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2009年05月09日

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<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く(2/10)



Q なるほど、明解な結論ですね。そうすると犯人と菅家氏のDNA型は一致するという最初の鑑定が間違っていたと。当時のDNA鑑定にはどのような問題があったのですか。

 最初のDNA鑑定は科学警察研究所(科警研)が行ったものですが、検出されたDNAのバンドは太くて歪んでいます。これで犯人と菅家さんのDNA型が一致すると認めることには誰しも躊躇を覚えると思いますが、当時は誰も疑問を感じませんでした。
 しかし、当時のDNA鑑定でも、一致する確率は1000人に1.2人(833人に1人)で、事件当時の足利市の人口をもとに性犯罪可能な男性を男性の半数と仮定して計算すると約50人が該当します。つまり、当時のDNA鑑定が正しかったとしても、菅家さんは50人の該当者のうちの1人に過ぎませんでした。
 しかし、その後、科警研がDNA型のデータを集積するにしたがって、一致する確率は低くなってきました。つまり、1000人に1.2人(833人に1人)が、1000人に2.5人(400人に1人)、1000人に5.4人(185人に1人)、最後には1000人に6.23人(161人に1人)に変化したのです。
 要するに、菅家さんと犯人の型は日本人に比較的多いものだったのです。該当者の数も、当初の約50人から、約103人約224人、約257人に増えていきました。しかも、犯人は足利市内に居住するとは限りませんので、足利市周辺(佐野市、桐生市、館林市、太田市、田沼町)の人口をもとに算出すると、当時でも該当者は約136人で、それが約283人、約612人、約706人と増えていったのです。
 つまり、当時のDNA鑑定が正しかったとしても、犯人と同じ血液型とDNA型の人物は、足利市とその周辺で約700人もいて、菅家さんはその1人にすぎなかったのです。しかし、当時は誰もそのようなことを考えませんでした。当時は、私たちの言う「DNA鑑定神話」が支配していたのです。
 しかし、以上は当時のDNA鑑定が正しかったことを前提にした議論です。問題なのは、当時のDNA鑑定は間違っていたのではないかということです。
 科警研が行ったDNA鑑定は、MCT118と呼ばれる遺伝子の部位を対象とする鑑定法で、MCT118法と呼ばれていますが、科警研のMCT118法では誤った判定がなされる危険性があることが当時から指摘されていました。DNA鑑定を行うための基盤になるゲル(寒天のようなもの)と物差しに当たるマーカーにそれぞれ問題があったのです。
 1995年には科警研も当時の判定が間違っていたことを論文で認めました。しかし、当時の判定と正しい判定には規則性があるといい、16型は18型、26型は30型であるとしました。
 当時のDNA鑑定によれば、犯人と菅家さんのMCT118型は16-26と判定されたので、科警研の論文によれば、正しい判定は18-30だったことになります。菅家さんと犯人のMCT118型は、16-26ではなく、同じ28-30だというのです。
 しかし、弁護団が菅家さんの毛髪を用いて行ったDNA鑑定では、菅家さんのMCT118型は18-29で、18-30ではありませんでした。日大の押田茂實教授による鑑定がそれです。

 そこで、「菅家さんと犯人のDNA型は一致しない可能性がある。最終的には犯人の遺留精液が付着した真実ちゃんの半袖下着と菅家さん由来の資料(例えば血液)のDNA再鑑定によって確かめる必要がある」と弁護団は主張したのです。それが認められたのが今回の再鑑定でした。

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