私のボランティア

ボランティアは、私の最高の生きがいです。

我が家の庭木の剪定を行う。(2)

2009年06月03日 21時33分08秒 | 趣味
 6月3日(水)昨日に引き続き一日かがりで自宅の庭木の剪定を行った。

 今日はすべて手作業で鋏やハシゴを使って、梅の木や裏庭のヒバ等を剪定した。

 昨日の分とともに枝葉を片付けゴミ袋10個に集めた。これで、狭い庭であるがす

べて終了した。

 作業は、剪定半分、片付け半分と後始末が大変である。しかし、きれいに片づけ

た後を見ると疲れが吹っ飛んでしまうようにいい気分になります。

●サボテン2鉢あるが、蕾が15個もつけて間もなく咲きそうです。


●次の3枚の写真の上にマウスをオンすると剪定した後の写真に変わります。

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我が家の庭木の剪定を行う。(1)

2009年06月02日 21時30分58秒 | 趣味
 6月2日(火)一日かがりで自宅の庭樹の剪定を行った。電気芝刈り機を使って垣根

のドウダンつつじをはじめモツコク・カエデ・椿・辛夷などの剪定を行った。

 剪定した枝葉は明日片づけることにした。

●剪定終了したドウダンつつじの垣根



●次の5枚の写真の上にマウスをオンすると剪定した後の写真に変わります。


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農事日誌・自宅のプランタで栽培したキュウリ初もの収穫

2009年06月02日 21時20分01秒 | 家庭菜園
 6月2日(火)自宅のプランタで栽培しているキュウリ2本を初もの収穫した。

 これからの収穫が楽しみです。

 夕食時、モロキュウで美味しくいただく。







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郷土史研究・日本武尊は蝦夷征伐のために江曽島に来たか(6)・

2009年06月01日 21時46分52秒 | 生涯学習
 宇都宮市60周年誌・・昭和35年3月1日発行・宇都宮市立図書館所蔵・・同誌・37

ページ・第2節 上古の宇都宮

●上古の宇都宮の記述を読んで、伝説ではあるが日本武尊が宇都宮に立ち寄られ、

また日光山にも登られたとの内容が書かれていた。しかも、県内の上三川・足利等

に尊に関する遺跡と称せられるものがあるとのこと。

 引き続き調査研究することとしたい。
 

 その記述を転載します。

●その昔、宇都宮地方は京畿を距てることが遠かったから、王化にうるおわず、互

 いに争い、良民は蝦夷に悩まされていたのであろう。
 
 ために崇神天皇の48年(西暦BC50・日本書紀48)に、第一皇子豊城入彦命が東国に

遣わされたのである。すなわち、命は詔にしたがって東国地方開拓鎮撫のためはる

ばる下向し、深林・池沼の多い未開のこの地方にまで進まれたのであった。

●時に蝦夷たちは東北に敗走し、あるいはしたがってこの地方にとどまる者もあ

り、この地方も穏やかとなってはじめて大和国家の支配下に属することになった。

このとき命は御諸山大三輪の神体を荒尾崎(下の宮)に安置し、高田邑(本丸の地)に

御所を設けたのである。

●こうして豊城入彦命は下毛野君・上毛野君の始祖となったので、子孫はこの地方

の国造となり、良民の安どをはかられたのである。下野国が統一されて政治が行わ

れたのはこのころからであるといわれる。

●しかるに、景行天皇の御代に、東国の蝦夷の中にまだそむく者があったので、天

皇は武内宿禰を東北諸国につかわして民情視察をさせ、次いで日本武尊をつかわさ

れた。このとき尊が下野国に下向されたということは記録にはないが、水戸から日

高見の国に進まれてまつろわぬ者をしずめ、帰途宇都宮に立寄られて豊城入彦命の

御偉業をしのばれ、また、日光山にも登られたとも語り伝えている。すなわち、そ

のときの尊のお道筋とも考えられる高椅・上三川・植野・足利(今福)などに尊に関

する遺跡と称せられるものがあるので、あるいは下野から上野・武蔵へと進まれた

のではないかと考えられるからであろう。

●宇都宮二荒山神社社務所から、神社の起源等を記載した小冊子「明神ささま」を入手した。

その中に略年表があるので投稿します。







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平成21年度宇都宮市民大学前期講座・全10回第1回受講する。

