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がくぜんとする。刑事裁判の歴史にまた汚点が加わることになりそうだ。
栃木県足利市で1990年、4歳の女児が殺害された。警察は幼稚園バス運転手だった菅家利和さんを逮捕した。その菅家さんがきのう、逮捕から17年半ぶりに釈放された。
逮捕の決め手となったのは、捜査に導入されてまもないDNA型鑑定だった。被害者の衣服についていた犯人の体液と菅家さんの体液の型が一致したとの鑑定結果が出たのだ。
取調官から鑑定結果を突きつけられ、菅家さんは犯行を自白したという。一審公判の途中で「DNA型鑑定で虚偽の自白を迫られた」と否認に転じたが、一審も二審も最高裁も、DNA型鑑定と「自白」の方を信用して有罪とし、無期懲役の判決が確定した。
獄中の菅家さんと弁護団は再審を請求し、再鑑定を求めた。事件当時は千人に1.2人を識別できる程度だった鑑定の精度が、いまでは4兆7千億人に1人にまで向上しているからだ。
東京高裁が依頼した再鑑定の結果は一転して、犯人と菅家さんのDNA型は一致しないというものだった。
東京高検は、この結果が「無罪を言い渡すべき証拠に当たる可能性が高い」との意見書を東京高裁に出した。高裁は早く再審決定をするべきだ。
衝撃的な事態である。DNA型鑑定は多くの事件で実施されてきた。初期の鑑定の信用度が揺らぐ影響は計り知れない。92年に福岡県飯塚市で起きた女児2人殺害事件では、DNA型鑑定が証拠となって死刑判決の確定した男性が昨年、刑を執行されている。
再審請求の裁判でDNA型を再鑑定したのは異例だ。この際、DNA型鑑定で有罪となったほかの事件についても再鑑定を実施すべきではないか。
精度があがったとはいえ、DNA型鑑定だけに頼り過ぎるのは危うい。捜査段階で犯人以外のDNAが紛れ込む可能性がある。警察はDNAを適正に採取するだけでなく、将来再鑑定できるだけの分量をきちんと保管することを徹底してほしい。
裁判所にも猛省を促したい。DNA型鑑定を過信するあまり、無理やり引き出された「自白」の信用性を十分検討せず、有罪との判断に陥った面はなかったか。再審裁判ではこの点を厳しく検証しなくてはならない。
自白の強制を防ぐためには、取り調べの可視化が重要だ。取り調べの録画は一部にとどまっているが、すべての過程の録画が必要だ。このことを今回の問題は改めて示している。
プロの裁判官といえども判断を誤ることがある。私たち国民も法廷や評議の場に裁判員として参加する時代になった。常識を働かせて自白や証拠を遠慮なくチェックする。その責任の重さを思う。
鳩山総務相が日本郵政の西川善文社長の更迭を求める考えを明言した。
「郵便法違反事件、かんぽの宿。わけの分からんことが多すぎる。お辞めいただくのは当然だ」と言い、それが麻生首相の意向と食い違った場合でも「そうします。信念に基づいて。だって正義のためだ」と語った。
西川社長の再任案は先月、日本郵政の取締役会で決定された。今月29日の株主総会で、全株を保有している政府に承認を求める運びだ。
これに対し、鳩山氏は所管大臣としての許認可権限を行使してでも待ったをかける構えだ。閣僚の地位を懸ける可能性さえちらつかせる。
法律上、株主総会で決定されてもそれを覆す権限が総務相に認められているのはその通りだ。だが、この段階でそうした「伝家の宝刀」を抜く十分な理由があると言えるのだろうか。
かんぽの宿の売却問題では、一連の入札の経過に適切とはいえない部分は確かにあった。だが鳩山氏が指示した総務省の調査でも、明確に不正と判断されるような証拠は出てこなかった。
障害者団体向け割引制度の悪用による郵便法違反事件では、実態を把握できなかった日本郵政の責任は大きい。しかし、この事件が民営化以前に端を発していることも明らかだ。
民間銀行から西川氏を社長に招いて3年半。西川郵政の法令順守や説明責任を果たす努力が足りないことは事実であり、そこは是正が必要だ。
一方で、郵政という官業に積もり積もった不正や不適切な慣習を取り除くことがいかに大変な仕事か。西川郵政の3年半は、そのことを雄弁に物語っていると見ることもできよう。
政治がいまなすべきは、トップのクビをすげ替えることではない。むしろ西川氏に透明で信頼される企業への改革を徹底させることではないか。
今回の鳩山氏の言動に対しては、与党内では冷ややかな受け止めが大勢だが、民主党をはじめ野党からは支持の声が出ている。解散・総選挙前後の政局の動きを視野に、自らの政治的な存在感を高め、離合集散のかぎを握ることが鳩山氏の狙いとの見方もある。
麻生首相の責任は重大である。
後に言い直したものの、首相自身、「郵政民営化に賛成じゃなかった」と国会答弁で言い切った経緯がある。民営化推進なのか、反対なのか。肝心の首相の発言が大きく蛇行してきたことが、鳩山氏の突出した言動を助長していることは否定できまい。
日本郵政はいま、民間会社として独り立ちをめざす助走期間にある。冷静な議論を抜きに非難を繰り返す担当大臣の振る舞いは、首相としても見過ごせないはずである。
首相は日本郵政の健全な発展を大事にした判断をすみやかに下すべきだ。