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第5回サポーター集会議事録(2000/02/12)

チームの総括(濱田常務)

 まず、皆さんにお詫びしたい。皆さんの熱い応援にもかかわらず結果を出せなかったということは、チーム・フロントとも申し訳なく思っている。去年の結果を踏まえてどうするか、責任問題は?についてはこの後の質疑応答で話したい。
 せっかくこういう場を用意していただいたので、私はチーム設立から責任ある立場に立ってきたので、5年目に入るクラブの原点にもう一度立ち返った話をしたい。
 コンサドーレは何も無いところに東芝サッカー部を移転させてきた。この意味は、東芝サッカー部が組織ごと来たわけではなかった。ストレートに言うとJFLのチームの権利を札幌に持ってきたのが実態だった。社員・プロの選手との契約などの条件があったが、その東芝の移転交渉を私がしていた。
 96年にクラブとしてスタートはしたが、強化・育成、つまり将来を見据えたチーム作りが一番大事と私もフロント全員も認識していたが、言い訳に聞こえるかもしれないが、その時点でのフロント全員がスポンサーからの出向なり、スポンサーの社長との兼務という素人集団で出発したというのが事実であり、明確な将来の方針、チーム強化の根幹を理解している者がいなかった。そういう判断はその時点での監督の考え・方針を中心とする方法を取ったのが実態だった。我々フロントもたぶんサポーターの皆さんもJリーグに上がることが最大の目的だった。そして赤字の原因は人件費と北国としてのマイナス要素、それは予め分かっていたが、これも大きかった。当初は札幌にプロチームができるのかと回りから言われていた中で、是非とも作りたいということが私だけでなく皆さんの、そしてチーム設立プロジェクトに参画してくれたボランティアのメンバーの共通した認識であった。そしてその時考えていたことは、Jリーグに最後に手をあげて行く札幌だから、一番賢い方法でやっていきたい。札幌ならではというやりかたがあったら、是非ともやりたいと思った。ただ、どうやってやっていくかということに関してプロチームを運営していくプロがいなかったことも事実だった。やりながら考えるしかなかった。
 96年の選手で今残っているのが、レンタルの吉原を含め2人しかいないという事実は強化・育成の根幹の問題であると私は強く反省している。96年は5位という不本意な成績で終わってしまった。
 97年はバルデス、マラドーナを加え、当時のJFLでは突出したチーム力を作ったと思っている。結果、97年の決算を見ると・・、お金は必要条件だと思っている。だからといってあれば勝てるというものでもないが、だから97年はブっチ切りで優勝を飾ることができた。
 98年はいい戦いをしたが、フロントにしてみれば経済的問題もJに上がればなんとかなる、という思惑が、つまり、入場料収入が増えるはずだ、グッズが売れるはずだ、Jの配分金もこれだけ上がるはずだ、というものがほとんど外れた。その時初めて、会社設立以来Jに上がれば、というお題目のような考え方が、98年に実際Jに上がってみたら全てそういうことではないと分かった。決算を見てもJFLの97年と変わらなかった。そこで始めて我々はある種の幻想ではなくて、このチームの身の丈というものが分かった。それを3年もかかったのか、4年もかかったのかとお叱りを受けることを覚悟で申し上げている。Jリーグのチームを持つことの実態が分かったのが98年だった。


 99年に関してはチームの人件費も落とし、できるだけその範囲の中でやる方法を考えることに切り替えた。次に指導者をどうするかという問題があった。フロントとして岡田氏を監督に招聘した。日本代表監督であったが、フランスでは1勝もできなかった、と言われるかもしれない。人を選ぶこと、人を決めることに関していろんな意見があることも十分承知しているが、これはフロントとして岡田氏とチームの根幹を作ろうということで招聘したのが実態だ。そのチームの根幹を作るとは、東芝サッカー部の移転というところから始まる形だけのスタートだったものを、5年目を迎える中で将来につながるチーム作りに着手したと考えていただいてけっこうかと思う。
 その年その年の結果を追い求めるあまり、無駄とは言わないが、結果的に無駄なお金を使ったことになるかもしれない、それはもちろんフロントの責任になるが、昇格をするのは目標ではあるが、その前にクラブでできる範囲、シビアなやり方を十分吟味した上で行くことに切り替えた。去年のことは誠に申し訳なかったが、監督・選手は頑張ったけどフロントを含めクラブの総合的な力が足りなかったと私は理解している。
 今年のチームは、今までの反省点から今後どのようなチームにしていくかに関して、11月25日にチーム・コンセプトを発表させていただいた。内容があたりまえのように思われるかもしれないが、HFCとしてはこれこそがこのクラブの根幹をなすものだと考えている。
「北海道の人々が心から誇れるチーム」とはチームの成績だけでなく、会社が赤字を出さないということを含めたもの。
「若手選手をしっかりと育成していくチーム作り」とは強化・育成に主眼を置き、これこそがクラブの心臓と思っている。北海道の 子供達がコンサドーレでプレーしたいと思ってもらうチームになり、クラブ側もいい 選手を発掘するスカウト力を持った体制で臨みたい。
「北海道とともに地道に生き続けるチーム」とは、身の丈で無理をせず、かつ結果を出す。難しいことではあるが、決してでき ないことではない。しかし、一朝一夕ではできない。ですから地道に生き続けるという 言葉とさせてもらった。これは赤字は出さないということでもあり、北海道の皆さんが 誇りに思ってくれるチームをしっかりと作っていきたいという決意表明でもある。


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 今年のチーム作りに関しては、当然目標はJ2優勝を目指してJ1に上がること。J1昇格が最大の目標だ。また、今年ユースから遠国選手が初めてトップチームに上がってきたが、これは画期的なことで、コンサドーレ世代が上がってきた最初の年ととらえることができる。
 外人選手の獲得に関しては、基本的な考え方は、まず点を取るFWの選手が1人ほしいという現場からの要望と、ある程度実績が読めて日本のサッカー、日本の生活にも慣れていて、チームの輪にも問題のない選手がほしいとなった。ビジュについてはフロント自ら昨年チェックできたので残したいということから、日本で実績のある選手としてアウミールを獲得した。エメルソンについては、今年初めて獲得の方法を変えて、サンパウロFCと直に交渉でき大変安い値段で獲得できた。いい補強ができたということは、シーズンの結果が出てから言えることだが、現時点ではフロントとして外人選手は十分期待できるものと思っている。
 40試合という長いシーズンを戦うにあたり監督の考えを基軸にいい補強ができたと思っている。ただ、レッズ、ベルマーレが下りてきて、大分、仙台も補強していることから、非常に厳しい戦いになると思う。J2がJFLとは全く違ったものとなり今年ますます厳しくなっているが、その中でも結果を出すという不退転の考えの中でキャンプに入っている。
 まとめとして、96年にできたコンサドーレが私達フロントの考えとしては、先に振り返った時に「2000年にコンサドーレが変ったよね」といわれるような年、そういう位置づけにしたい。当然、内容もさることながら結果でその考えを証明したい。
 私自身、このチームの存在感をどこでだすかという時に、一番大事なこととして思うのは、いかに地元の人に支持されてホームスタジアムにどれだけ多くの人が来てもらうか、クラブの存在を示すポイントはそれに尽きると思っている。いつもあれだけ多くのお客様が来てくれるコンサドーレという存在は、J2に止めておくチームではないと強く思っている。そのためにもフロントとしてできるだけのことを実行し、存在感のあるクラブにしていきたいと思っている。

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