2009年06月01日 20時13分32秒 | 生涯学習
 6月1日(月)午後2時から4時まで、宇都宮市中央生涯学習センター5階 501小ホー

ルにおいて、平成21年度宇都宮市民大学前期講座・全10回第1回受講する。

 講師は、邪馬台国の会会員・NHK文化センター講師 高橋 昭夫氏です。

 受講者は、定員50名のところ100名以上の大勢の参加者がおりました。

 第1回は、卑弥呼と古代天皇誕生の謎〜古代天皇の謎とロマンを求めて〜をテー

マについて、12ページにわたる資料に基づき講話を聴講しました。

 説明資料によると、邪馬台国に卑弥呼は「魏志倭人伝」によれば238年に実在の

人物 しかし、古事記、日本書紀に記載がない、神武天皇(紀元前660)に始まる天

皇家との関係が謎である。卑弥呼と天皇家の関係が解明しない限り古代天皇の謎は

解けない。

 きしくも去る5月30日の下野新聞に報道された「奈良の・箸墓古墳は卑弥呼の墓

か」の記事を呼んで興味をもって受講しました。

 邪馬台国論争は、以前から畿内説と九州説に二分されており決着はついていな

い。

 最後に講師の話として、卑弥呼はアマテラスオオミカミだと言われた。これから

9回にわたる講座が楽しみです。

 終了後、会場の宇都宮市中央生涯学習センターの建物および宇都宮市役所までの

風景を撮りました。久しぶりに宇都宮城址公園も撮りました。

 ●邪馬台国について、インターネツトで検索したところ次の通り分かりました。

 講師の高橋 昭夫先生は、この会の会員です。


 ●邪馬台国の会は昭和58年に発足した日本古代史愛好家の集まりで

  す。毎月の定例会では、安本美典氏の講演や、最新の話題についての解説など

  を行ないます。わかりやすい内容ですのでだれでも気軽に参加いただけま

  す。

 













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平成21年度 IT@うつのみや通常総会に出席・監事を辞任する。

2009年05月31日 12時35分30秒 | ボランティア活動
 5月31日(日)午後2時から宇都宮市陽南コミュニティセンター会議室において、平

成21年度 IT@うつのみや通常総会に出席した。

 総会には、全会員84名中42名出席し、委任状出席20名と合わせて62名の出席とな

り定足数を満たしました。

 議事進行は、森事務局長が議長となり別紙議案書の議事について審議し、すべて

原案通り承認可決されました。

 第5号議案の役員の改選では、私が一身上の理由により辞任することになりまし

た。また、平成21年3月末で退会することにしました。
 
 最後に、あいさつの機会を与えられ長い間お世話になったことに感謝のことば

と、本会のますますのご発展を祈念いたしました。

 思えば、平成14年2月8日宇都宮市主催の「ITボランティア養成講座」修了証書に

あるとおり、それ以来7年間、ITボランティア活動を実施してきましたが、本日を

もって終止符を打つことになりました。この間、いろいろの出会いがあり、新しい

知識情報を得ることができ、最高の生きがいを感じることができました。感謝・感

謝の気持ちでいっぱいです。





●平成20年度事業報告をする平澤理事長


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農事日誌・今市の家庭菜園で除草作業

2009年05月30日 17時34分58秒 | 家庭菜園
5月30日(土)3日振りに午後3時過ぎ、今市の家庭菜園へ行き、里芋畑などで 除草

 作業を行う。そのうち小雨降る。

 ●じゃがいもの花が咲く。

●枝豆の種5分の一袋を空地に蒔く。
 
 ●ねぎの苗順調に育っている。
 
 ●ナス・ピーマン・トマトなどの苗は順調に育っている。

 ●みようがは芽が出て大きく育っている。

 ●チンゲンサイと小松菜を初もの収穫した。

 ●キヌサヤエンドウも収穫する。

 ●垣根のさつきの花が咲き増してしました。

 ●2月26日と5月5日に蒔いた萩往還マラニック大会記念のコスモスが、大きさに

  は差があるが育っている。さらに、5月5日蒔いた第26回鴻巣パンジーマラソン

  参加記念のコスモスとひまわりも順調に育っている。(いずれも次男が参加し

  てもらったもの。)









 









