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'09.06.03 (水)

典礼秘跡省に訊くことにします

もっとハッキリと言っておかなければならないでしょうか。

ま・ここっとさんの 「それは常識です。一般常識です」 というご発言、その強調、その言葉の選びは、

1. もしそれが 「故意」 のものであれば、すなわち、それが西欧人の 「実情」 に必ずしも合っていないことをよくご承知の上でのご発言であれば、「嘘」 と言われるべきものであり、

2. そうでなく、「無意識的」 に、ご自分のある種の傾向や嗜好に引きずられて物事を歪めながら (誰にでもその傾向があるものですが) そのようなことをおっしゃっておられるなら、「間違い」 と言われるべきものであります。

私は、ここは断定しておきます。

すなわち、くどいですがまとめますと、

1. 学問的な場では、must not be permitted という表現と be forbidden という表現との間には画然たる別があるというのは真でありましょうが、

2. 慣用的な場では、must not be permitted という表現と be forbidden という表現が非常に近いものになる場合が大いにある、

というのが、本当のところ、実際のところ、であります。
ま・ここっと
さんは、意識的にか無意識的にか、後者 2 がまるで 「ない」 かのように発言なさっているのです。そこが間違っておられます。

もしま・ここっとさんが、「慣用の世界のことは別にして、学問的な場、すなわちここでは教会の公文書ということですが、そこでは must not be permitted という表現と be forbidden という表現との間には画然たる別があるものです」 という言い方をなさるなら、また話は別であります。そうでなく、「それは西欧人にとっては常識、一般常識です。彼らはその別を感覚で明確に分かっています」 という言い方をなさるから、非常に間違っている、全く間違っているのです。

断定しておきます。

そして私達は、教会の公文書において (ここでは特に 「あがないの秘跡」 第104項ですが、しかし他の法文との関係も出て来るでしょう) 実際のところはどうなのか、バチカンはどの程度それに規制をかけているつもりなのかを、確認しなければなりません。それは 「聞いてみなければ分からない」 類のものです。

たとえば、私も司教様から直接、

ある地域で、ある一定の長き期間にわたり、ある習慣が続いているなら、その習慣は尊重されなければならない

というような規定があるのだ、とお聞きしています。しかし、その規定が現実にどう適用されるのかは、論を待つところです。何よりも聖座に訊いてみるべきことです。

何故ならば、もしその規定が現実の 「全て」 を覆うものなら、「無条件的」 に適用されるものなら、聖座が 「悪しき習慣が存在する」 と判断した時にも、一片の修正も変更もできない、ということになるからです。

また何故なら --- "おおもと" のところを見てみましょう --- 教会法第331条がこう言っているからです。

ローマの教会の司教は、司教団のかしらであり、キリストの代理者、かつこの地上における普遍教会の牧者である。このローマの教会の司教は、主が第一の使徒であるペトロに特別に委任し、かつその後継者が継承すべきものとして存続する任務を有している。したがって教皇は、その任務からして教会の最高、十全、直接かつ普遍の通常権を有し、常にこれを自由に行使することができる。

「各司教は教皇に直属するものであり、それ故一聖省から公布された指針書等に無条件的に従う義務は持たない」 などと無神経に (と思います) 言う人もいるようですが、「あがないの秘跡」 の 「結び」 には次のようにあります。

本指針は、教皇ヨハネ・パウロ二世に命により、教理省の協力を得て、典礼秘跡省によって準備され、二○○四年三月十九日、聖ヨセフの祭日に同教皇により認可された。教皇は出版を命じ、直ちにすべての関係者によって遵守されるよう命じた。

「あがないの秘跡」 は教皇様の命を受けたものです。

また、ま・ここっとさんはこうおっしゃっておられます。

既に聖域内でヴァチカンに認可申請手続が開始しているなら、司教認可があれば (仮) 実行できるそうですよ。

2008年06月05日 「寒い冬には着物がない。」

私はこれに無闇に反対しません。私も同様のことを聞いたことがあるからです。でもこれでは、申請に次ぐ申請をしさえすれば延々と (永遠にでさえ!) 結論の引き延ばしが出来るということにもなりかねず、教会のために決して良いことではありません。

しかしとにかくハッキリしません。これら及び私達の知らない他の事も含めた全体の中で、ある一つの事 (今回の場合 "must not be permitted" の扱い) がどこに落ちつくべきなのか、どこに解答を得るべきなのかは、一般信徒にはなかなか分からないことであります。ですから、聖座に直接訊くのが一番です。

訊くことにします。

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