役所の広報と化した「記者クラブ」(粟野仁雄=ジャーナリスト)
2009年6月4日 リベラルタイム
公的機関等を継続的に取材するために設置されている「記者クラブ」。
大手新聞社等で支配された「密室」の中で行われていることとは…
日本の新聞は、ほとんどが記者クラブからの「官発信の情報」で構成されるが、官庁の記者クラブでは官だけが発表するわけではなく、市民団体等も情報発信の場にする。通信社を退職し独立した私は、取材したい会見があると、記者クラブ幹事社のはるか年下の記者たちに頭を下げ、出席させてもらう。二〇〇六年五月、「申し込みが遅くなりましたが今日の会見、同席させてください」と足を運んだのが、お世話になっている大阪司法記者会。大新聞社のベテラン記者が、「いまごろ何や、各社の了解を取ったり会見する人の許可も取らんとあかんのや。その日に申し込むとは何事や」と、激しく詰りだした。あまりの勢いに、私が会見に誘った週刊誌記者は小さくなっていた。〇五年十一月に、大阪市で若い姉妹がマンションに押し入った男に殺される強盗殺人事件があった。悲しみも癒えぬ初公判後に会見したのはその姉妹の父親と、姉妹の間の年齢の兄弟だった。私は早くから両親の自宅を訪れて長時間取材し、悲痛の思いを雑誌等に書いていた。父親は私を詰ったベテラン記者のこと等知らないだろう。記者クラブの権威(?)を振りかざす様子に内心、苦笑した。
記者は官僚以上の官僚体質
少し古いが通信社記者時代、霞が関の記者クラブに接して驚いた。一九九〇年夏、厚生省(現厚生労働省)のサハリン残留日本人の現地調査に同行することになった。私を始め、大半が北海道からの若い記者だった。ところが出発直前の厚生省記者クラブでの打ち合わせの際、同クラブ員のあるベテラン記者が、あれをするな、これをするな、こういう取材はクラブ協定違反だ……と、まくし立て出した。私たちに対し厚生官僚以上に、同行取材の注意事項を、まあよくぞ考え付くなと思うほど並べて説教した。「厚生省記者クラブの人ってなんて偉いのだろう」。私たちは呆然としていた。そのベテラン記者は、実は取材の遅れていた社の記者で、私や北海道新聞、毎日新聞、北海道放送等、取材を深めていた記者たちを必死に牽制していたのだ。「特落ち」(他紙に掲載されている記事が自紙にないこと)すると上司に叱責されるからだろう。国は戦後、ろくに調べもせずに「サハリン(日本時代の樺太)に日本人は残っていない」といい続けていた。だが、日ソの雪解けで往来が緩和され、女性を中心に、現地に残っていた人たちの存在がわかってきた。そんな中で、戦後初の政府による現地調査だったが、厚生省が批判されるような「抜け駆け取材」を許さない霞が関記者クラブ員に、官僚が助けられている姿を感じた。お役所のための記事
何年か前に、所属していた大阪市政クラブの発表会見記事を私はボツにしたことがある。翌日、他紙には律儀に出ていた。年下のデスクが「何で書かなかったんですか」。問答の末、そのデスクは「発表ものはすべてニュースです」と断言した。役人・官僚にとって実にありがたい言葉だ。後日、「発表ものは、どんなものでも全部書くことにしているんです。あのデスクと押し問答している方が疲れますから」と同僚の女性記者が打ち明けた。これでは役所の発表記事ばかりに追われ、記者クラブの部屋から出て、独自取材に歩けない。大阪五輪招致中の〇一年ころ、IOC(国際オリンピック委員会)委員の視察を前に、競技会場になる予定の、長居公園のホームレスの青テントの強制撤去が騒動になっていた。「様子を見て来ます」とあるデスクに告げると、「なぜクラブを離れて現場なんかに行くんだ。クラブでいろんな発表があるだろう」といわれた。記者クラブ員はもはや官庁の「広報課職員」と化していた。
ある時、近畿郵政局長の会見があった。私が書いた会見記事が流れると、同局から「発言内容が違う」とクレームがついた。実は契約している官庁には、共同通信から記事がファックスで送られることになっている。本来は加盟社に届けられてから、新聞記事や放送原稿になるものだ。デスクは私を信じず、クレーム通りに書き直し送信し直した。それなら会見内容を官庁からファックスしてもらえばいい。当時、支局長等は持ち場の自治体関係への記事配信契約の売り込みに必死だったのだ。官との契約により、配信記事は加盟新聞に印刷物として出る前に、事実上、官庁に「検閲」されているわけだ。
「横並び文化ニッポン」では、自治体役人は他の自治体の動きを神経質なまでに知りたがる。役所のつまらない発表ものでも配信すれば喜ぶ。要は「市民のための記事」ではなく、安定した収入源になるお役所のための記事である。通信社のニュースは、私が所属していたころから「公共事業化」していたのだ。ネット配信が可能な現在は、はるかに迅速に「官のチェック」が入っているはず。そんな記事が多く載った新聞等にお金を払いたいと思うだろうか。
一糸乱れぬ「横並び」
「みんなで渡れば怖くない、渡らなければ問題ない」の記者クラブに浸かれば、ジャーナリズムの感覚が麻痺する。拉致された北朝鮮から帰国したばかりの蓮池薫さんの取材で新潟・柏崎市にいた時のこと。現地でお世話になった読売新聞社の記者は「記者クラブでは、発表者との折衝等の幹事業務ばかりで記事が一行も書けませんよ」と嘆いていた。当時、柏崎市役所の記者クラブは、一日に何回も「横並び」のためのクラブ総会を開いていた。抜け駆けは許されない。クラブ員はすべてに歩調を合わせなくてはいけないのだ。さらに、驚いたことがあった。蓮池さんが母校(中央大学)の文化祭にメッセージを送った時のこと。翌日の新聞には、彼が書いたメッセージの写真が掲載され、その下に「代表撮影」とあった。雰囲気を壊さないため、蓮池さん一家の四半世紀ぶりの団欒風景が代表撮影だったのは仕方ないが、メッセージを書いた紙までが「代表撮影」とは。取材の持ち回りや横並びもここまできてしまったのか。この感覚では個性的な記事が現れるのも期待薄だろう。
リベラルタイム7月号特集 つまらない「新聞」「テレビ」は見たくない!
※各媒体に掲載された記事を原文のまま掲載しています。
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