アジア女性資料センターのHPに
「裁判員制度:性犯罪被害者への二次被害のおそれ ―― ある性犯罪被害者の方からのメッセージ」という記事がアップされている。
私が性被害に遭った当時は、遮へい措置もなく、被害者の氏名住所も当たり前に裁判中に朗読されました。
そのことをとても不安に思っていたのですが、公判がはじまってからのことです。
傍聴していた誰かが、知らせたのでしょうか。マスコミに、私の事件のことが、取り上げられました。
事件の内容、状況などから、私の周囲はもちろん、誰でもその気になれば簡単に、私のことを特定できるような内容でした。
報道された内容じたい、事実と大きく異なり、表面上は同情しているように見えても、面白おかしく脚色されたようなもので、納得のいかないものでした。
こうして被害者であると特定されたことで、私は、さらに、二重三重の苦難を受けることとなりました。
どこの誰が、情報を出したのかわかりません。ですが、いったん情報が流れると、それは勝手にひとり歩きし、取り消す手段がありません。
私は、二次被害の恐ろしさを身をもって体験しているため、こんな辛い思いを 、他の女性が多く経験することを考えると、平静でいられません。
わたし自身、何度も自殺を図ったので、わたしのように追い詰められて、何も悪いことをしていない被害者が、自殺にまで追い込まれるのではと、いてもたってもいられません。
こうした生の声はいいね。深刻さがよくわかる。
胸が張り裂けそうになっているこの方の思いがひしひしと伝わってくる。
ぜひ
全文を読んでみてほしい。
アジア女性資料センターは頑張ってる。よくやってる。
けど、ちょっと不安な点もあるんだな・・・。
もっと政治色が薄い団体が旗を振った方がいいんじゃないだろうかと危惧したりしている。政治色が強いと余計な反発を招きやすいからね。
賛同団体には、私が所属している団体も複数あるのだけれど、その中には、国会議員や官僚との人脈を持っている運動家がウヨウヨいる。大学教授もウヨウヨいる。そういう人たちを頭に据えて、今回の性犯罪の裁判員制度についてのプロジェクト団体を作る、あるいは、性犯罪被害者支援を主な活動としているところに主導権を渡した方がスムーズに交渉できるんじゃないのかなあ。
マスコミに取り上げられるというのは、多くの人に問題を知ってもらうという点ではいいことだと思うけれど、こうした運動はマスコミに取り上げられれば取り上げられるほど「国民VS政府」的な構図が強調されてしまう。体面を重んじる政府や官僚が、国民やマスコミからの突き上げで、ホイホイと方針を変えるとは思えないんよね。
でね、質問書とか要望書とかってのは、まあ、詰問調になるものだと思うんだけど、「糾弾」という姿勢は、相手を土俵に乗せにくいんだよね。
私のところにも、突然、質問や要望を書き連ねたコメントやTBが届くことがよくある。私の文章をろくに読みもせず、思いこみで暴走しているものもある。
爆笑したのは「デリケートな問題だから同業者として話し合いたい」と思いこみ満載の解釈と質問を公開コメで送ってきた自称カウンセラー。カウンセラーにとって先入観や思いこみは禁忌。心理職を名乗りながら自分勝手な解釈を送りつけてくるだけでびっくりなのに、その方の思いこみと先入観にまみれた「デリケートな問題」を専門家同士がブログの公開コメントで議論できると信じている、そのおめでたさに呆れ果てた。本当に話し合いをしたい、私の意見を聞きたいと思っているのなら、メールを送るか非公開コメにするか、そういう手段を取るものだろうから、要は私を叩きたかっただけなんだと思うけど、そんなコメントを送ってくる時点で、その方の「同業者としての」力量は一目瞭然。相手にする価値なしと判断してスルーしたけど、ここまで酷くなくても、攻撃モードバリバリで、ご自分の主張を一方的に送りつけてこられる方は後を絶たない。
なので、質問書とか要望書を送りつけられた側からすると、相手が攻撃モードだと警戒するし、スルーされやすいと思うんだよね。少なくともこのブログではそう。笑
