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2009年05月09日

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<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く(4/10)

 

Q 当時のDNA鑑定の不十分さについてはお聞きしましたが、菅家氏が犯人ではないことを示すそれ以外の証拠とは何ですか。

 たくさんあって、短時間では説明が難しいのですが…。
 私が最初の接見で菅家さんの無実を確信できたこととも関係しますが、真実ちゃんを殺した犯人が小児性愛者であることは疑う余地がありません。私は、同じ小児性愛者による死刑事件だった島田事件の最終段階で弁護人になったことがあり、ほかに小児性愛者だった大学生が13人の幼女を犠牲にした事件の弁護を担当したことがあります。そのため小児性愛者による犯罪がどのようなものかそれなりの知識がありました。
 そのような知識に照らすと、菅家さんは絶対に小児性愛者ではありません。ある人が小児性愛者かそうでないかは、それなりの知識をもとにインタビューをしてみれば簡単に分かると思います。
 警察は、菅家さんを任意同行する前、ほぼ1年間にわたって菅家さんを尾行しましたが、当時菅家さんは幼稚園のバスの運転手をしており、それこそ幼女に取り囲まれていたのに、菅家さんは一度も不審な態度を示したことはありません。小児性愛者はチャンスがあれば幼女に声を掛けるものです。「声掛け事案」と呼ばれますが、幼女には性的な意味が分からないために、「事件」が発覚しないことも多いのです。幼女を性的興味の対象とした事件が必ず殺人に発展するとは限りませんし、犯人としても、死体愛好者でない限り、殺す必然性はないのです。
 ところが、足利市では、11年前の1979年と6年前の1984年に幼女が誘拐され死体となって発見された2つの事件が起きていたため、菅家さんはこの2つについても追及され、2つの事件もやったと自白しました。11年前の事件では、真実ちゃん事件で起訴されたあと、再逮捕されました。しかし処分保留のまま釈放され、1年後の1993年1月に2つの事件とも不起訴になったのです。不起訴理由は「嫌疑不十分」。菅家さんが犯人だったとすれば、間違いなく死刑になったに違いない事件なのに、菅家さんは自白しました。しかし、検察官は、その自白は信用性に疑問があるとして起訴できなかったのです。
 ところで、仮に真実ちゃん事件の前に菅家さんが2件も幼女を誘拐して殺害していたとすれば、菅家さんの小児性愛者としての傾向は極めて強いものになっていたに違いありません。そして、3件目の真実ちゃん事件を起こしたあと半年後から開始された警察の尾行で、菅家さんが小児性愛者としてのシッポを出さないことなどおよそ考えられない。菅家さんが警察の尾行に気付いていなかったことは警察も認めています。それなのに、菅家さんは1年間尾行されながら、そして、幼女に取り囲まれた生活をしながら、一度も小児性愛者としての行動を示さなかったのです。冷静に考えれば、菅家さんが犯人でないことは警察官が誰よりも知っていたことになります。
 しかし、警察官は菅家さんが犯人だと確信し、その自白を疑うことをしませんでした。何故か。まさに「DNA鑑定神話」が支配していたからです。
 私たちが控訴審で弁護人になって菅家さんの無実の証拠が見つかったと喜んだのは、スーパーマーケットに残されたレシートを発見したときのことです。菅家さんの自白では、真実ちゃんを殺していたずらしたあと、午後8時前にスーパーに寄って夕食を買ったことになっていました。警察は自白を裏付けるためにそのレシートを捜しましたが、見つかりませんでした。ところが、菅家さんが一審の弁護人に無実を訴えた手紙では、スーパーに寄ったのは午後3時すぎで、当日パチンコ店には行っていないというのです。そこで、私たちがスーパーに赴いて警察が見通していた当日の昼間のレシートを見てみると、なんと、午後3時2分に菅家さんが供述する買物に符合するレシートがあったのです。
 自白を裏付けるレシートが存在せず、否認供述を裏付けるレシートが存在しているのです。

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