フライデーの記事より  (2000年3月24日号)           

県警の「終結宣言」をあざ笑うかのように、再び女の子が消えた・・・・

 『足利幼女連続殺害事件』の真犯人は別にいる!

                              取材・文 小林篤(ルポライター)

 栃木・群馬県境で、幼い女の子が次々と消えている。この20年間に、栃木県足利市を中心とする半径20kmの円内で、6人の幼女が失踪、5人が無惨な遺棄死体で発見されているのだ。そのうち3件の容疑者として、ひとりの知的障害のある男が逮捕され、警察は一連の事件の終結宣言を出した。しかし・・・・・。

 菅家利和被告(54)が逮捕されたその「足利幼女連続殺害事件」で、実はとんでもない”犯人でっち上げ捜査”が行われていたことをいま、真実を知る目撃者が8年間の沈黙を破り告発する。

 県境に潜む真犯人は、今もどこかで、笑っている。

 最初の事件は、21年前に遡る。’79年8月3日、白昼の足利市で、F・Mちゃん(5)が姿を消した。最後の目撃者が、当時、市内の食堂「中央軒」に勤めていたN氏(45)だった。

 「F・Mちゃんが、同い年くらいの男の子と一緒に、店の前を渡良瀬川のほうへ逃げるように駆けて行ったんです。時間は午後2時過ぎでした。」

 翌日事件を知ったNさんは、すぐに足利市に通報。連日にわたって事情聴取をうけた。そして6日後、「中央軒」からわずか2kmの渡良瀬川下流で、F・Mちゃんは遺体で発見される。身に着けていたのはパンツ一枚、エビ反りでリュックに詰め込まれるという惨い姿だった。「知らせを聞いて、たまらない気持ちでした。あんな可愛い子が・・・・」

 そのときN氏は、自分の見たF・Mちゃんが<幻>だったことにされるとは、夢にも思っていなかった。

<捏造>調書に署名捺印

 「F・Mちゃん事件」の捜査が難航したまま、半径2Km圏内で幼女の失踪・殺害事件が続発する。’86年にH・Yちゃん(5)、’90年にはM・Mちゃん(4)が、ともに衣服を脱がされた状態で、遺体で発見されたのだ。

 栃木県警は、三つの事件は同一犯による警察への挑戦だとみなす。一年で延べ36000人捜査員を動員、まさに面子を賭けた大捜査を展開した。そして’91年12月「M・Mちゃん事件」の参考人として、県警は幼稚園バス運転手・菅家利和被告に任意同行を求めた。取り調べ開始から14時間後、菅家被告は真実ちゃん殺害を自白。その場で逮捕された。

 菅家被告は、続けてF・MちゃんとH・Yちゃんの殺害も自白する。県警は「市民を恐怖に陥れた幼女連続殺害事件の全面解決」を発表、マスコミも「執念の捜査が実を結んだ」と大々的に報じた。

 N氏が突然、栃木県警足利署から呼び出されたのは、菅家被告の逮捕から3週間後だった。取調室で二人の捜査員が持ちかけてきた話に、N氏は戸惑った。

「犯人の自白と、私の証言が、どうしてもつじつまがあわないって、彼らは言いました。『あなたのせいでせっかく自白している犯人を裁判にかけられない』って、遠まわしに責められたんです」そして捜査官は、ついに調書の改ざんを始めたという。

 「『私が見たと思ったのは記憶違いでした』と捜査官の一人が私の代わりに口述して、もう一人がそれを調書に書き取りました。そうして<捏造>された調書に署名、捺印するように言われたので、その通りにしたんです。後日、検事さんにも呼ばれ、同じように調書を書き換えられました。」

 菅家被告の自白によると、F・Mちゃんの殺害は、当時勤務していた保育園の昼休み、正午から午後1時の間に行われたことになっていた。午後2時過ぎにF・Mちゃんを目撃したというN氏の証言は、自白と完全に矛盾することになる。

幹部が認めた「でっちあげ

 菅家被告は、3件すべてを驚くほど具体的に自白した。だがその内容は、矛盾だらけだった。当時の捜査幹部の一人は、首をひねってこぼした。「あの馬鹿があれこれ言うのを、こっちがいくら捜査しても裏が取れない。証人も物証もまるで出なかった。」

 結局、起訴されたのは「M・Mちゃん事件」だけ。「F・Mちゃん事件」「H・Yちゃん事件」に関しては、証拠不充分で検察は起訴を見送った。別の捜査幹部は、起訴断念の舞台裏について、決定的な証言を漏らしている。