で、また、攻撃モードなひとたちは、こちらが素直に非を認めたら、鬼の首を取ったかの如く「それみろ」的な経過報告をこれ見よがしにあげてみたり、「非の認め方が足りない」だのと更なる攻撃をしかけてきたりと、うっとうしいことこの上ない。
これ、政府や官僚がやられたら、たまらんと思うんよね。たとえ自分が間違ってたなと思ったとしても、素直に改善表明はできないだろうなと思う。
だから、要望は、こっそりと、相手のメリットになるよう行わんとあかんと思う。
裁判所や法務省を敵に回してはあかんのだ。
今回のケースだと、性犯罪被害者への配慮が行われるようになればいいわけで、私は必ずしもそれが「最高裁判所の方針」じゃなくてもいいんじゃないかと思っている。また、改善要望は、ベースに「不信」よりも「信頼」をおいた方がうまくいく。
もちろん最高裁が方針を出してくれるに越したことはないので、それだったら敵対モードで改善を要求するんじゃなくて「今、うちらが最高裁に要望出さしてもらいましたさかい、ここで方針出しとかはらんと、地裁がヘタ打ったら最高裁も責任問われまっせ」と、さも最高裁の立場を心配している風を装って耳打ちする。あるいは「方針くらい出しときなはれ。国民の評価があがりまっせ!」とくすぐる。それでもダメなら「ここで方針出さへんかったら、裁判員制度そのものが問われることになるかもしれまへんなあ」とつぶやく。あくまで笑顔で、フレンドリーに。←ここ重要。笑
女性運動の失敗は「被害者モード」を表に出しすぎたからだと私は思っている。
被害者の目線で敵対したら、負けは目に見えている。
被害者のメリットは相手(今回であれば最高裁)のメリットにもつながる、というパラダイムでアプローチしなければダメだ。
ま、難しいんだけどね。「女性の解放は男性の解放につながる」とフェミニズムは言ってきたけど、未だに多くの男性には理解できないみたいだし・・・。
ともあれ、制度を変えようと思ったら、外野からヤイヤイ言ってるだけではダメだ。
懐に入り込まんとね。
DV防止法にしても虐待防止法にしても改正の折には、現場で活動している人に内密に「有識者会議」かなんかの名目で呼び出しがかかる。で、その話し合いをまとめたものを政府や国会は「自分たちの手柄」として発表するわけだ。
ネット署名も悪くない。というか足しにはなる。ネットで問題になるのは大いに結構。けれど、実際に制度を動かしていくのはリアルで運動している人たちだ。だからせめて、感情的になって現場の人たちの足を引っ張らないようにしないとね。
制度を変えるには、リアルで制度を動かしている人のこころを動かすことが必要。
だから、私は、リアルで制度を動かしている人のこころを動かすことのできるリアルの知り合いのこころを動かす。
まあ、我ながらなんて怠慢。笑
でもね、やっぱり人と人のリアルの人間関係なのよね。
運動の現場に身を置いていると、つくづくそう思う。
リアルで動かずにネットの中だけでゴジャゴジャやっていても、所詮は自己満足。
それよりも足を運んで仲間と人脈を作ることだ。どんな運動も狭い世界の中でやっているので、一度入り込んでしまえば、人脈は芋づる式に増えていく。ネットよりリアルの人間関係の中で生まれるものの方が、はるかに質が高くて現実的で、そして何より、関わってて楽しい。
「ブラウザを閉じよ、町へ出よう」
ぐうたら運動家としては、それをぜひおすすめしたいね!
「思い」は面と向かって伝えた方が、はるかに費用対効果が高い。
問題は、「思い」を持っているかどうかだね。
そうですね。
伝えたい「思い」を背景にした言葉はリアルでもネットでも、他者に働きかける力が大きいと思います。
そして、その「思い」は文字の羅列だけでは伝えにくいことも、また事実でしょう。
水葉さんの言葉は、ネットでも十分に「思い」を伝える力がありますよね。
その「思い」は、どこから生まれてくるんでしょう?
結局のところ、「我が身可愛さ」から一歩抜け出しているから…なのかもしれませんね。
伝えたい思いのない言葉の羅列なんて、余程の善人でなきゃ誰も気にとめちゃくれませんものねぇ(^^ゞ