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2009年05月09日

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<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く(10/10)

 たとえば、足利事件と並んでDNA鑑定が重要な証拠になった事件として「飯塚事件」があります。私は弁護人ではありませんので、詳しくは知りませんが、同じDNA鑑定が問題になったこと、しかも飯塚事件のDNA鑑定も足利と同じMCT118法で、同じ16-26と鑑定されたことから、私たちは「東の足利、西の飯塚」と呼んで、協力しながら弁護活動に従事してきました。
 飯塚事件は被害幼女が2名だったこともあって、有罪とされた久間三千年さんに言い渡された判決は死刑でした。私が衝撃を受けたのは、久間さんが2008年10月28日、死刑を執行されたことです。飯塚事件の死刑確定は06年9月で、その2年前のことです。死刑の執行が判決確定後どのくらいでなされるものなのか分かりませんが、明らかに早い執行だったことは疑う余地がありません。再審請求の準備をしていた弁護団は、実際に再審請求しなかったために執行されてしまったと落胆していると聞きます。もしも飯塚事件のDNA鑑定も間違っていて、久間さんが無実だったとしたら、一体どうするのでしょうか。
 また、久間さんの死刑執行が、足利事件で検察官の意見書が提出された2008年10月だったことをどのように考えたらいいのでしょうか。飯塚事件で死刑執行の書面を書いている検察官と、足利事件でDNA再鑑定の書面を書いている検察官が、ほぼ同じ時期に霞ヶ関の法務省と検察庁の2つの建物の中にいたのです。
 いよいよ裁判員裁判が始まり,死刑の問題に市民が直面することになりますが、冤罪と死刑についても深く考えてみる必要があると思います。
 足利事件の時効は、刑事訴訟法の時効の規定が改正される前でしたので、15年を経過した2005年5月12日に時効が完成しました。しかし、私たちがDNA再鑑定を求めたのは1997年10月のことで、事件から7年半後のことです。時効まで7年半ありました。そのときにDNA再鑑定を行えば、今回分かったように犯人のDNA型も同時に判明し、それを手掛かりに足利事件の再捜査を開始し、犯人を検挙することも十分に可能だったと思います。警察庁は、現在、DNA鑑定の結果のデータベースを捜査に活用していますが、本件でもそれが可能だったし、そうすべきものでした。
 DNA鑑定は、これまでの鑑定と異なり、ある人の無実を明らかにするのと同時に、真犯人のDNA型を明らかにするという意味で、新たな捜査の出発点になる画期的な鑑定なのです。
 DNA鑑定は誤っているのではないかという指摘があった場合には直ちにこれを真摯に受け止める必要があります。それを無視し、DNA再鑑定を実施しないことは、犯人を利することに等しいのです。
 市民の安全、治安の維持に責任を負っている警察、検察こそ弁護人の指摘に謙虚に耳を傾けるべきだったことになります。DNA鑑定は、その意味で、鑑定の持つ意味について新しい時代の到来を告げるものということができると思います。
 お話ししながら、足利事件のDNA再鑑定の結果が示すものは、私たちの予想をはるかに超えるものではないかということに気付きます。ただし、私たちの任務は、高裁による再審開始決定を得て、それを確定させ、ついで、開始された再審公判で無罪判決を得て、それを確定させることです。その道のりはまだまだ長いといわなくてはなりませんが、既に希望の光ははっきりと見えています。

Q お忙しい中、長時間のインタビューにお答えいただき、どうもありがとうございました。

 私こそ足利事件のDNA鑑定の意味を考え直す機会を与えていただき、感謝しています。

【佐藤博史(さとう・ひろし)】1948年、島根県生まれ。東大法卒。1974年弁護士登録(第二東京弁護士会)。現在、早稲田大学客員教授。

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