「食堂の店員、そいつの証言のせいで、菅家のアリバイが成立しちゃうんだ。それで調書を取り直したんだけど、公判でそのことがバレたら、本件(「M・Mちゃん事件」)まで無罪にひっくり返っちゃう。だからあきらめた。検事も起訴日まで決めていたのに、やっぱりまずいと・・・・・」   退職した気安さだろうか。警察と検察が調書を捏造した後、それを隠蔽したことを認めたのである。

「M・Mちゃん事件」は、一審、二審で無期懲役の有罪判決が言い渡され、いま(2000年3月現在)最高裁の判決を待っている。(最高裁判決は4ヵ月後の7月、有罪決定。《支える会注》)検察の立証した有罪の根拠は、菅家被告の自白と、たった一つの物証=DNA鑑定だったその自白にしても、被告は公判廷で、無実だと言い出したかと思うと再び犯行を認め、また無実を主張するといった具合に、罪状認否を二転三転させる。無実ならなぜ作り話をしたのかと裁判官に問われると、「しゃべっちゃったんです、つい」と答えた。

菅家被告のIQは77。”精神薄弱境界域”に属する値だ。しかも小・中学校を通して、内申書に「意思薄弱」「服従する傾向が顕著」と書かれた被告の、それが処世の術だった。さらに今回のN証言で、菅家被告の自白に信憑性がないことは、もはや明白である。

 唯一の物証であるDNA鑑定も確固たるものではなかった。M・Mちゃんの下着に付いていた精液と、菅家被告のDNAの型が一致したというが下着はひと晩川の流れにさらされており、鑑定には不適格な資料だった。捜査幹部が告白する。「科警研(警察庁科学警察研究所)が再三拒否したのを、無理にやらせたんだ。」  その背景には、警察庁上層部の政治的意図があった。DNA鑑定の全国配備にむけ、予算を獲得するためには”実績”が必要だったのだ。

 菅家被告の弁護団は高裁判決後、無実を証明する手段として、独自にDNA鑑定を行った。鑑定人となった押田茂實・日大医学部教授が明言する『科警研が発表した精液のDNA型と、菅家被告の型は、異なりました。』

 弁護団は、押田鑑定書を最高裁に提出、精液と被告の再鑑定を申請している。(しかし、最高裁はこの重要な申請を全く無視し、有罪の判決を下した。<支える会・注>)

県境をまたぐ未解決事件

 私の取材に、当時、県警刑事部長だった森下昭雄氏ら複数の幹部が、こう言い放ったことがある。「俺たちは命がけで捜査して、菅家が全部やったと確信した。奴がクロだったことは、あれから類似の事件が再発していないのが何よりの証拠だ!」

 しかし、事件は再発した。菅家被告に高裁の判決が下った2ヵ月後の’96年7月7日、足利市に隣接する群馬県太田市のパチンコ店で、横山ゆかりちゃんが忽然と消え、いまだに行方不明なのだ。(2002年9月現在、ゆかりちゃんは行方不明のまま、事件の解明は何の進展もみせていない。<支える会・注>)

 M・MちゃんとH・Yちゃんが失踪したのもパチンコ店。足利市内から、ゆかりちゃんが消えたパチンコ店までは車で20分の距離だ。大田署幹部がいう。「この辺には未解決事件が多いんだ。県境が入り組んでるだろ。県警同士の縄張り意識で、重要な捜査情報は教えない。頭の良い犯人は俺たちの急所を知っていて、県境をまたいでいて悪さをするんだ。」

 太田市と同じく足利市に隣接する群馬県桐生市でも、’83年に遺体で発見されたN・Kちゃん(12)殺害事件が未解決。太田市に隣接する群馬県尾島町で、87年にO・Tちゃん(8)を殺害した犯人もいまだに捕まっていない。

 ゆかりちゃん事件では、失踪直前にゆかりちゃんが、200人ほどの客や店員の誰もが見覚えのない男と会話する姿が、パチンコ店の防犯カメラに捉えられていた。大田署はこの男を重要参考人にあげている。児童を対象とする性犯罪について、警察庁の研究論文に次の一説がある。

「性犯罪の被疑者については、同じような手口で繰り返し犯罪を敢行する蓋然性が非常に高い」

 菅家被告を犯人とする自白とDNA鑑定が破綻したいま、ビデオの男が、真犯人として浮かぶ。