11/27朝日新聞、若宮啓文論説主幹のコラム「風考計」のタイトルです。
日ソ国交回復満50年。10月19日、モスクワで開かれた記念の「日ロ・フォーラム」を機会にいろいろな記事が出ていましたが、これが朝日としては決め手でしょうか。
確か、若宮論説主幹の父君は、日ソ共同宣言に関わっていたはず、NHKで放映もあったはずと調べたらありました。
OPINION 〜NEWSに意見〜さんのグロブです。一部コピーさせていただきます。
【追記】 10/05 04:45
NHK ETV特集 第131回 3月25日(土)
クレムリン・緊迫の7日間 〜日ソ国交回復・50年目の真実〜
戦後日本の大きな転換点となった1956年の日ソ共同宣言から50年を迎える。
日ソ国交回復により、戦後、日本は国連加盟が可能になり、国際舞台で新しい一歩を踏み出した。50年を機に、日露両国で日ソ交渉に関する新たな資料の存在が明らかになった。
初公開される当時の鳩山一郎首相秘書官、若宮小太郎の日記。鳩山首相が日本を出発する10月7日から帰国の11月1日までの交渉団の詳細な行動が記録されている。鳩山首相の交渉にかける不退転の決意と日本代表団の高揚する気分が伝わってくる。
鳩山首相は、「日本の自主独立の確立は為政者としての崇高な義務、私が交渉の最適任者」と病をおして命がけの交渉に挑んだ。ソビエト側は会談中にもその首相の意気を高く評価している。
鳩山一郎首相秘書官の若宮小太郎氏は、元朝日新聞の記者で、現朝日新聞・論説主幹の若宮啓文氏の父親である。 ETV特集を見た後で知ったのだが、それなら「中韓ばかりに関心を向けないで、ロシアにも関心を向けたらどうか」と率直に思った。
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北方領土 「50年周期」で決着できぬか
若宮啓文(論説主幹)
2006.11.27朝日新聞 風考計
大きく広がった赤い壁から白い石の暖炉が浮き出ていた。シャンデリアの下には長い樫(かし)の木のテーブル……。
フルシチョフ共産党第1書記やブルガーニン首相ら、ソ連側の首脳陣がこの席につく。向かいに座ったのはホストの鳩山一郎首相、河野一郎農相ら日本の訪ソ団一行だった。
1956年10月17日、日本側が主催したこの答礼昼食会は、鳩山一行が泊まった迎賓館の一室で開かれた。いまもロシア外務省別館として使われる宮廷風のこの建物を、先月、モスクワで見学させてもらった。
昼食会の2日後、両国首脳は日ソ共同宣言に調印した。こうして戦後11年途絶えていた国交が回復し、日本は念願の国連加盟も約束されたのだが、北方領土については厳しい交渉がまとまらず、平和条約の締結を将来に持ち越したのだった。
それから満50年。先月19日、モスクワで開かれた記念の「日ロ・フォーラム」に参加してみると、日本側参加者の中心は鳩山氏の孫・由紀夫氏(民主党)と河野氏の孫・太郎氏(自民党)である。なるほど半世紀もたてば三世の時代になるのだなと、過ぎた歳月を実感したのだった。
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そういえば、日ロ関係はほぼ50年ごとに大きな節目を迎えてきた。そんなことを思ったのは、フォーラムで静岡県下田市の代表が1855年の日露和親条約を話題にしたときだった。
徳川幕府は下田に来航したプチャーチン提督と交渉したのだが、折しも安政の大地震による大津波で下田は壊滅し、ロシア艦船もやがて沈没する。このとき日ロが救助し合い、ついには日本の大工の手でロシア船を造ったという美談だ。この条約で国境が決まり、北方四島が日本領と認められた。
一転、日ロが戦火を交え、ポーツマス条約が結ばれたのは、それからちょうど50年後の1905年。サハリンの南半分が日本に割譲された。
さらに、51年後に迎えたのが日ソ共同宣言による国交正常化だった。この間にはロシア革命があり、2度の世界大戦もあって、北方四島はソ連の占領するところになっていた。
そして、また50年――。鳩山一行の願いむなしく、島の問題はまだ何も変わらぬままだ。鳩山由紀夫氏はフォーラムの開会あいさつでそれに触れ、祖父は「天の上から、いたく嘆いているに違いない」と語った。
あのときソ連は、歯舞、色丹の二島返還でけりをつけようとした。フルシチョフ氏の決断だったのだが、日本が応じなかったのは、米国が「二島で妥協したら沖縄を還さない」と強く圧力をかけたためだ。米ソ冷戦のもと、日ソの接近を警戒していた。
もうひとつ、日ソ交渉に「四島」の枠をはめたのは、保守合同から間もない自民党内だった。鳩山氏に政権を奪われた吉田茂氏に連なる旧自由党系の議員らが、米国に呼応して二島返還に猛反対していた。
鳩山訪ソを控え、そんな日本の内部事情や鳩山、河野両氏の人物像をソ連外務省情報局が分析していた。その秘密報告書の訳文を法政大学の下斗米伸夫教授が最近、学内で発表した。
それによると、領土問題で妥協しての国交正常化は「無条件降伏を意味する」と、吉田氏が厳しい書簡を鳩山氏に送っていた。報告の中身はリアルで詳細。さすがソ連の情報能力をうかがわせる。
そこには安倍首相の祖父、岸信介氏も登場する。反吉田、かつ反共の人だったせいか「日ソ関係には原則として動揺した見方をもっている」との分析だが、「政治は生き物」と語るなど、自民党幹事長として鳩山氏の交渉を支えていることを特筆していた。
◇
ソ連崩壊後、一時は歩み寄りの気配を見せたロシアも、いまは再びかたくなだ。「このままだと、この先50年たっても解決しない」とフォーラムで言い切ったのは河野太郎氏だった。「二と四の間をとることを、そろそろ考えよう」との提案だ。
日本の学者たちからも「二島プラスアルファ」や「主権の共同化」による決着論が次々に飛び出した。四島返還を主張する限り、筋は通っても島は還らない。それでいいのか、と。
ルシコフ・モスクワ市長らロシア側は話に乗ってこなかったが、もしや日ロの将来を見すえて大胆な戦略判断ができるとすれば、プーチン大統領をおいていまい。最近は「中ロ」の国境紛争を「フィフティー・フィフティー」方式で解決した実績もある。
さて、日本はどうか。安倍政権の発足後、麻生外相が毎日新聞のインタビューで「三島返還」論に触れるなど、ちらり政治決着に意欲をのぞかせた。あの吉田茂氏の孫にして、である。一方、野党の大幹部に鳩山氏とくれば、これはなかなか絶妙の組み合わせではないか。
プーチン大統領の任期はあと1年余りしかない。もし安倍首相が思い切って仕掛けるなら、この1年が勝負どころだろう。それは、「50年周期」の法則にかなうことでもある。
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幣ブログ参考記事
北方領土三島返還論
北方領土問題 4でも0でも、2でもなく
「三島返還論」報道経緯
四島返還 道筋どこに/日ソ国交回復から50年
「『領土』の解釈に溝 なお見えぬ着地点」?
ソ連からロシアに変わった様に、頭の切り替えが必要な人が多くいる
日ソ共同宣言50年「日ロフォーラム」
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付録:産経新聞の論調
古森義久:産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員。
朝日新聞 若宮論説主幹の北方領土放棄論の詐術
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