日本語は奇跡の言葉:水村美苗(小説家)(1)
取材・構成 尾崎真理子(ジャーナリスト、読売新聞文化部記者)
たとえ世界経済が多極化へ向かおうとも、「英語」という文化の“貨幣”はますます一言語だけ強くなる。日本語、ならびにフランス語やドイツ語、ロシア語さえも、21世紀を生き延びていくのは難しい――。そう予言する作家・水村美苗さんの評論『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)をめぐって、盛んな論議が巻き起こっている。
いずれは英語を第二公用語とするために、日本は国民総バイリンガル化をめざして、英語教育を強化すべきか、あるいは「国語」を固守すべきなのか。それにしてもなぜ、多くの日本人は、かくも英語が苦手なのだろう……。
さまざまな難題に、豊富な学識と異文化との狭間に立った体験から答えを示しつつ、水村さんはインターネットによって加速する文化のグローバリズム化が、「この国が積み上げてきた言語と知の基盤に、いま、根底から揺さぶりをかけている」と、日本語の現状に警鐘を鳴らす。
漱石の『明暗』を書き継いだ理由
尾崎 硬質な評論にもかかわらず、大変な売れ行きと反響ですね。水村さんが「日本語」というテーマに挑まれたのには、必然的な背景があるわけですね。ちょっと長くなりますが、まずはご経歴を紹介しなければなりません。
1960年代半ば12歳のころに、父上が英語の能力を買われて、ある日本企業のニューヨーク支社に派遣され、渡米。水村さん自身はイエール大学大学院でフランス文学を専攻され、博士課程を修了されます。帰国後、1992年に夏目漱石の未完の遺作をそっくりの文体で書き継いだデビュー作『続 明暗』(新潮文庫)が芸術祭賞新人賞を受賞。自伝的な長編『私小説 from left to right』(同)が野間文芸新人賞、「嵐が丘」などの古典を戦後日本の世俗へつなげた『本格小説』(同)で読売文学賞を獲得されました。
こんなに最短距離で受賞歴を重ねる作家は他に見当たりません。その傍ら、プリンストン大学やスタンフォード大学などの教壇にも立ってこられました。つまり外からも中からも、日本語の過去から現在、さらに海外での存在感を実感される立場にいらしたわけですね。
水村 親に連れられて日本を出てからは、自分でも訳のわからない人生となりました。いまは海外で育っても、インターネットで現実の日本にそのままつながっていられます。でも私の時代はいったん日本を出てしまえば、現実の日本から切れてしまう。
アメリカに馴染めず、ひたすら日本の小説を読んで、古きよき日本への憧れを溜め込んで育ちました。そのあたりの事情は、2番目の小説に書いてありますが。
それだけに、1980年代に帰国しましたら、現代の日本語と日本文化の変化に驚きました。僭越な言い方ですが、総じて平板に、幼稚になったという気がしました。近代日本の文化遺産である近代文学の古典は倉庫の片隅に追いやられ、その価値に気づくこともしないで、アメリカの後追いばかりをしている。最初に書いたのが漱石の絶筆を書き継ぐ『続 明暗』だったのも、思えばその現状に対する反動でした。
尾崎 いわゆる活字離れ、文学離れが70〜80年代に進み、90年代後半にはインターネットが爆発的に普及して、世界的に言語の状況は変わりました。このままインターネットに乗って、世界中の「知」が英語に翻訳され、英語の図書館に吸い込まれていくのを、日本人は傍観しているしかないのか――。それが水村さんの表された懸念の1つです。けれども大方の日本人は日本語でしかネットにアクセスしませんから、英語が刻々と肥大しつつある状況を、傍観すらしていないでしょう。
水村 そうだと思います。グローバリゼーションというと、ふつう資本や商品、そしてビジネスマンの移動など、経済に伴う行為をイメージしがちですが、本当は目に見えにくい抽象的なレベルで起こっていることのほうが重大なんです。
ビジネスで英語を使う必要があるということは目に見えます。でも、この日本においても、自然科学者は英語で論文を書くのがすでに当たり前になっている。それは国内にいても頭脳流出している状態ですね。目に見えにくいことですが、同じことがほかの分野でもすでに少しずつ起こりつつあるのです。
日本は、学問を行なうことができるレベルにある「国語」を近代の初めに確立することができた数少ない非西洋国です。そして、その国語でもって優れた小説 が書かれた。国語のレベルを維持することがどんなに重要な課題か。それは今回の評論でもっとも伝えたかったことの1つです。
たとえば、けさも海外のドキュメンタリー番組を見ていたら、こんな場面がありました。パキスタンの下士官が、取材しているジャーナリストに向かっては英語 で説明しながら、自分の部下には地元の言葉で命令している。パキスタンは、かつては大英帝国の一部ですから英語を操ることができる層が厚くって当たり前で すが、多重言語社会であるがゆえに、日本のような国語は機能していません。このような社会では、この先、英語と現地語という二重言語化は避けられない可能 性が高いと思います。ところがさまざまな歴史的条件に恵まれ、近代日本は日本語という国語をつくることができた。それを日常会話と区別がつかないような書 き言葉にして、現地語に退化させるのは、本当にもったいないと思います。
