能していた「水番制度」の崩壊は、特に零細農民たちの生活に打撃を与える。その後、既存の村落、他地域からの新しい移住者、16年ぶりに復活した各村、地方行政など、各勢力の間に入り、PMS自らが地域一帯の水量調節を行うことで合意が成立した。地方軍閥の影響は注意深く排除された。 3月10日からカマ用水路、3月15日からシェイワ用水路を直接管轄下に置き、マルワリード用水路の分水量を調整、湿害を激減させた。この方式は自立定着村計画の実現で継続が保証され得ると、PMS首脳部は考えている。異論はあろうが、今の状態でこれ以外に方策がないのが実態である。吾々が攻撃されるとすれば、外国軍を含む「混乱を欲する政治勢力」による。住民はもはや争いを望まない。この一部始終を見てきた水路職員たちは、いつとはなく、ガンベリ横断水路の脇にあった小さな丘を「アマン・ゴンデイ(平和の丘)」と呼ぶようになった。 6. 植林計画 09年は大規模な植林計画が大きな柱の一つとなっている。ガンベリ沙漠3.5キロに幅50〜100メートルにわたって砂防林造成が計画され、09年2月までに全ての植林を完了、現在灌水が続けられている。砂防林の主力は「ガズ」と呼ばれる高木で、乾燥に非常に強く、現地では普通に見られる種類。植林の内訳は以下のとおり。作業範囲は水路沿い全長25キロに及び、作業員120名、一切ポンプを使わぬ手作業である。 3年を経た第一期工区や土石流の防災林は殆どが活着していて、作業は後半7キロに集中している。09年1月から3月17日現在まで新たに植えられた数は以下のとおり。ユーカリなどの外来種を減らし、土着種が増えている。結論は、この地域の気候風土になじんで生き延びてきた種が最も確実である。 ガズ 1万2000本 ユーカリ 100本 クワ 2000本 ビエラ 200本 オリーブ 150本 ヤナギ 膨大で不明(推定3〜4万本) 7. マドラサの建設 2009年2月末までに学校部分とモスクの天井建設が開始された。教室・モスク共に3月末日までに落成予定。竣工祝いは1ヶ月延期、4月からは清掃、隔壁の修繕工事が始まる。近い将来、このマドラサがナンガルハル州北部農村地帯の中心、精神的なまとめ役として、機能することになる。 ここも人力が主力で、現在、120名の作業員が働いている。
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(ペシャワール会報99号:2009年4月1日発行より)