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郷土史研究・宇都宮創開・上古時代史

2009年05月29日 18時10分15秒 | 生涯学習
 宇都宮市立図書館所蔵の

  ●宇都宮市地誌・昭和9年10月10日発行、宇都宮地誌編纂・発行所・宇都宮教   育会

 から転載します。

●宇都宮地方は、二千年前の上古において皇化に浴していたと推知できる。

●宇都宮創開の時代については古記録の徴記すべきものがなく詳にし難い、当市が古は「池辺郷」と称せられたことが和名抄に見え文中、古鎌倉時代においては「小多橋駅」と称せられたことは、東鑑文治5年の条に見えている。
  しかし、宇都宮は元当地臼ケ峰に鎮座ある二荒山神社の別号であったものが、何時しか転じて地名となりこれを称するに至ったものである。
  要するに当市は870年前の康平年代は僅かに奥州街道の一駅として微々なる小邑であったが、後冷泉天皇
の康平年間、藤原氏の嫡流石山座市宗円が初めて当地に城廊を築き宇都宮を称するに及んで新・中世における宇都宮に繁栄を招き宇都宮の武威が四囲に及ぶとともに地域も拡張し人烟も凋密となりその勢威とともに宇都宮の名も著しく世に知られるに至ったものである。
  かくて八百有余年間の宇都宮は興亡流転極まりなく15家40余代の城主が交代はあったが、その間各城主にも神社を修め佛寺を起こし以て土地発展の招致に努め宇都宮市の膨張繁栄を招くに至った。
  かくして宇都宮家は時に盛衰はあったが関東八家の一つとして武威遠近に振ったのである。

●時代史
1 上古
上古における宇都宮地方は、都を距てることが遠かったことから王化に浴せず、然も深林原野が荒漠として連なり猛獣や奇鳥は山野に充ち魚介は江湖に群するという状態であった。
現在こそ殷賑を極めている馬場町や宮島町、塙田町の当時の状態は、付近一帯大・地で一般に湿潤地であったと言われている。
住民はいわゆる蝦夷と称せられる兇暴野蛮の民で各所に割拠して良民を苦しめていたのである。
◎崇神天皇が大規模の辺さ開墾を行わせるに当たって、天皇の48年正月に豊城入彦命を東国に遣わされこれが統治に当たらしめられた。命はすなわち上毛野、下毛野の始祖であって子孫世々当地の国造になられ叛く者は平らげ従う者は撫し良民の安堵を図られた。
時に宇都宮付近に住んでいた蝦夷の民は江曽島又は西原付近に皇軍を防ぎしも遂に東北地方に敗走したので、この地は全く大和民族の配下に属するに至ったのである。
 
 ◎景行天皇の56年8月も御諸別王が詔を奉じて東国に下され都督となられてから政続が非常に興り其・子孫は代々この国に留まられて万民を愛撫されたため、其の恩恵に浴し安んじて生業に従事されるようになった。

 ◎次いで、仁徳天皇の御代には、毛野をして上毛野、下毛野の二国となし下毛野に豊城入彦命四世の孫奈   良別王を封じて国造を定められ、この地方を治められたものであるからこの宇都宮地方を中心として統治せられたものであろう。この事実は宇都宮及び付近に存在する古墳等を見ても立書証することができる。
  これを観ても二千年前の上古において、この地方は既に皇化い浴していたとは推知するに難しくない。
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生家の庭掃除

2009年05月28日 14時42分31秒 | 生きがい
 5月28日(木)午後1時過ぎ足利の生家へ庭掃除に行く。本年3月20日お彼岸の中

日以来、2カ月振りのため、雑草が繁茂していた。

 午後6時までやったが、3分の一しかできず、あと2日ばかり行かなければならな

い。さつきも咲き始まりました。

 除草する前後の写真を撮り、マウスオンでその風景が変わります。

 行く途中、麦畑の麦秋の景色を撮る。



●次の3枚の写真の上にマウスを移動すると除草後の風景に変わります。


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農事日誌・東側垣根の根元にあるヤーコン附近を除草する。

2009年05月27日 18時24分23秒 | 家庭菜園
 5月27日(水)3日振りに午後3時過ぎ、今市の家庭菜園へ行き、東側垣根の根元に

植えたユヤーコン付近の除草作業を行う。

 ●篠竹20本持参して支柱を立てる。
 
 ●大根・油菜を間引きする。キヌサヤエンドウも収穫する。

 ●チンゲンサイと春菊が元気に育っている。近く収穫の楽しみがある。

 ●垣根のさつきの花が咲き増してしました。
 


 







 
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自転車の交通安全に思う。

2009年05月27日 12時18分47秒 | 交通安全
 過日、自動車運転中、前方を進行中の50代女性の乗用自転車が後方確認すること

なく急に右折して行き、ヒャツと危険を感じた体験をした。

 最近、自転車と歩行者の道路横断な中の交通事故が多発していることを聞いてお

ります。その事実を身をもって体験確認しました。

 ちょうど昨日宇都宮南警察署からメールで「自転車安全利用五則」を受信しまし

た。その内容は次の通りです。

自転車事故を防止するために。自転車安全利用五則 

1 自転車は、車道が原則、歩道は例外 

2 車道は左側を通行    3 歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行 

4 交通ルールを守る ・飲酒運転・二人乗り・並進の禁止・夜間はライトを点

  灯・交差点での信号遵守と一時停止・安全確認 

5 子どもはヘルメットを着用夕方から夜間はライトを点灯し,反射材を使用しま

  しょう。反射材を付ければ約100メートル手前から、運転者が注意できま

  す。自転車のライトは、あなたの存在を知らせます。(宇都宮南警察署)


