先日、葉山のHさんのお宅にお邪魔した時に、やっぱりこの方とは御縁があるのだなあと改めて思ったのが、フランス文学者の故・石邨幹子さんをめぐる縁でした。 Hさんのお宅で一緒にお話している時に、近くにあったテーブルの上に置かれていたのが見覚えのある「サアディの薔薇 マルスリイヌ・デボルト=ヴァルモオルの詩と生涯」(石邨幹子 訳編 [サアディの薔薇]の会 1988)だった。この本は東京にいた時代に表参道のクレヨンハウスの女性書のコーナーで見つけてずっと大切にしていたものです。私はこの本を読んだ頃から閨秀詩人に惹かれるものを感じていたらしいのです。それから長い引きこもり期間を経て、私はこの石邨幹子さんに改めて興味を持つこととなったのでした。詳しい経緯は忘れたけれど、石邨幹子さんは「つみくさ 現代フランス閨秀詩選」(桜井書店)を戦中に上梓されていて、その中のぺランという閨秀詩人のことを片山敏彦から教えてもらったと書いてあったことから片山敏彦との縁を発見したのだったと思います。このヴァルモール夫人のことも片山敏彦から教えてもらったと、この「サアディの薔薇」のあとがきに書かれています。 Hさんに「私この本持っているんですよ」と話すと、びっくりして少し嬉しそうに「この本は私達が出した本なの」と言われたのです。この本は、校正をはじめとする編集作業には、日仏会館、東京日仏学院等におけるフランス語学習を通じて石邨さんと親交のおありだった数名の方が協同して行われたのだそうです。その代表が永島靖子という方で、私は同じ西荻北に住んでいましたし、一度石邨さんのことをお聴きするためにもお会いしてみたいなあと思っていた時期がありました。そして偶然にも永島さんの「俳句の世界」(書肆季節社 1982)という著書を私は持っていたのです。そして書肆季節社は政田岑生氏の出版社であり、どちらの本も政田氏の装丁でした。 石邨幹子さんはいつもきちんと髪を結いお着物を着て座っている日仏会館の名物おばさん的な存在だったそうです。また「心の花」同人で、アイルランド文学者の片山弘子とも親交がおありだった方です。私は石邨さんの訳された「ぞうのババール」の絵本も持っています。参考のために石邨幹子さんと永島靖子さんの略歴を記しておきたいと思います。 石邨幹子 1900年8月16日生 東京女子高等師範学校附属高等女学校卒 日本女子大英文科中退 関西日仏会館に学ぶ 1986年12月16日逝去 永島靖子 1931年京城に生まれる(本籍は岡山県倉敷市) 慶応大学文学部卒業 俳誌「鷹」同人 現代俳句協会会員 第一回鷹評論賞受賞 http://dp14271926.lolipop.jp/modules/?m=20081016 ←俳句雑誌ににん http://fragie.exblog.jp/10637403/ ←ふらんす堂編集日記 By YAMAOKA Kimiko http://www.gih2008.com/talk/flower002/index.html ←サアディの薔薇に寄せて |
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