2009年05月09日
<時の人> | 経歴はこちら>> |
---|
Q 即時抗告の申し立ては、東京高裁第1刑事部(田中康郎裁判長)に係属したわけですが、今日のような劇的な展開になると思っていましたか。
田中裁判官とはある研究会でご一緒したこともありますが、柔らかな物言いの方です。しかし、私は田中裁判官が東京地裁の裁判長だったころ、無罪と確信した事件で手痛い有罪判決を受けたことがあり、実は、足利事件の棄却決定の日は、田中裁判長のもとで無罪を争っている税法事件の第1回公判の日でした。しかし、弁護側の証人尋問をすべて却下され、即日結審し判決日を指定されたのです。2008年2月13日は私にとってダブルパンチを受けた日でもあったのですが、足利事件の即時抗告審がその田中裁判長の部に係属して、正直言って「参ったなぁ」という気持ちでした。
そこで、正攻法で臨むしかないと覚悟を決め、DNA再鑑定の請求を2008年5月23日に行いましたが、まさか裁判所が直ちにこの問題に関心を寄せるとは思わず、棄却決定が排斥した弁護側の2つの法医学鑑定を補強することによって突破口を開こうと考えていました。それによって菅家さんの自白に疑問が生じなければ、DNA鑑定に入ってもらえないだろうと思っていたのです。
そこで、私たちは、夏休みを法医学鑑定の補強に費やし、9月初旬に法医学の鑑定補充書を裁判所に提出し、9月中旬、裁判所に三者協議を申し入れました。
すると、裁判所の書記官から、裁判所は5月に提出されたDNA再鑑定の請求について検察官の意見を求めているところで、10月末までに提出される検察官の意見書を待って三者協議の日程を入れるつもりなので、それまで待ってほしいと言われたのです。
それが、私たちが東京高裁がDNA再鑑定に関心を持っていることを知った最初の機会です。
そして、2008年10月15日、検察官の意見書が提出されましたが、驚くべきことに、その意見書は、DNA再鑑定は不必要であるとしたものの、仮に裁判所がDNA再鑑定に踏み切る場合には以下のような方法によるべきであるとして、DNA再鑑定を前提としたものでした。さらに、その意見書について、書記官から「裁判所はDNA再鑑定の方向で考えているので、検察官の意見書のうちDNA再鑑定を実施することを前提に書かれた部分についての弁護人の意見を聞きたいので、そのことを念頭に意見書を作成してほしい」と裁判所の要望が伝えられ、裁判所がDNA再鑑定に意欲的なことを知ったのです。
そして、検察官意見書を入手したと思われるマスコミが「DNA再鑑定へ」と報じたことから、今日に続く報道が始まりました。
Q その後11月14日にDNA再鑑定に関する弁護人の意見書、12月2日に弁護人の補充書が提出され、三者協議を経て2008年12月24日にDNA再鑑定が決定されたのですね。
そうです。ちょうどクリスマス・イブでした。執務時間も過ぎた午後5時30分に裁判所から電話をもらい、DNA再鑑定を命じる決定書を受け取りに行き、翌朝、菅家さんに接見して説明しましたが、2月13日から10か月余りでこのようなことが実現するとは夢にも思っていませんでした。