たとえ世界経済が多極化へ向かおうとも、「英語」という文化の“貨幣”はますます一言語だけ強くなる。日本語、ならびにフランス語やドイツ語、ロシア語さえも、21世紀を生き延びていくのは難しい――。そう予言する作家・水村美苗さんの評論『日本語が亡びるとき』(筑摩書房)をめぐって、盛んな論議が巻き起こっている。
いずれは英語を第二公用語とするために、日本は国民総バイリンガル化をめざして、英語教育を強化すべきか、あるいは「国語」を固守すべきなのか。それにしてもなぜ、多くの日本人は、かくも英語が苦手なのだろう……。
さまざまな難題に、豊富な学識と異文化との狭間に立った体験から答えを示しつつ、水村さんはインターネットによって加速する文化のグローバリズム化が、「この国が積み上げてきた言語と知の基盤に、いま、根底から揺さぶりをかけている」と、日本語の現状に警鐘を鳴らす。
漱石の『明暗』を書き継いだ理由
尾崎 硬質な評論にもかかわらず、大変な売れ行きと反響ですね。水村さんが「日本語」というテーマに挑まれたのには、必然的な背景があるわけですね。ちょっと長くなりますが、まずはご経歴を紹介しなければなりません。
1960年代半ば12歳のころに、父上が英語の能力を買われて、ある日本企業のニューヨーク支社に派遣され、渡米。水村さん自身はイエール大学大学院でフランス文学を専攻され、博士課程を修了されます。帰国後、1992年に夏目漱石の未完の遺作をそっくりの文体で書き継いだデビュー作『続 明暗』(新潮文庫)が芸術祭賞新人賞を受賞。自伝的な長編『私小説 from left to right』(同)が野間文芸新人賞、「嵐が丘」などの古典を戦後日本の世俗へつなげた『本格小説』(同)で読売文学賞を獲得されました。
こんなに最短距離で受賞歴を重ねる作家は他に見当たりません。その傍ら、プリンストン大学やスタンフォード大学などの教壇にも立ってこられました。つまり外からも中からも、日本語の過去から現在、さらに海外での存在感を実感される立場にいらしたわけですね。
水村 親に連れられて日本を出てからは、自分でも訳のわからない人生となりました。いまは海外で育っても、インターネットで現実の日本にそのままつながっていられます。でも私の時代はいったん日本を出てしまえば、現実の日本から切れてしまう。
アメリカに馴染めず、ひたすら日本の小説を読んで、古きよき日本への憧れを溜め込んで育ちました。そのあたりの事情は、2番目の小説に書いてありますが。
それだけに、1980年代に帰国しましたら、現代の日本語と日本文化の変化に驚きました。僭越な言い方ですが、総じて平板に、幼稚になったという気がしました。近代日本の文化遺産である近代文学の古典は倉庫の片隅に追いやられ、その価値に気づくこともしないで、アメリカの後追いばかりをしている。最初に書いたのが漱石の絶筆を書き継ぐ『続 明暗』だったのも、思えばその現状に対する反動でした。
尾崎 いわゆる活字離れ、文学離れが70〜80年代に進み、90年代後半にはインターネットが爆発的に普及して、世界的に言語の状況は変わりました。このままインターネットに乗って、世界中の「知」が英語に翻訳され、英語の図書館に吸い込まれていくのを、日本人は傍観しているしかないのか――。それが水村さんの表された懸念の1つです。けれども大方の日本人は日本語でしかネットにアクセスしませんから、英語が刻々と肥大しつつある状況を、傍観すらしていないでしょう。
水村 そうだと思います。グローバリゼーションというと、ふつう資本や商品、そしてビジネスマンの移動など、経済に伴う行為をイメージしがちですが、本当は目に見えにくい抽象的なレベルで起こっていることのほうが重大なんです。
ビジネスで英語を使う必要があるということは目に見えます。でも、この日本においても、自然科学者は英語で論文を書くのがすでに当たり前になっている。それは国内にいても頭脳流出している状態ですね。目に見えにくいことですが、同じことがほかの分野でもすでに少しずつ起こりつつあるのです。
日本は、学問を行なうことができるレベルにある「国語」を近代の初めに確立することができた数少ない非西洋国です。そして、その国語でもって優れた小説 が書かれた。国語のレベルを維持することがどんなに重要な課題か。それは今回の評論でもっとも伝えたかったことの1つです。
たとえば、けさも海外のドキュメンタリー番組を見ていたら、こんな場面がありました。パキスタンの下士官が、取材しているジャーナリストに向かっては英語 で説明しながら、自分の部下には地元の言葉で命令している。パキスタンは、かつては大英帝国の一部ですから英語を操ることができる層が厚くって当たり前で すが、多重言語社会であるがゆえに、日本のような国語は機能していません。このような社会では、この先、英語と現地語という二重言語化は避けられない可能 性が高いと思います。ところがさまざまな歴史的条件に恵まれ、近代日本は日本語という国語をつくることができた。それを日常会話と区別がつかないような書 き言葉にして、現地語に退化させるのは、本当にもったいないと思います。
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月刊誌『Voice』は、昭和52年12月の創刊以来、激しく揺れ動く現代社会のさまざまな問題を幅広くとりあげ、つねに新鮮な視点と確かなビジョンを提起する総合誌です。
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