以下のような集会が開かれるようです。安全管理の専門家として看過できないので、今日はこの「原子力発電における核燃料サイクルの必要性と反対集会」に関して書きたいと思います。
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海に空に放射能を捨てないで!―STOP!再処理本格稼働―
「青森県知事、安全協定にサインしないで!」
今、私たちができること。一人一人が動くときが来た。
六ヶ所村再処理工場の本格稼働が近づいています。本格稼働により、大量の放射能が環境中に流されます。
3.16集会において私たちは海や空を放射能から守りたいという思いを決議として上げ、青森県知事に決議文を提出します。知事には安全協定にサインせず、再処理工場を本格稼働させないよう申し入れます。
今こそ、一人一人のアクションが重要です。ぜひご参加ください!
http://lmswkm.net/316_in_sendai
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私は以前に「勇気を持って発言『原子力は安全です』」という記事を書きました。この記事で伝えたかったことは一つです。それは「日本人は原子力発電の仕組みと安全性の真実を知ろう」ということです。
地球温暖化防止とこの国の国益を考えた場合、原子力発電所は「なくてはならないもの」であり、全国民が核燃料サイクル(核燃料の再処理)は、推進されて当然のものであることを認識すべき時期にきていると私は考えます。
その流れに逆行するような「反対集会」に利はないのです。このような観点からこの反対活動を批判したいと思います。
1、危険の根拠が不明確
日本人ほど「論理性」に欠ける民族はないと私は認識しています。青山大学大学院の林吉郎名誉教授も著書「異文化インターフェイス経営」の中で「欧米人がデジタル思考であるのに対し、日本人の多くはアナログ思考」であると書かれています。
デジタル思考とは「現実世界に境界線を引き、境界線の両側を区別して理解するということ」です。
一方のアナログ思考はその反対です。「直感・感性の世界であり、現実を概念化・論理化しないでそのまま理解する」世界です。
ディズニー・テーマパークはご存知のようにテーマランドごとに「区別」されています。また、ゲストに見せて良いオンステージ(舞台の上)と見せてはいけないバックステージ(舞台裏)に見事に「区別」されています。
科学の科とは本来「分ける」という意味であり、私は講演でも「分けて考えることが大切」と論じていますが、現実世界に境界線を引き、境界線の両側を「分けて」理解しない非科学的アナログ日本人が、日本社会を混乱させている、私はこの様に捉えています。
(林吉郎名誉教授のアナログ視点、デジタル視点論に関しては「M型組織」か「0型組織」で検索してみて下さい。)
論理性に欠け、感性に従って行動する非科学的日本人が多いということを最初に申し上げ、放射能の危険性に話を進めます。
放射能の危険性を「プルトニウム 角砂糖5個分で日本全滅」と表現される方もいらっしゃいますが、あまりにも非現実的な論理です。反対のための「感情論」と断じても良いと私は考えます。
なぜならば、です。この国に暮らす人々に角砂糖5個分の「毒」を平等に摂取させなければ、大量死など考えられないからです。
フグの「毒」で考えれば分かり易いでしょう。私はフグの「毒」はプルトニウム同等の毒性を有していると聞いた事があります。つまり、フグの角砂糖5個分の「毒」でも日本人全員を殺すことができるということです。
確かに理論的には可能でしょう。しかし、です。どの様にしたらフグの毒を日本人全員に、平等に摂取させることができるでしょうか。
中学生でも「できない」と考えるに違いありません。
小指の先ほどのペレットに封入されているウランやプルトニウムを取り出す作業(再処理)する際に、クリプトン85などの放射性物質が大気中や海中に放出される問題も「フグの毒」と同じです。
理論的には可能でも、現実的には不可能です。数万人の人が、煙突の排出口で放射性物質をすべて吸い込むことを想定すれば、何万人も殺すことはできるかもしれませんが。
2、グローバルな視点で見ていない。
フランスやイギリスでは、自国外の原子力発電所から発生する使用済み核燃料を受け入れて再処理しています。
この事実だけみても、反対論者の「再処理 = 危険」という理論は成り立たないものと私は考えます。
フランスやイギリスにおいて、再処理の過程で大量の被曝者が出たという事実があるのでしょうか。海草などが放射性物質により汚染され、大きな問題になっているという報道がなされているのでしょうか。
そうではないから現在も商業運営を続けることができていると私は考えます。もし被害が出ているのであれば、国際原子力機関(IAEA)も問題を放置することはないでしょう。
3、結局、何のための集会か分からない。
「知事には安全協定にサインせず、再処理工場を本格稼働させないよう申し入れます」ということを目的とする集会であることは分かりますが、その基盤となる思想が私には理解できません。
世界に向けて「世界中で核燃料サイクルは止めるべき」と訴えているのか、それとも「地元の環境だけは悪化させないで」と請願しているのか、あるいは「原子力発電そのものに反対」なのか、私には全く伝わってきません。
「本格稼働により、大量の放射能が環境中に流されます。」と表現することにより不安を煽り、自分たちの要求を為政者に突き付けるやり方に対し、私は「正義」を感じませんし、反対に「怒り」の念を禁じ得ません。
4、説明責任を果たしていない。
結局のところ「何をしたいのか」が分からないのです。不安を煽る過激な「メッセージ」を記したチラシを作成していますが、このやり方は一番楽で、一番効果がない方法と言わざるを得ません。
なぜならば、論理的に考える多くの人達に対し、伝えたいことが全く伝わらないからです。市民から協賛金を集めて行なわれる集会です。その意味においても、まさに「説明責任を果たしていない」と言わざるを得ないと考えます。
5、最後に
「木を見て森を見ず」という言葉があります。「KY」という新語も広く使われるようになってきました。
地球温暖化防止に対し、全世界が知恵を結集している時に、「木を見て森を見ず」や「KY」ではいけません。
もちろん「原子力反対」の思想は自由です。それでも、集会を開き、為政者に政策の変更を求めているのですから、原子力発電所関係者や、私のような原子力発電推進論者をも納得させるだけの「理論」と、今後のエネルギー政策の「シナリオ」は大局をつかんだものでなくてはなりません。その点においてもこの集会の意味が理解できません。
この原子力発電問題を複雑化している問題を、もう一つだけ記しておきます。それはマスメディアの報道姿勢です。
昨年の4月29日、テレビ朝日のサンデープロジェクトという番組で原子力発電所の不祥事が取り上げられました。東京電力の桝元取締役が出演された番組です。この番組でキャスターの田原総一郎氏は電力業界に対しこのように 苦言を呈しました。
「他の発電所と比べ、原子力発電所の事故が多い、98件もある」
示されたフリップには「不正、不備」と明記されているのに、キャスターは事故と表現する、田原氏は意図的なのか、「不正、不備」と事故の違いが区別できないのかは分かりませんが、トラブルを事故と言い変えるのは、明らかに誤解と不安を与える表現であると私は思います。
私はいつも「正しい情報を、正しい思考回路にインプットすることにより、正しいアウトプット(仕事の結果)が生まれる」と申し上げています。
今回の集会で参加者にインプットされる情報が正しいものであることを願ってやみません。