●昨年9月22日には、栃木県自動車教習所において自転車安全運転教室を受講して

「自転車免許証」を取得しました。その裏面に「自転車の交通事故わ防止ポイン

ト」がありますので次に記載します。




※「高齢者は赤信号」という標語がありますが、自転車も同じく考えて、自動車を

運転する時は自転車との衝突事故を防止・回避したいと思います。

 また、逆に自転車に乗る時には法令を守って運転して、自動車と衝突しないよう

にしたいと思いました。



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宇都宮南交通安全協会平成21年度 通常総会に出席する。

2009年05月26日 22時41分45秒 | 交通安全
 5月26日(火)午後4時30分から「宇都宮グランドホテル」ニおいて開催された宇都宮

南交通安全協会通常総会に出席した。

 総会には、役員及び代議員64名が出席して、総会資料に基づき審議し、すべて原

案とおり可決承認されました。

 最後に交通安全宣言を行いました。

宣言の冒頭の言葉には同感し、悲惨な死亡事故は絶対に起こしてはならないと強

く心に誓いました。

 それは、「交通事故、とりわけ悲惨な死亡事故は、日常生活において私達の

平穏な家庭生活を一瞬にして奪い去る最も大きな脅威であります。」


 総会終了後、午後5時30分から懇親会を開き、和やかな雰囲気のうちに懇談し

て、午後7時30分に閉会しました。






 
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栃木県警親会平成21年度定期総会出席した。

2009年05月26日 15時15分36秒 | ボランティア活動
し 5月25日(月)午後2時30分からアーバンしもつけにおいて栃木県警親会平成21年度

定期総会が開催され、役員・代議員など約70名が出席し、私は役員の監事として出

席した。

 総会終了後、午後4時30分〜石川正一郎警察本部長から特別講演「国民の警察へ

の期待」について特別講演を聴講した。

 本年2月26日付、下野新聞に報道された人物紹介に「波瀾万丈」のことばにある

とおり、過去の警察人生の体験談を話され、その中で警察改革に取り組み、2年間

に不祥事の記者会見を80回行ったという。ロンドン大使館に一等書記官として派遣

されたとき、IRAの無差別テロの連続発生を体験した。また、サリン事件の取り締

まりに当たった経験などを話されたことか印象的でした。

 45分間の講話でしたが内容豊かて参考になりました。

 その後、午後5時半から懇親会を開催し懇談ののち午後7時閉会した。



 

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郷土史研究・源頼朝が二荒山神社に戦勝祈願した。(2)

2009年05月26日 12時24分40秒 | 生涯学習
「源頼朝も義家公の佳例に倣い、文治5(1189年7月25日奥州征伐の途次、当社に

奉幣して戦勝祈願をし、征伐成就の際には生虜を神職として奉ることを誓ったので

ある。

 10月19日、帰路に再び報賽のため参詣。この時、荘園を寄進するとともに、捕虜

の樋爪俊衡一族を神社に隷属する神人として奉献した。」

との、平成18年栃木県神社庁創立60周年記念に刊行した「栃木県神社誌」二荒山神

社、(宇都宮)欄に記述されている。

 最近、二荒山神社に参拝し社殿右側の境内に頼朝が寄進したと言われる「神馬」

の銅像が建立されており、写真に撮りました。

 銅像の由来の碑文は、次の通りである。


●由来  文治5年源頼朝奥州征伐の折、宇都宮大明神に戦勝を祈願し、
凱陣あたり御神恩報賽のため、神馬を献納された由来に基づき、
二荒山神社厄難消除祈祷講結成60周年を記念し、本講の弥栄と
講員氏の開運家内安全を祈念して、茲に奉納するものなり。 
 平成15年9月吉日 二荒山神社宮司 松本盛邦
 講元 福田  治 ほか9名・氏名省略







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郷土史研究・宇都宮市江戸時代の七木について

2009年05月26日 11時37分04秒 | 生涯学習
 
 以前投稿したとおり、宇都宮市立図書館へ行き、江戸時代の宇都宮城下の名所と

して「七木・七水・八河原」を調べる。幸い次の本に搭載されていたので、2冊借

りてきました。


● 最近、二荒山神社へ参拝したところ、社殿右側に七木の「塩釜の桜」が復元さ

れていたので撮りました。




※上記宇都宮物語の98ページから転載しました。ほとんどが名前ばかりで所在地特定は困難という。

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